ディズニーシーに行ってきました。
実はランド派で、シーは10年ぶり
そして、20年以上ぶりに家族以外と人と。
大好きな仲間たちと大人数で行ってまいりました。
オトナばっかりだから、暑いのはご遠慮申し上げて夕方5時から。
日傘入らないと思ったらかなりの日差しでびっくり。
くじ引きをしてグループを決めたり、ちょっとゲームっぽく探し物をしたり、最後にみんなで合流したり。遠足のような楽しみ方。
【親】とか【大人】っていう立場を外して遊んでみて、日頃、どれだけ、立場でいろんなものを見てるのかわかった感じ。
立場を外して遊んでみると、アトラクションや、ショーが終わるとさっさと立ち上がって次に向かう人たちの姿が目に入りました。
【もったいない!】
もっと余韻を楽しんだらいいのに!
何度も来てる人は、いつ終わりかも知っているし、並ぶ時間をミニマムにして次に行くプランも立ててるし、ショーやパレードの時間も熟知してるし、すぐ次!なのでしょうー。
10年ぶりの私は、わかんないことだらけでキョロキョロしてたけれど。
一方で、クラシック音楽を専門とする私は、知ってるものやわかっているものを繰り返し見たり聴いたりすることが多いです。
むしろ、下調べをして臨むくらい。
わかっているものや、知っているものを見るのって、そんなによく見ずに、「はい、次!はい、次!」と進むのか、と言うとそうでもなくて、また、毎回新鮮な目で見ているのか?と問われると、それもそうではなくて、【知っているもの】として見たり聴いたりしています。
そして、何回も見るのが、何回も聴くのが面白いのです。
見るたびに新しい発見があります。
そう思うと。。。。。。
日頃私たちはそんなふうに過ごしているのかな?
と感じました。
同じものであっても、やる人によって少しずつ違いがあったり、同じ人であっても、時を経て変化したり。同じものを見ていても、見る時の自分の在り方で違うように見えたり。一緒にいる人によって違う視点を得たり。
ディズニーシーで一緒に過ごしたまゆこちゃんは「いつ、それに気がつくか、だよねー」と言語化してくれました。
何より感じたのは、その時一緒にいる仲間たちと過ごす時間のあたたかさ。
全く同じ人と同じ場所にいることはもうきっと2度となくて、いろんなことに煩わされて、それを感じないのはあまりにもったいなさすぎる、と思い出させてもらった感じがしました。
これからの日常をどんなふうに過ごしていこうか。
改めて、時間の過ごし方や楽しみ方を感じなおしています。