面談で言われたのは、市内での異動でした。あと5年で自分の教員生活は終わります。慣れ親しんだ学校からたとえ市内とはいえ、また違った環境に行くことを考えると気が重くなりました。
望まれて行くならまだしも、管理職の扱いはまるで厄介払い。この7年間で自分のやって来たことを全否定された気持ちでした。
「評価とは他人が決めるもの。自己評価ほどあてにならないものはない」と常々思っていた私ですが、その他人が本当に正しい評価が出来る人間なのかと、これまで何度か疑問に思ったこともありました。
全てを捨てて退職の道も頭にちらつきましたが、家庭の事情を考えるとそれも出来ず、異動するしかないと決断しました。
自分がこの学校でやって来たことだけは自分自身の宝として、そのプライドだけはどこに行っても心の宝箱に入れていこうと覚悟しました。
人を信じるのは尊いことだと思います。ただ、盲目的に信じすぎるのも危険だということも学びました。ちょっと遅すぎたかもしれませんが、見極める力はもっと必要だと感じました。
子供から裏切られるのも私たちの仕事です。もっと言えば裏切られるとわかっていても、どれだけ信じてあげられるかが教師としての力量だと思います。しかし職場の組織では、それは通用しない。それを見切れなかった自分を責めるしかありません。
話が横道にそれましたが、同市内で野球部に関わるのは絶対にしたくない。異動先では野球部の顧問は固辞し、この学校の野球部のファンとして今後も応援しようと心に誓いました。
そして4月、新しい学校の門をくぐりました。校長との面接でも「お前を引き受けてやったんだ」と言わんばかりの態度。期待のかけらも感じられませんでした。
ただ一つだけ仕事のモチベーションを保たせてくれる存在がいました。それは野球部顧問の存在です。対戦するたびに、彼の指導者としての資質を感じていました。その教師と同学年に配属されたのは唯一の救いでした。
彼は私の思いをすぐに察してくれて、私を野球部には誘いませんでした。他の部活は複数顧問制をとっていましたが、野球部だけは彼が一人で担当していました。それでも誘って来なかったのです。
学校長は、全ての教員が何かしらの部活に関わることを方針としていたようですが、それは時代に逆行するものです。このことからも学校長の力量を感じた私は、全ての部活の副顧問ならやりますとお願いしました。つまりフリーの顧問です。
便利屋の顧問といってもいいかと思いますが、その便利屋を使う教員は誰もいませんでした。
(感謝25に続く)