「駑馬十駕」とは、才能の劣っているものでも、
努力を怠らなければ、
やがて才能のあるものに並ぶことができるという事のたとえです。ただし、そこには「努力する」という才能も持ち合わせていなければならないのも事実です。

才能があっても、努力しなければ、いつか並ばれ追い越される。追い越された時に、悔しいという感情が起きればまだしも、自分の才能を疑い、負けを認めてしまっては、その距離はどんどん広がっていきます。生まれ持った才能が、努力する才能に凌駕されてしまってはもったないと思いますが、それもまた運命なのかもしれません。

三中野球部で求められるものは、生まれ持った才能を伸ばすと同時に、努力する才能を身に着ける事です。ハードなトレーニングや様々な課題は、そこに行き着くために自分がどれだけチャレンジし、努力を怠らなかったかを試すためにあります。生まれ持った才能と違って努力する才能は、自分の心次第で得られる才能なのです。

なりたいものになるのが目的ではありません。なりたい自分になる為に、いかに努力が出来たかが、大切なのです。その繰り返しが、努力する才能を生むのだと思います。その才能が得られれば、たとえ、なりたいものになれなくても、才能のある者に追いつく術を身につけることが出来ます。そしてそれは野球に限らず、多くの場面で生きてくる才能となり得るのです。

「駑馬十駕(どばじゅうが)」三中野球部全員で共有してもらいたい言葉です。