前回「違和感」という言葉を使って、自分の考えを紹介しましたが、最近(と言ってもずいぶん前からのような気がしているのですが)子供たちが、痛みの表現として使う場合が多くあります。


 プロの世界でも「肘に違和感」とか、「腰に違和感」とか、戦列を離脱する時によく使われるのですが、痛みの度合いや怪我の状況を知るには、あまりにも抽象的な言葉であると思います。


 「違和感」とは馴染まない、ピッタリこないとか本来はそんな意味があるのですが、確かに普段の状態とは違うという意味で痛みの表現としては使われやすいものだとは思います。


 医学的な専門知識があれば、その表現でも痛みの状態や状況を判断出来るかもしれません。しかし、学校の部活ではその痛みを的確に判断することは不可能です。


 将来のある子を預かっている立場なので、絶対に無理をさせたくありません。「違和感」という言葉が出たら、活動をさせないのが原則だと思います。ただし、病院に行かせた方がいいのか、休ませればいいのか、この言葉では判断し辛いのも事実です。出来れば痛みの状態や程度を具体的に言って欲しいと思う時があります。


 また指導者側は、動きの中で「違和感」を感じることも大切です。前顧問は、投げている姿を一眼見て、投げさせるの辞めさせた事がありました。「あの子、ひょっとしたら○○が痛いのかも」と言って、マウンドから呼び戻したところ、案の定「肘に違和感が」と訴えていました。


 「我慢や無理は絶対にさせたくない」それは常に将来を考えている指導者の必要な資質なのです。ただし、「身体の違和感」は動きに現れることが多いのですが、「心の違和感」はなかなか見えないものです。


 痛みの度合いが大きければ、それも動きに現れるとは思いますが(学校生活や家庭生活で)、少しの「違和感」は、見て取れないことが多いのです。いつそれが心に蔓延し爆発するかわかりません。


 学校生活や家庭生活での情報共有から、爆発を未然に防ぐのも大切ですが、「心に違和感」を覚えたら、自分から表現し溜め込まないようにすることも大切ではないでしょうか?


 チームとして、出来ていたことが出来なくなる、これはチームとしての「違和感」の始まりです。道具の管理、挨拶の仕方、グランド内での動き等、チームとして振り返ってください。チームとしての「違和感」を感じることはありませんか?


 入部した目的は人それぞれです。しかし、あくまでもチームが進む方向は一致していかなければいけません。今一度振り返ることが必要だと思う今日この頃です。



 先週の練習試合、みんなの荷物の置き方に大きな「違和感」を感じました。さて、明日も練習試合があります。まずはこの「違和感」が払拭出来るか、勝敗より重要だと考えます。