私事ですが、昨夜中学を卒業して17年の野球部員に招待され、板橋まで行ってきました。お店に入る瞬間は、緊張した面持ちでしたが、昔話に花が咲くにつれて、あの時と同じ面影が戻ってきました。三年連続都大会出場を目指していた同チームの中で、最弱と言われた代で、どう戦っていくか私も頭を悩ませていましたが、彼らには先輩達にはなかった武器を持っていました。それは「仲間との絆」でした。
突出した選手がいるわけでもない彼らに、この武器に磨きをかけるべく、最初のチーム練習は声と足が合うまで只管ランニングさせる事でした。キャプテンが「今日の練習メニューは何ですか?」と聞きに来ると、私は決まって「ランニング!」と言って突き放していました。夏休みは、ほぼ毎日練習試合で休みがなかったと記憶しています。ほぼ全敗で終わるだろうと思っていたのですが、期待を裏切り8割くらいの勝率を収めたと思います。一戦ごとに武器が強固になっていき新人戦を迎えたのですが、準々決勝で敗退しました。
それまでのチームは当然のように勝っていたので、彼らのプライドが敗戦を許さなかったのでしょう、悔し涙を流していました。その時「この子達と行く都大会が本当の都大会なんだ」と思えるようになったのを覚えています。それぞれの思い出話に登場するのは、いつ、どこで、どんな風に私に怒られたというものでした。「理不尽」そのものの怒られ方にも、笑顔で語る彼らの顔を見て、「最弱だから最強になりたい」と思っていた思いが今になって理解してもらえたような気がします。
野球には全く興味がなかった部員もいました。「たまたま入ったのが野球部だったけど、あの三年間は、自分にとって大きかった。」と言ってくれた部員もいました。またある部員は、遠くラオスの地で、野球を広めるために少年野球の指導をしています。私は彼らから多くのことを学びました。生徒も教師も関係なく、喜びや悲しみを共有出来るんだということを。念願叶って都大会出場を決めた時、最後の大会で負けた時、同じ涙を流せたことを感謝しています。
彼らも今や立派に社会人として世の中で活躍しています。現役三中野球部員の17年後がどうなっているか楽しみです。私は生きているかどうかわかりませんが。卒部しても中学時代の野球部同期で集まれる仲間であって欲しいものです。
還暦の祝いで赤のジャージをプレゼントしてくれました。袖にはネームが入っていましたが、イニシャルの「N」は「殴る」の頭文字だそうです。イメージは怖いものです。
突出した選手がいるわけでもない彼らに、この武器に磨きをかけるべく、最初のチーム練習は声と足が合うまで只管ランニングさせる事でした。キャプテンが「今日の練習メニューは何ですか?」と聞きに来ると、私は決まって「ランニング!」と言って突き放していました。夏休みは、ほぼ毎日練習試合で休みがなかったと記憶しています。ほぼ全敗で終わるだろうと思っていたのですが、期待を裏切り8割くらいの勝率を収めたと思います。一戦ごとに武器が強固になっていき新人戦を迎えたのですが、準々決勝で敗退しました。
それまでのチームは当然のように勝っていたので、彼らのプライドが敗戦を許さなかったのでしょう、悔し涙を流していました。その時「この子達と行く都大会が本当の都大会なんだ」と思えるようになったのを覚えています。それぞれの思い出話に登場するのは、いつ、どこで、どんな風に私に怒られたというものでした。「理不尽」そのものの怒られ方にも、笑顔で語る彼らの顔を見て、「最弱だから最強になりたい」と思っていた思いが今になって理解してもらえたような気がします。
野球には全く興味がなかった部員もいました。「たまたま入ったのが野球部だったけど、あの三年間は、自分にとって大きかった。」と言ってくれた部員もいました。またある部員は、遠くラオスの地で、野球を広めるために少年野球の指導をしています。私は彼らから多くのことを学びました。生徒も教師も関係なく、喜びや悲しみを共有出来るんだということを。念願叶って都大会出場を決めた時、最後の大会で負けた時、同じ涙を流せたことを感謝しています。
彼らも今や立派に社会人として世の中で活躍しています。現役三中野球部員の17年後がどうなっているか楽しみです。私は生きているかどうかわかりませんが。卒部しても中学時代の野球部同期で集まれる仲間であって欲しいものです。

還暦の祝いで赤のジャージをプレゼントしてくれました。袖にはネームが入っていましたが、イニシャルの「N」は「殴る」の頭文字だそうです。イメージは怖いものです。