物事には節目があります。中学校を卒業することはまさに義務教育か終わる「節目」にあたるもの。15歳で元服を迎え、大人としての旅立ちが出来る年齢として認められていた昔とは違うにしろ、義務が終わり選択の時代に突入するには大きな節目であるには間違いありません。

だからこそ「卒業式」は儀式である以上に、主役である卒業生の大切な思い出の1ページになるよう、時間をかけて作りあげていました。卒業生が思いを涙に変えて式場を退場する姿を見てる度に、それまで準備してきたことが間違いでなかったと確認していました。しかし、今年はだいぶその様子が違います。

都内では今週卒業式を迎える中学校がほとんどだと思います。各校から卒業式の情報が入ってきましたが、ある学校では体育館を使わず校庭での卒業式だったり、卒業生とその保護者代表一人と職員だけの参列だったりと昨今の新型コロナ対策に呼応して形式を変えて行うところがほとんどです。

本校で言えば、卒業証書授与は代表者のみで卒業生合唱もありません。大規模校である本校では卒業証書授与だけでも1時間かかってしまいます。本来なら一人一人に手渡しするはずの証書が代表者のみの形で行われるのは、仕方がないとわかっていても残念で仕方ありません。卒業生合唱も大舞台で披露するために夏には選曲をし、秋頃から練習に入ります。歌いたかっただろうし聞きたかった。それも叶わなくなりました。

余談ですが、クラスターリスクには大勢で発声しない事も含まれます。合唱がなくなるのであれば国歌斉唱も無くすべきだと思うのですが、それは残されたままです。国歌に対してイデオロギー的な考えは一切もってはいませんが、主役である卒業生の合唱が取りやめになる中、国歌斉唱があるのは不思議でなりません。

ただ、そんな卒業式であっても卒業生が過ごした三年間は変わる事ない宝物であることは間違いありません。卒業式の形は変わっても頑張った三年間の評価は変わりません。卒業生には自信と誇りを持って学校を巣立っていって欲しいと願っています。今週末に行われる卒業式では彼らの過ごした三年間に敬意をもって見送りたいと思っています。