家族旅行とか、一応毎年行ってました。 | 毒親(父)の毒が連鎖してしまった毒親Jr.の呟き

毒親(父)の毒が連鎖してしまった毒親Jr.の呟き

毒親(父)に育てられました。そしてその毒が連鎖がし毒親Jr.となってしまいました。そして、ゲイです。
しかし40代前半の頃、それを克服する出来事が起きました。
トラウマを克服するまでの約40年間に関して、
思いつきで綴っていこうと思います。

毒親とはいえ、我が家は毎年夏の後半に家族旅行には行っていました。

 

家業が忙しくなるので世間一般的な盆の時期は働き、

その時期が終わった辺りで毎年家業も夏休みということでした。

(8月24日辺りから、という印象)

そんな家庭で過ごしてきたせいか

私は社会人になるまで

世間的な盆休みという風習が全く理解できておらず、

いつからいつまでが盆なのかも知りませんでした。

 

そんなことはさて置き、

家族旅行というと終始みんなで楽しく過ごした

キラキラした思い出というイメージかもしれませんが

我が家に関しては、勿論そんなことはありません。

 

我が家は両親、両祖父母ともに東京の出身なので

いわゆる「田舎へ帰る」という概念が皆無です。

そして交通機関を使うことはまず無く

毎回必ず自家用車です。

これが辛いのです。

 

だいたい旅行の行き先は

車で行ける範囲に限定されますので

静岡辺りの東海方面、栃木辺りの北関東方面だったと記憶しています。

これを車で往復するのですが

母はペーパードライバーですので

運転は常に父の役目なのです。

 

とにかく気が短い性格なので

渋滞など少しのことでも気が立って車内は悪い雰囲気に包まれます。

私は小学校3年の頃から歌謡曲に興味を持つようになり

車内でも自分の好きな音楽を流してもらっていました。

が!

ここでも父の

「お前が好むような音楽は音楽じゃないんだよ!」

とのお達しが出たのです。

つまり音量を限界まで下げよ、ということです。

音楽を流すとは名ばかりで

ドラムの音が聴こえるか聴こえないか程度の音量しか許してもらえず

(あれ?何かシャカシャカ鳴ってる?気のせい?というレベルの音量です。)

窓を開けて走っている時などは何も聴こえない状態でした。

 

これが数時間の運転中ずっと続くのですが、

音楽を停止させないというのがミソなのです。

これは遠回しに「お前の望みを聞いてやっている」という意味なのです。

そうです。

子供の好きなことをやらせてあげている

優しい父親を実感する行動なのです。

 

私は小学校5年生の時にそれまで貯めていたお年玉をはたいて

当時流行だったダブル・カセットのラジカセを買いました。

これがその後の家族旅行に行く際の

私の大切な音楽の友になるハズだったのですが…。

 

先ほどお伝えしたようにカーステでの音楽鑑賞は厳しい規制を引かれるので

私は自前のラジカセにてイヤフォンで音楽を聴くことを思いついたのです。

がしかし…

助手席でそのような方法で音楽を聴く私を不快に思った父は

運転席から左手でラジカセを思い切り叩いて

「お前はせっかく家族旅行に来てるのに、そんな自分勝手なことするのか!」

と怒り狂うのです。

とにかく、自分の思い通りにコントロールしないと気が済まない

毒親の典型的な部分がこういうところなのです。

別に私がひとり音楽を聴いて車中の会話に参加しなかったところで

父は口を開けばネガティブな発言は多いし

極端な天邪鬼な性格なので

誰かが「これ美味しい!」と言っても

「お父さんはこれ苦手だ。全然美味しいと思わない。」

といった具合に会話が弾むどころか

逆に話していても面白くもなんともないのです。

 

まぁこんな感じで些細なことから怒りが爆発しては

雰囲気が悪くなるのがしょっちゅうでしたので

家族旅行といえば後味が悪い、という印象しかないです。

勿論、初めて行った先の素晴らしい景色とか

今でも忘れられないことはあるにはありますけどね…。

 

こんな車中で流す音楽の件など

恐らく一般的には何でもない出来事かもしれませんが

日常の小さな出来事で逐一否定されて育ってきましたので

「自分の選択は間違っている」という気持ちが優先されるように

心がプログラムされていくのです。

この件でもそうです。

「お前が好むような音楽なんかな」という表現です。

「どうせお前なんか」という否定で始まる会話の連続を想像してみてください。

それが物心ついた頃から何十年と続くのです。

そりゃ心が歪みますよ。

 

(余談ですが、私のラジカセを叩く行為。

あれが車内の出来事でなかったら

間違いなく私のラジカセは破壊行為の餌食になっていたことでしょう。)