迂達赤兵舎に戻ったヨン
予想通り
若い迂達赤らはヨンを見るや
何か言いたそうな
ニヤついた顔を見せた
 
 
「なんだ」
 
 
「はい
 先ほど奥方様がお越しでした」
 
 
「ああ」
 
 
「噂ではなく実際に
 とてもお美しい方だと
 事実確認できました」
 
 
ヨンはふっと薄く笑った
 
 
「そうか」
 
 
「とても明るいお方でした」
 
 
「ああ」
 
 
「とてもよい香りをされていました」
 
 
「なに?!
 なぜそんなことがわかるのだ」
 
 
「奥方様が通られた後の残り香が
 とても芳しかったと
 みな 言うております」
 
 
ヨンは唇を噛んだ
 
 
「それに
 とてもお優しい方でした」
 
 
「優しい?!
 どうして優しいとわかる?」
 
 
「はい
〝いつでも典医寺にいらっしゃい〟と
 笑顔でお声をかけてくださいました」
 
 
嬉しそうに答える隊員たち
ヨンは天井を見上げて
ひとつ息を吐き
 
 
「わかっているとは思うが
 何の用も無いのに
 ただ訪ねたりしないだろうな」
 
 
「「「えっ?!」」」
 
 
「随分と皆 暇を持て余しておるようだな
 そうか
 そんなに典医寺に行きたいか
 
 ならば 死なぬ程度に鍛練してやる
 誰からだ」
 
 
ヨンが壁の木刀を手に取ると
若い迂達赤は蜘蛛の子を散らすように
逃げて行き
ヨンはまた
ため息を吐くのだった


「大護軍
 よろしいですか?」


マンソクがヨンに声をかけた


「なんだ」


「プジャンから乙組三班の
 班長になるよう打診されました」


「そうか」


「某は処罰対象の人間です」


「マンソク
 お前の生真面目さはチュンソクにも負けぬな

 以前からお前は固辞しておるが
 北を出立前にチュンソクとも
 人事について話しておったのだ

 此度もこれまでの働きを考慮し
 腕が立ち適性があるから推したまで
 そして
 お前のことを全て承知の上で
 王様が承認された人事だ

 どうしても自分の気が進まぬなら
 これも作戦の一環だと思え」


「作戦ですか?」


「ああそうだ
 お前が僅かでも昇進したのだ
 向こうはお前が迂達赤で
 うまくやっていると思うだろう
 また接触してくるに違いない」


「しかし
 皆に迷惑をかけてしまうやも知れませぬ」


「迷惑かどうかは周りが決める
 それによく考えてみろ

 お前よりも若手隊員が昇進し
 自分よりも仕事ができて腕の立つお前に
 命令できると思うか?
 いつまでも今の立場におる方が
 周りにはよっぽど迷惑だ
 
 何かあれば責任をとるのは俺の仕事だ
 お前は自分の力でここまで来た
 余計なことは考えず
 今まで通り勤めに励めばよい」


ヨンは真っ直ぐにマンソクを見た
マンソクはひとつ肩で息を吐くと
覚悟を決めたように言った


「わかりました大護軍
 有り難くお受け致します」


「それでよい
 御母上もお喜びになるだろう

 マンソク
 決して同じ轍は踏むな
 どうすべきかもう
 お前はわかっているはずだ」


「はい 大護軍
 ありがとうございます」


後ろ盾も縁故もなく
只管 努力を重ね
これまで苦労して来たせいなのか
やや実年齢よりも年嵩に見えるマンソク
強張った表情をようやく緩め
若者らしい微笑みを見せた


「あとひとつ
 先ほど ユ先生がおいでくださり
 母を往診して下さると言われました」


「ああ 聞いた」


「本当によろしいのでしょうか?」


「あの方が医官として決めたことだ
 それにマンソク
 お前はあの方と約束したではないか
 開京に着いたら御母上の診察をさせると
 高麗の武士なら約束は守れ
 命などは懸けずにな」


ヨンがあの日のウンスを思い出し
ふっと笑うと
マンソクも一瞬 表情を緩め頷いたが
また真顔になって報告した


「大護軍
 ユ先生が大護軍の部屋で
 某をお待ちの時
 少し泣いておられたように見えました」


ヨンは忽ち眉間に皺を寄せた


「あの方はお一人だったか?」


「はい
 護衛の方は扉の前で警護されて
 ユ先生は部屋の中でお一人でした」


「そうか」


「某の見間違いでしたら
 申し訳ありません」


「いや
 知らせてくれてよかった」


マンソクは頭を下げるとまた
鍛練に戻っていった


部屋に入るとヨンは
改めて自分の部屋をぐるりと見回し
恐らくウンスが
昔を思い出していたのだろうと察した


自分も同じように
何度もこの部屋で
ウンスと過ごした時間を思い出し
ウンスの面影を追っていたのに
ウンスが戻ってからは
その時感じていた寂しさや恋しさを
すっかり忘れていたことに気づいた


普段この部屋で見ることのない
鮮やかな色が目に入り
ふと卓を見ると
水差しに一輪の黄色い小菊
そして
その下に一枚の紙


そっと紙を手に取り
開いたヨンは息を飲み
忽ち胸がいっぱいになった


もう二度と
この部屋でひとり
あの方を想い
悔やみながら面影を追うことなどせぬ
今度こそ
絶対にイムジャを守る
イムジャのくれた この小菊に誓って


ヨンは水差しを手に取ると
黄色い花を眺め
初めて小菊を差し出した時のウンスや
髪に挿して大笑いしたウンスを思い出し
ふっと笑った



***



交代に来た星組隊員
ヒョジュとの挨拶を済ませたウンスが
部屋で王妃の月経周期の計算や
今後の日常生活の改善点をまとめていると
焼厨房(ソジュバン)の見習い女官
ボラが訪ねてきた
 
 
「あの医員様…
 本日より 朝夕は
 焼厨房からお食事を
 お運びすることになりました」


「まあそうなの!!
 ありがとう」


「あの医員様
 医員様は昼も召し上がると伺いました
 昼の分はこれから
 生果房(セングァバン)から
 軽食が届くそうでございます

 それで私は
 医員様のお好みや
 体に合わぬ食材がないか
 教えていただくよう
 焼厨房のイ尚宮様に言われて参りました」
 
 
俯いて話す見習い女官は
まだ十五、六ぐらいで
かなり緊張して固まっているようだった
 

「そう
 ありがとう
 ちょっと待ってね」
 
 
ウンスは笑顔で外に顔を出し
ジウォンとヒョジュに尋ねた
 
 
「ねぇねぇ
 二人は晩御飯どうするの?
 私と一緒に食べる?」
 
 
ヒョジュはぶんぶん首を振り
 
 
「私は宿舎で食べますので
 ユ先生 お気遣い無用でございます」
 
 
「オンニ
 今日は大護軍が早く戻ってくるんでしょ
 私もマンボ姐さんのところで食べるわ」
 
 
「そう? わかった」
 
 
ウンスが顔を引っ込めると
ジウォンとヒョジュは顔を見合わせ
 
 
「オンニと大護軍のイチャイチャを見ながら
 食事なんて出来ないわよね」
 
 
ジウォンが笑って言うと
ヒョジュも苦笑した
 
 
「無理です
 何も喉を通りません」
 
 
ガチガチの見習い女官の
緊張を解そうと
ウンスはお菓子を差し出して
 
 
「まあまあ
 そんな硬くならずに
 とりあえずこれ食べてみて
 王妃様にいただいたの
 美味しいわよ」
 
 
はじめは遠慮していたボラも
食べたことのない貴重な菓子に
唾を飲み込んだ
 
 
「誰も見てないし
 誰にも言わないから
 さあ 今のうちに ねっ!」
 
 
口元まで持ってこられて
美味しそうな甘い匂いを嗅ぐと
堪らず口を開けた
 
 
「そうそう
 若いうちは遠慮なんてしないで
 たくさん食べなきゃ」
 
 
ウンスが満足そうに微笑むと
ボラも口をもぐもぐさせて
ようやく笑みを見せた
 
 
「あのね
 王宮内の食事って
 何かルールがあるの?
 えーっと 決まり事とか?
 私 全然わからなくて」
 
 
「品数は決まっておりますが
 他は出来るだけご希望に添うよう
 王妃様からも言われております」
 
 
「そうなのね
 媽媽にお礼言わなきゃ

 因みに品数って何品?」
 
 
「はい
 医員様は九品でございます」
 
 
「そんなに!凄い!
 
 えっとね
 私の希望としては
 やっぱりタンパク質が欲しいわね
 牛 豚 鶏 卵でもいいわ
 ノビアニ(焼肉)とか
 ファヤンジョク(串焼き)とか
 とにかく肉が大好きなの
 
 あとねジョンも好きよ
 ユクチョン(牛肉チヂミ)とか!
 ちょっと横にキムチと醬が添えてあれば
 それだけで
 もう焼酎との相性バッチリ!」
 
 
ウンスがうっとりしてサムズアップすると
ボラは呆気に取られていた
 
 
「あっ ごめんなさい
 私 すごく食いしん坊みたいね
 まあ とにかく
 そんなに感じで お任せします」
 
 
我に返ったボラは
慌てて手帳に控え始めた
 
 
「医員様
 鍋物も大丈夫ですか?」
 
 
「ええ もちろん
 チゲは大好きだし
 シンソンロとか最高!」
 
 
「お体に合わない物はありませんか?」
 
 
「う〜ん そうね
 シュル(羊スープ)はちょっと合わないかな
 どうせなら
 ソルロンタンとかコムタン
 サムゲタンの方が好き
 王宮って羊料理が多いわよね
 それってやっぱり元の影響なのかしら?
 匂いがちょっと苦手なのよ」
 
 
ボラは首を傾げていたが
手帳に〝羊は避ける〟と書き込んだ
ウンスは少し考えて
 
 
「もし肉が贅沢過ぎるなら
 海鮮も好きだから心配しないでね
 
 もちろんお野菜も果物も大好きだけど
 果物はなかなか手に入らないわよね?」
 
 
「今は紅柿(ホンシ)が旬でございます
 これからの季節でしたら
 もうすぐ済州から蜜柑が届くと思います」


「まぁほんと!
 どっちも大好き!

 でもこの時代だと
 きっと貴重な物なんでしょうね
 
 あのう
 散々言った後で説得力ないけど
 食事を出していただけるだけで
 感謝しております」
 
 
ウンスが手を合わせて頭を下げると
ボラは吹き出して
 
 
「できるだけ
 ご要望に添うようにいたしますが
 味付けのお好みなどは
 その都度教えていただけますか?」
 
 
「ええ わかったわ ありがとう
 
 あのね
 今日は大護軍もここで夕餉をとるから
 二人分お願いできます?」
 
 
「えっ?
 大護軍様…ですか?」
 
 
「ええ チェヨン将軍だけど
 駄目かしら?」
 
 
「いえ ご用意いたしますが…
 あのう もしかして…
 大護軍様と近く婚儀をあげられるお方とは
 医員様のことですか?」
 
 
「えっ?婚儀?」
 
 
「はい 
 近いうちに大護軍様が
 婚儀をあげられると聞いております
 王妃様も日取りをお尋ねになっていたとか
 
 もしかして お相手は医員様ですか?」
 
 
ウンスは言葉を失ったが
頭はフル回転していた
 
 
じゃあ例の
鐵原に住むことが決まっているっていう
側室との婚儀のことかしら?
ヨンが国境から帰ってくるのを
きっと待っていたのね
 
もしかしたら
ヨンも叔母様も
私に言い出せないのかも知れない
 
 
「いいえ 私じゃないわ」
 
 
ウンスはなんとか笑顔を作って否定した
ボラは好奇心を抑えきれず
また尋ねた
 
 
「それは失礼致しました
 あのう もしかして…
 いいえ やっぱり結構です」
 
 
「何なの?
 気になるじゃない 話してみて」
 
 
「あのう もしかして…
 医員様が大護軍様の奥方様なのですか?」
 
 
そうよね この時代
男女が二人きりで食事するなんて
特別な仲って思うわよね
 
マンソクさんだって
二人きりになるのは
問題だって言ってたし…
 
 
ウンスはなんと説明しようか考えて
少し悲しくなったが
また 笑顔を浮かべて答えた
 
 
「いいえ 違うわ
 私と大護軍は古くからの知り合いなの」
 
 
「そうですよね
 奥方様は
 お屋敷にお住まいですよね
 大変失礼致しました
 
 医員様がお綺麗なので
 てっきり噂の奥方様かと思いました」
 
 
「噂の奥方様ってどういう意味なの?
 どんな噂かしら?」
 
 
「私はまだ大護軍様も奥方様も
 お見かけしたことはございませんが
 お二人があまりにも仲睦まじいので
 宮中で噂になっているのです」

 
「えっ 宮中で?」
 
 
この前 四阿で
ヨンと奥方が抱き合ってたことかしら?
 
 
「はい
 とても美しい奥方様だそうです
 それに大護軍様はいつも
 奥方様と手をお繋ぎだそうでございます」
 
 
ボラは恥ずかしそうに小声で話した
 
 
「医員様…
 私と同部屋の女官は
 大護軍様が奥方様を撫でたり
 抱きしめたりするのを見たのです
 でも中には
 お二人が接吻されているのを
 見た人もいるそうです

 宮中ですっかり噂になっているので
 実は私も 一度 お二人のお姿を
 拝見してみたいなぁって…」
 
 
ボラは頬を染めながら打ち明けたが
今度は驚きのあまり
ウンスの方が固まった


 

 
一度も屋敷に泊まってないと言っていたのに
宮中で噂になるほど仲がいいなんて…

じゃあ二人は
王宮内で会っているの?
夜は私と一緒だから
まさか昼間に?!
てっきり仕事で忙しいと思ってたのに

へぇ そうですか
私だけじゃ満足できないってわけね
いくら体力があるからって
随分とお盛んですこと

その上 側室も迎えるのね
 
私だけ何にも知らずに
自分だけ特別愛されてると思って
はしゃいでたなんて
バカみたいだわ
 
でも
これが高麗で生きていく現実
こんなことで一々動揺してたら
ここではやっていけないのよね
 
 
急に元気がなくなり
ため息をついたウンスに
余計なことを喋りすぎたと
ボラは慌てて謝った
 
 
「余計なことを申しまして
 すみませんでした
 
 では 私はまた 夕餉の時分に
 お伺い致します」
 
 
「ううん ケンチャナケンチャナ
 気にしないで
 じゃあ よろしくお願いします」
 
 
ボラが慌てて出て行った後
ウンスはしばらく
ぼんやりと
外を眺めていた
 
 
 
***