未だ終息が見えないコロナ、また一年延期された東京オリンピックも開催されるか否か不透明の昨今、その会長を巡って一連の問題で混迷を極めています。

 一年前のブログを読んでみましたが、あの頃はまだ大会があると信じて、その時を待つ準備をしていました。しかしながら三年生の大会はその全てが中止となり、その三年生は今受験に向けて最後のラストスパートに入っています。

 全てを潔く受け入れた彼等に対して、大人である私たちが何もしてあげられなかったことは残念で仕方ありません。せめて、後輩たちには先輩達が経験出来なかった事の少しでも味わってもらいたい。心底思います。

 本来なら、冬トレが終わりユニフォームがパンパンになっているはずの身体も、ジャージの上からは確認する事も出来ません。しかし、部員たちの表情から、心の太さがパンパンになっている姿が想像出来る子もいます。

 空白は、心のブレを生じさせる魔物が存在します。行き先が不透明になれば、進む先を見失う事も多いかと思います。まして、発達段階にある中学生にとって、見えない不安は大きいものだと思います。

 だからこそ、受け継いできた事の大切さを思い出して欲しいと思います。先輩たちがその姿を通して大切に受け継いできたものは何か、もう一度原点に戻って考えてみる。空白もその時間に当てれば有意義なものに変わっていくのではないでしょうか?

 変化を求めるのも大切ですが、変えてはいけないものを受け継いでいくのもそれと同じくらい大切な事なのです。

 野球に限らず、自分が追い求めているものに対してブレてはいけない。準備を怠ってはいけません。アスリートたちは半年後のオリンピックに向けて不安と闘いながらも一歩ずつ歩んでいます。

 これから先も不透明な時間は続きますが、みんなの心は目標に向かって透明であることを願って止みません。


 不要不急の外出自粛を頑なに守っている私ですが、先日の休日、たまらず車を走らせて外の空気を吸ってきました。世界遺産の富士山は人間界の混迷をどんな気持ちで見ているのかと、ふと思いました。世の中がどんなに変化しても、変わらない自然があることに、なんかほっとした気分になりました。