今月から、陸上部、サッカー部と調整し、週2日を全面使用日にする代わりに、平日2日は休み(実際には火曜はトレーニング日で、木曜休み)でスタートすることになっていました。
今日はその最初の全面使用日なのにこの雨です。グランドで練習することが出来ませんでした。野球部員が3人昼休み職員室にやって来て、練習をどうするか尋ねて来たので、今やりたいことは何なのか自分たちで必要とするものを考えて来たのか、逆に聞いたところ、昨日の敗戦を受けてミーティングをしたいと答えが返ってきました。
一時間部員だけでミーティングを任せました。ただ、今までやってきた決め事の確認だけは全員でするようには伝えておきました。
会議が終わって一時間後に教室に入ったら、前キャプテンがミーティングの様子を見守っていました。黒板には、何回か消した後もあり、いっぱい確認したことがあったようです。
冷静な分析をしながらも、感情のぶつかり合いがあって本当のミーティングは完成する。
敗因を羅列するのは誰でも出来ますが、大切なことはその根本にあるチームとして取り組まなければいけないものであり、アイデンティティをしっかり取ること。目的を明確にして、全員で取り組むことは何なのかを頭ではなく心に落とすことなのです。
三中で野球をやるからには「覚悟」と明確な「目的」がなければいけません。その目的は各代によって違いはあります。前キャプテンの時代は、目的までやり切ったというところまで至りませんでした。
相手が上だと思った瞬間、心の勝敗は決まってしまいます。自分たちがてっぺんを目指すなら、自分たちの力がてっぺんだという自覚がなければ到達できないものです。だからこそ試合に負けたら悔しいのです。
どこかで敗戦を認めていたら、悔しさは残りません。悔しさが表現出来ないということは、どこかで自分たちの力を信じていない証拠だと思います。私は、前の代もてっぺんの力があると信じていました。だからこそ、あの敗戦は受け入れられなかった。
そして、今の代もてっぺんを取る力があると思っています。ミーティングで敗戦を冷静に分析するのも大切です。それは練習に反映すれば克服出来るからです。しかし、相手の方が強いと思っていたら、練習しても相手を超えることは出来ないと思うのです。
傲慢になれとは言いません。しかしそれくらいの気持ちでなければ、本気の悔しさは出ません。悔しさが生まれなければ次のステップは踏めません。常にてっぺんの力を目指し、てっぺんを本気で取って行く練習をするための肥やしが敗戦の悔しさであって欲しいと思っています。
今日はその最初の全面使用日なのにこの雨です。グランドで練習することが出来ませんでした。野球部員が3人昼休み職員室にやって来て、練習をどうするか尋ねて来たので、今やりたいことは何なのか自分たちで必要とするものを考えて来たのか、逆に聞いたところ、昨日の敗戦を受けてミーティングをしたいと答えが返ってきました。
一時間部員だけでミーティングを任せました。ただ、今までやってきた決め事の確認だけは全員でするようには伝えておきました。
会議が終わって一時間後に教室に入ったら、前キャプテンがミーティングの様子を見守っていました。黒板には、何回か消した後もあり、いっぱい確認したことがあったようです。

冷静な分析をしながらも、感情のぶつかり合いがあって本当のミーティングは完成する。
敗因を羅列するのは誰でも出来ますが、大切なことはその根本にあるチームとして取り組まなければいけないものであり、アイデンティティをしっかり取ること。目的を明確にして、全員で取り組むことは何なのかを頭ではなく心に落とすことなのです。
三中で野球をやるからには「覚悟」と明確な「目的」がなければいけません。その目的は各代によって違いはあります。前キャプテンの時代は、目的までやり切ったというところまで至りませんでした。
相手が上だと思った瞬間、心の勝敗は決まってしまいます。自分たちがてっぺんを目指すなら、自分たちの力がてっぺんだという自覚がなければ到達できないものです。だからこそ試合に負けたら悔しいのです。
どこかで敗戦を認めていたら、悔しさは残りません。悔しさが表現出来ないということは、どこかで自分たちの力を信じていない証拠だと思います。私は、前の代もてっぺんの力があると信じていました。だからこそ、あの敗戦は受け入れられなかった。
そして、今の代もてっぺんを取る力があると思っています。ミーティングで敗戦を冷静に分析するのも大切です。それは練習に反映すれば克服出来るからです。しかし、相手の方が強いと思っていたら、練習しても相手を超えることは出来ないと思うのです。
傲慢になれとは言いません。しかしそれくらいの気持ちでなければ、本気の悔しさは出ません。悔しさが生まれなければ次のステップは踏めません。常にてっぺんの力を目指し、てっぺんを本気で取って行く練習をするための肥やしが敗戦の悔しさであって欲しいと思っています。