駄文屋稼業、はじめました。 -4ページ目

駄文屋稼業、はじめました。

フリーライター・鈴木長月のブログ




大味で豪快、いい意味でテキトーだった
「昭和のパ・リーグ」を象徴する選手。
それが、近鉄の“和製ヘラクレス”栗橋茂だ。

タレントとしても活動する金村義明さんが
なかばネタのように話しているが、
ご本人から直接聞く話はそれにも増して
ハンパなくおもしろい。

というわけで、これを読んで
もっと“伝説”が知りたくなったら、
大阪・藤井寺にあるご本人経営のスナック
『しゃむすん』をぜひ訪れていただきたい。

あのムチャクチャだった頃のパ・リーグを
「懐かしい」と感じる人なら、
そのためだけに大阪まで行く価値は十分ある。

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【栗橋茂さんインタビュー】


──史上初の〝二刀流〟として注目を集める大谷選手ですが、武骨な昭和のパ・リーグ野球を知っている我々からすると、やはりどこか物足りないのも事実です。そのあたりをぜひ、数々の〝豪快伝説〟をもつ栗橋さんにうかがえればと。

栗橋 まぁ、いまはピッチャーの球も速いし、昔と比べても技術そのものが格段に進歩してるから、あんまり偉そうなことは言えないけど、ひとつ確かなのは、もし俺がいまの時代で現役をやってたとしても、やっぱり酒飲んで160キロを打ちに行ってただろうなってことだよね。なにしろ昔は、とにかく〝根性〟。この俺にしたって、大学まではまったく飲めなかったぐらいだしね。


──そんな、またまた。「酒豪」と書いて「くりはし」と読むぐらいの大酒飲みで知られる栗橋さんが「飲めない」はないでしょう?

栗橋 いや、ホントだよ。ウチは親父ですら、おちょこ一杯も飲めない家だったからね。それを大学に入って、最初はビール2本ぐらいからスタートしてさ。そうやって日々鍛えていたら、不思議なもんで、量もイケるようになってきた。まぁ、最終的には「何ケース飲んだ」とか、ケースで勝負するようにもなってたから、近鉄に入ったときには、逆に「プロでも、こんなもんか」って思うぐらいにはなってたけどね(笑)。

──当時の近鉄でさえ、そこまで豪快な人はいなかったと。


栗橋 最近まで西武でコーチをされてた土井(正博)さんあたりは、そっち方面でも有名だったけど、まだペーペーだった俺からしたら、雲の上の大先輩だったし、俺が入ってすぐに移籍しちゃったから、一緒に飲むなんてこともなかったしね。飲む酒の量だけで言えば、学生のときのほうが圧倒的に飲んでたよ。

──とは言え、いまや後輩・金村義明さんの“持ちネタ”とも化している、数々の“栗橋伝説”は、すべて実話ですよね?

栗橋 まぁ、そのへんについては、あいつがおもしろおかしく誇張しちゃってる部分もかなりあるんだけどね(苦笑)。自分じゃ、「そんなこともあったっけな」ぐらいにしか思ってないから、「いやいや、あのときはこうだった」なんて、野暮なこともわざわざ言わないだけでさ。

──だとすると、「女は100メートル先から目で濡らせ」という、あの名言も実は言ってなかったり?

栗橋 いや、それは間違いなく言ったよ(笑)。女性と遊ぶなら、それぐらいの心構えでやんなきゃダメ。近場でちょちょこやってんじゃねぇぞって意味でね。まぁ、そのおかげで俺も女性には、これまで散々泣かされてきたわけだけど。

──「泣かせた」ではなく?


栗橋 もちろん泣かせたこともあるけどね(笑)。ただ、なかには、デキてもないのに「デキちゃった」って言ってきたり、オーナーのところにまで、「栗橋と結婚させろ」って直談判に行くようなやつもいたからね。まぁ、そんときは、ちょうど俺がブレイクするかしないかのときだったから、球団も俺には言わずに内々で処理してくれたり、わりと気もつかってくれたみたいだけどさ。もし、肝心の成績が箸にも棒にもかかってなかったら、おそらくトレードにでも出されていただろうね。


──結果もしっかり出していたからこそ、多少のヤンチャも大目に見てもらえたわけですね。


栗橋 そうそう。やっぱり、何をするにしても、球団や首脳陣に守ってもらえる選手でいるってことは大事なことだよ。ちなみに、さっき言ったその直談判女は、遠征先の仙台にまで押しかけてきて、ホテルにいた西本(幸雄/当時監督)さんに直接電話をしてきたこともあったんだけどね。そしたら、あの冷静な西本さんがパンツ一丁で「クリが大変だ、クリが大変だ」って慌てちゃってさ。あとで「俺でよかったらいつでも出て行くぞ」って言ってもらえたときは、「守られてるなぁ」ってのを実感して、心底うれしかったね。

──いまじゃ考えられない、いい話ですね。ところで昔は、阪急の今井雄太郎さんのように一杯引っかけてからマウンドに上がる“酒仙投手”なんてのもザラだったと聞きますが、栗橋さんご自身は?

栗橋 飛んだり跳ねたりしなきゃいけない野手の場合は、さすがに自分から進んで飲むやつはいなかったんじゃないかな。もちろん、結果的に酔ってた、ってことは俺自身にも何度かあるけどね(笑)。

──やっぱりあるんですね!


栗橋 リーグ連覇がかかってた80年の西武戦(10月11日/後期13回戦)なんかは、まさにそうだったよ。あのときは、藤井寺で当然デーゲームだから、練習開始が朝の8時半とかだったんだけど、気がついたらもう7時でさ。急いで自転車漕いで球場まで行って、練習に合流したら、結局、その後の試合では3打数3安打の1ホームラン。そんときはさすがに思ったね。「これぐらいビビらず打てたら楽なのに」って。

──時には酒を味方につけるぐらいの〝気合〟も大事だと。

栗橋 まぁ、酒が抜けてくるにつれて、身体はやたら重くなってくるからオススメはしないけどね(笑)。ただ、ムリに「酒を飲め」とは言わないにしても、それぐらい肩の力を抜いて伸び伸びやるってのは、いまの選手にも必要なんじゃないかな。成績だけじゃなく、人間的なスケールの大きさみたいなものも、プロ野球選手の魅力だと思うしね。




地方大会もいよいよ大詰め。
今年も夏の頂点を賭けた戦いが
聖地・甲子園球場で開幕します。

というわけで、今回アップするのは、
すでに21回目の出場を決めている
強豪・智弁和歌山の主将として
僕と同学年、97年世代の頂点に立った
元阪神→楽天→巨人の中谷仁さん。

まだ直接お会いしたことは実はないですが、
電話口でお話させていただくだけでも、
十二分に魅力的な人物です。

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【中谷仁インタビュー】


 高校球児の頂点に立つという華々しい経歴を持ちながら、阪神時代は在籍8年で出場はわずかに17試合。09年シーズンのプチブレイクまで12年もの歳月を要しながら、決して腐ることなく、生涯イチ捕手であることにこだわり続けた中谷仁の流儀とは──。


■試行錯誤の楽天時代


 阪神時代は、矢野さんや野口さんがバリバリで、僕は2番手、3番手にもなれないまま、なかばクビのような感じでトレードに出されたんで、「なんとか目立ったろう」と思うようになったのは、楽天に入った06年から。すでに年齢もいってたから、「どうせ死ぬんやったら、なんか爪痕残してからでも遅くはない」って気持ちが強かったんですね。


 もちろん、1軍でやるからには、最初から2番手を目指しているわけじゃないですし、スタメン表に自分の名前がない悔しさがそのままモチベーションにもなってくる。レギュラーを休ませるためとかで、たまに出してもらえたときなんかは、「どうやって明日も使ってもらえるようにしてやろうか」ってことは常に意識してました。


 たとえば、レギュラー捕手の配球はいつも見ていて分かってるから、「中谷はちょっとちゃうな」って思わせるような、定石にはないリードを意図的にやってみたりはよくしてました。


 当然、それがハマらなかったら、次の日からはまたベンチに逆戻りですけど、2番手だからこそ、そういうイチかバチかも許される。


 僕が嶋(基宏)と同じことをやっていたら、年齢的にも若い嶋のほうを使おうってなるのは当然ですし、それではチャンスを巡って来ない。だから僕は、そこでたとえムチャと言われても、首脳陣が「あいつおもろいリードするやんけ」と思ってくれる可能性に賭けてみたわけです。


 あとは、ちょっとこすいですけど、2軍にいるときに、嶋と組んで負けが続いていたようなピッチャーにめぼしをつけて、より重点的にコミュニケーションを取ったりもしましたね。


 実際、永井(怜)なんかとはそうやっていろいろ密に話して、結果的には専属みたいな形で組みました。僕も当時は切羽詰まっていましたから、なり振り構っていられるほどの余裕がなかったんですね(笑)。


■楽しいと思えた晩年


 僕の子どもの頃はちょうどヤクルトの黄金時代で、僕自身も高校時代から、野村さんの本を読んで、自分なりにその〝教え〟を吸収しようとしていたぐらいなんで、そんな尊敬している人と2度も一緒に野球をやれたっていうのは、いま考えても、夢のような時間だったなと思います。


 特にスタメンで出る機会も多かった09年は、とにかく必死で、毎日があっという間。夏前ぐらいから出始めて、後半はずっと出してもらえていたから、「あぁ、これがいわゆる“充実した1年”ってやつか」って、そのとき初めて実感したぐらいです(笑)。


 まぁ、せっかく知名度も上がって、小づかい稼ぎをさせてもらえるオフを迎えられて、そのままいい調子を持続できていたのに、春先に怪我をしてしまって、それも元の木阿弥になっちゃったんですけどね。


 もっとも、それも僕の人生。もしそのままスター街道を行っていたらできていなかったような人生勉強もたくさんさせてもらえましたし、阪神のときに目を怪我して以降は、毎年クビがちらつくなかでやってきただけに、普通に野球ができるっていうそれだけのことが、心の底から楽しいと思えましたしね。


 巨人のときなんかは、若い選手のなかには、「ベテランのクセに大声出して、ゴマすりやがって」って思ってた選手もきっといたと思いますけど、僕からすればそれは、楽しさのあまりにほぼ無意識にやってたこと。


 そういう雑音を鈍感力で押しつぶして、ひたすら前向きにやってきたことが、16年のプロ生活につながったのかなと思います。


【PROFILE】

なかたに・じん

1979年、和歌山県生まれ。97年夏に智辯和歌山高の主将として全国制覇を経験。同年のドラフト1位で入団した阪神では、同期の井川慶とともに次代を担うバッテリーとして将来を嘱望された。99年に起きた不慮の事故で長期療養を強いられるなど、阪神では不遇だったものの、06年に移籍した楽天で徐々に存在感を発揮。09年には、自己最多の55試合に出場し、チームの2位躍進にも大きく貢献する活躍をみせた。12年オフに巨人で引退。現在は、野球教室『上達屋』大阪道場のコーチとして活躍中。




大阪・玉出の『Area26』さんに続き、
東京でもイベント開催が決定しました。

8月10日(月)19:00~21:30
@ベースボール居酒屋『リリーズ神田スタジアム』
ゲスト:リットン調査団・藤原光博さん
   :生馬アイザックさん

ライトスタンドのド真ん中で応援してきた
ガッチガチの“マリーンズ芸人”である藤原さんと、
昨年まではベンチリポーターとしてもおなじみだった
アイザックさんのお二方をお招きして、
マリーンズにまつわる「ここだけの話」を
たくさんしてもらおうと思います。

「TEAM26」にあやかって、先着限定26名様かぎり。
すでに半分は埋まっているとのことですので、
その日空いてる! という方はお早めにどうぞ!!

お問い合わせ、お申し込みは、
リリーズ神田スタジアム 公式サイト
または、TEL:03-3254-0185まで。