フルタイムで働くのはこの一年で最後と決めてから、子供たちとの関わりがさらに愛おしくなりました。若い頃は結果を出すことが一番だと、只々前に進んでいたように思いますが、今はどんな結果であれ、そこに至るまでの時の濃淡が大事なのだと気付きました。
三年生レギュラーがわずか2人、それでもチームのために自分の役割を果たしきった三年生には感謝しかありません。
色んな事情を抱えて悩み苦しんだ子、大怪我を乗り越えてグランドに戻ってきた子、思うようにプレーが出来ずレギュラーを勝ち取れなかった子、様々です。
それでも仲間を鼓舞し、一緒に闘う事を忘れていませんでした。そこには前顧問が残してくれた「心」という財産があったからに違いありません。
最後の大会も強豪に最後まで食らいつき、上部大会の決定戦まで辿りついてくれました。その試合も圧倒的な力差を跳ね除け、僅差のゲームをしてくれました。
私は三年生に何を残せたか、いつもそんな事を考えていましたが、それは違う事に気付きました。残せたかではなく、彼等が自分で何を掴んだかが大切であって、我々はただ側にいるだけなのです。
側にいて必死に応援すること、そして誰よりも彼等のファンになること。悩みや苦しみを共有すること。そして気付いたことがあれば、教えてあげるのではなく提案をしていく。決して腕を取って引っ張るのではないのです。
「指導」とは指を指して導くもの。その方向を取捨選択するのはあくまでも子供たちであり、自分にとって最良の選択をして結果を出すのも自身の持っている力なのです。決して指導者の力ではありません。
今年のドラフト会議では、小柄な選手の指名が多く見られました。一昔前までは、体力や身体の大きさに目が行きがちでした。その中で埋もれ、相殺されて来た才能が沢山あったと思います。
ドラフト一位でジャイアンツに指名された淺野選手、中日6位に指名された田中選手、いずれも身長170cmほどです。昔ならプロから敬遠されていたでしょう。
例えば、昨年オリックスに指名され今年一軍でも活躍した渡部という選手がいます。彼は、前任校の卒業生でした。
野球部ではなく外野球に所属していましたが、身長はやはり170cmそこそこです。それでも信じてプロを目指して高校、大学と野球を続けていました。信念の力は全てを凌駕してしまうものです。ただし中途半端な気持ちでは達成不可能です。そこには相当な覚悟があったに違いありません。
私たちの仕事は、子供たちの気持ちにどれだけ寄り添い、どれだけ本気で応援出来るかではないかと思います。そこに奢りがあってはいけないのだと思います。あくまでも主役は生徒なのです。
淺野選手は、支えてくれた地元の人たちに、田中選手は、難病を克服しグランドに戻って来ると信じていた仲間たちに、そして多くの選手は、育ててくれた親に「感謝」の気持ちを表していました。
「感謝」を忘れない。私たちが教えることがあるとすれば、この言葉の本当の意味ではないかと思います。そしてそれを伝えるためには、まず自分自身がこの言葉の持つ意味を理解すること、その可能性を信じる事です。
私自身、この言葉を噛み締めています。