フルタイムをやめて今は時間講師をやりながら細々と学校に関わっています。グランドから離れて半年が過ぎました。


 放課後グランドに向かう生徒たちに「頑張れよ」と呟きながら帰路に着く自分。それでも彼らの表情はいつも気になっています。


 この立場になって初めて気付かされた事があります。それは教師本来の姿。


 授業が教師にとっての最大の仕事である事。そこに最大限の力と集中力を持っていかなければならない。当たり前の事ですが、世の中が教育に求める事が多すぎて、埋もれてしまっていたような気がします。


 我々は生徒の人生の一時期を共にします。しかしそれはあくまでも学校という限られた空間だけのもの。彼等が帰って行く家庭に我々は存在しない。それでも彼等に起きた事の責任の一旦を負わされてしまいます。


 だからこそ、空間を共有する時は全力で彼等を見守らなければいけない。その要望や期待に応えるべく日々奮闘しています。実はそれが教師の負担となっているのです。


 部活という仕事を削ぎ落としても、この負担は減ることはないでしょう。


 「聖職」という言葉で縛られていては、この先も教師の困難は続くものだと考えます。


 生徒の前で教師は神であってはいけない。生身の人間が子供と寄り添っていく時間があるからこそお互いの学びが深まっていくのです。


 部活を通して生身の人間と触れ合って、自分もそうでありたいと教職の道を目指す者、また授業を通してその面白さ伝えるべく教師を目指す者、その多様性を活かすのも教育の現場であるべきです。特に多様性が求められる現代では。


 平日の放課後を現場から引き離しても、世の中の要求が変わらない限り働き方は変わらないのです。


 今年から教員生活で初めて特別支援級の授業も担当させてもらっています。まさに多様性を持った子供たちに対する一時間だけの授業。彼らの純粋な欲求に応えるために授業準備を多く費やしています。


 そして私の方が彼等から多くの学びをもらっています。彼らにとって楽しく、身になる授業とは何なのか?たった一時間の授業で、その評価が彼らから下されます。


 「授業が勝負」。今更ながら気づかせてくれました。学びは一生続くものだと教えてくれた彼等に感謝しています。


 長々と、また徒然にブログを続けさせていただきましたが、今回で一応の区切りにしたいと考えています。部活で奮闘されている顧問の先生方が世の中には沢山いらっしゃる事を忘れない世の中であって欲しいと願っています。