『お念仏を称えるものをお見捨てにならないご誓約』 | 浄土宗長福寺のブログ

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埼玉県深谷市の浄土宗長福寺のブログです。おもに『今月の言葉』を毎月1日に公開します。

 阿弥陀さまのお誓い、私たちを極楽浄土へお迎えくださいます。では、阿弥陀さまはいつから私たちを見守ってくれるのか、お見捨てになられないのかを今月はお話していきたいと思います。

 

法然上人の御法語に

問うていわく。摂取の益をこうぶる事は、平生か臨終か、いかん。

答えていわく。平生の時なり。そのゆえは、往生の心ま事にて、わが身をうたごう事なくて、来迎をまつ人は、これ三心具足の念仏申す人なり。この三心具足しぬればかならず極楽にうまるという事は観経の説なり。かかる心ざしある人を、阿弥陀仏は八万四千の光明をはなちててらし給うなり。平生の時てらしはじめて、四千の光明をはなちててらし給うなり。平生の時てらしはじめて、最後まですて給わぬなり。かるがゆえに不捨の誓約と申し候なり。

【念仏往生要義抄・昭法全687】

 

訳:ある人が法然上人に尋ねました。「阿弥陀さまの救いの光明にあずかれるのは常平生の時ですか、臨終の時ですか。いかがでしょう」。

 すると上人は次のようにお答えになりました。「常平生の時からです。それは次のようなわけです。往生を願う心に偽りがなく、こんな我が身ですら往生が叶うということを疑わずに阿弥陀さまの来迎を待ち望んでいる人は、三心が具わったお念仏を称えている人なのです。三心を具えれば必ず極楽に往生する、ということが『観無量寿経』に説かれています。そうした思いでいる人を、阿弥陀さまは限りない光明を放って照らしてくださるのです。常平生の時に照らし始めて、最後臨終にいたる時まで決してお見捨てになりません。ですから、(阿弥陀さまの本願は)お念仏を称える者をお見捨てにならないご誓約、といわれるのです」。

【法然上人のご法語③ 対話編 298P 浄土宗出版局】

 

 お念仏をお称えすると、阿弥陀さまは限りない光明、光を放ち、私たちをご覧になり、お守りいただき、極楽往生を迎えるまでお見捨てにはなりません。

 阿弥陀来迎図などに見られるように、臨終の時に、阿弥陀さまから光が放たれ、極楽に導いて下さると思ってしまうかもしれません。しかし、平生であっても心から極楽往生を願い、お念仏を始めた時から、阿弥陀さまは私たちのことを見守り続けてくださるのです。

 どうぞ、毎日数遍からでも大丈夫です。寝る前にお十念を称える、ここからでも良いのです。日々の生活に感謝し、ご先祖様に感謝し、いつ訪れるか分からない往生の時のご来迎を信じて、お念仏を始めてみてはいかがでしょうか。

合掌