四年前
徳興君に刺された毒の解毒薬を作るため
ウンスとチャン・ビンはカビを培養していた
 
 
典医寺が襲撃を受けた際
その培養器を守ろうとして
亡くなったと聞いたチャン侍医
 
 
…チャン先生 生きていたのね
 
 
信じられぬ思いと湧き上がる喜びの中
ウンスは擦れる声で背中に向けて呼びかけた


「…チャン先生」
 
 
ウンスの小さな声と
異変に気づいたジウォンが声をかける
 
 
「オンニ どうしたの?
 また具合が悪くなった?」
 
 
ウンスは首を振り
もう一度 今度はしっかり声をかけた
 
 
「チャン先生!」
 
 
その人はゆっくりと振り返り
穏やかにウンスを見て答えた


 


「はい
 どうされました?
 もうご気分は良くなられましたか?」
 
 
振り向いた人を見て
ウンスの喜びは急速に萎んだ
 
 
チャン先生じゃない
でも 確かに返事をしたわ
どういうこと?
 
 
その人物は戸惑うウンスに近づくと
おもむろにウンスの手首をとり脈を診ている
 
 
「顔色は問題無さそうです
 先程よりだいぶ落ち着かれたようですが
 今 脈が速いのは
 もしや私が原因でしょうか?」
 
 
どうして?
まるでチャン先生のような話し方
 
 
「あの… 失礼ですが
 私が呼んだ時 どうして返事をされたの?」
 
 
柔らかく微笑んで その人は答えた
 
 
「チャン先生と呼ばれたからです」
 
 
「貴方もチャン先生というの?」
 
 
「貴女のチャン先生は
 もしや チャン・ビンのことでしょうか?」
 
 
頷くウンスにその人は
合点がいったような顔をして
 
 
「後ろ姿がそんなに似ておりましたか?
 私はビンの従兄弟のチャン・ジンです
 
 貴女は医仙様ですね」
 
 
チャン先生の従兄弟…
 
 
「ええ 昔はそう呼ばれていました
 でも今は 一医員よ
 
 チャン先生と間違えちゃってごめんなさい
 びっくりしたわ
 チャン先生にまた会えたのかと思って…」
 
 
瞳を潤ませたウンスに
チャン・ジンは静かに語った
 
 
「そうですか
 しかし私は貴女様に
 ずっとお目にかかりたいと願うておりました
 
 昔 僅かの期間でしたが
 ビンからの便りに貴女様のことが
 よく記されておりましたので
 
 今は私が典医寺の侍医を務めております
 これからどうぞよろしくお願いいたします」
 
 
落ち着いた静かな雰囲気は
チャン先生とそっくりだわ
 
 
「そうだったの
 私はウンスです ユ・ウンス
 高麗の医術はまだまだ修行中の身なの
 だから こちらこそお願いします
 
 あの こちらはユリとジウォンよ
 私の護衛をしてくれてるの ねっ」
 
 
ジウォンらが頷き頭を下げると
侍医も会釈を返し
典医寺に誘なうように
ウンスの横を歩き出した
 
 
「それに
 先日から診ていただいてるのに
 お礼も言わないままでごめんなさい
 
 医者なのに何度も倒れて恥ずかしいわ」
 
 
「いいえ
 もともと血虚気味だったところに
 旅のお疲れが重なったのでしょう
 
 どうか無理はなさらぬように」
 
 
「ありがとう
 
 あの 私ね
 挨拶が遅れてしまったけど
 明後日から典医寺で
 働かせてもらうことになってるんです」
 
 
二人は話しながら
典医寺の中に入って行き
ジウォンとユリは典医寺の前で待機した
 
 
「はい
 王妃様の主治医になられると伺っております
 
 ビンから見た事もない医術を施されると
 聞いたことがありましたので
 とても楽しみにしておりました」
 
 
「そうなの?
 期待させて申し訳ないんですけど
 今は医術の道具が無くて
 縫合もオペもできないの
 ごめんなさい」
 
 
「とんでもありません
 貴女様の知識の広さ深さにビンは
 驚きと感動の毎日だと言って
 貴女様をとても尊敬しておりました」
 
 
「そんな チャン先生こそ
 とても素晴らしい知識と研究で
 私の師匠だったんです
 たくさん 助けていただきました」
 
 
そういうとウンスはまた涙ぐんだ
椅子を勧められウンスが掛けると
チャン・ジンは
優雅な手つきで茶を淹れはじめた
 
 
お茶の淹れ方まで
まるで チャン先生のようだわ
 
 
「どうぞ
 心が安らぐはずです」
 
 
ウンスの前に静かに茶を置いたチャン・ジン
自らもゆっくりと茶の香りを楽しんで一口含み
ウンスが一息ついたのを見計らうと願い出た
 
 
「どうか これからは私にも
 貴女様の持つ天界の知識を
 ご教授くださいませんか?」
 
 
「ええ もちろん
 でもそもそも天界の知識というより
 遥か遠い西国の知識なんですよ
 
 逆に私はまだまだ高麗の医術は未熟で
 代わりという訳じゃないけど
 先生がよければ漢方や脈診を
 私に教えていただけません?」
 
 
「わかりました
 互いに精通した分野を
 指導し合うということでどうですか?」
 
 
「ええ それでオッケーよ!
 お互いに協力しましょ
 これからよろしくね!」
 
 
〝おっけー〟とは
ビンの言っていた天界語か?
 
 
ウンスがすっと手を差し出すと
チャン・ジンもさっと手を出し握手した
 
 
高麗で何の説明もなく
握手に応じる人は珍しく
手を出したウンスの方が
少し驚いた顔をすると
 
 
「私はビンと共に
 天竺国と元で修行しておりましたので
 そちらでは異国の方々との交流もありました
 しかし
 高麗で握手を求められたのは
 貴女様が初めてです」
 
 
「まあ凄い! 先生 国際派ね!」
 
 
ウンスから にこっと微笑まれ
チャン・ジンは内心慌てていた
 
 
こんな屈託のない笑顔を向けられては
ビンが心を奪われたのも納得できる
チェ将軍も心配が尽きないだろうな
 
 
「私のことは貴女様じゃなく
 ウンスって呼んでください
 私はなんて呼べばいいかしら?」
 
 
ジンは苦笑し
 
 
「名を呼び捨てになどできませぬ
 チェ将軍の不興を買ってしまいます
 
 私のことは
 チャン先生でもジンでも侍医でも
 呼びやすい呼び方で」
 
 
「じゃあ ジン先生
 お茶のお礼にこれどうぞ」
 
 
ウンスは石鹸をひとつ差し出した
ジンは早速包みを開き
石鹸を摘むと匂いを嗅いだ
 
 
「ほお これはもしや石鹸では?
 これもビンからの文に書いてありました
 生薬などの成分も加えて
 病の予防的観点から
 医仙殿と共に研究していると
 
 他には確か 歯の磨き粉や
 髪の保湿液を作られていたとか」
 
 
「そうそう 懐かしいわ
 また時間があれば作りたいけど…
 
 とりあえずこの石鹸は賄賂です
 あのね 驚かないでね」
 
 
ウンスが声を潜め
顔を寄せてきたので
侍医は耳を傾けたが
ウンスから漂う甘い香りに
ドキッとして
一瞬 惚けてしまった
 
 
「実は私
 漢字がほとんど読めないの
 だから
 私を教えるのはとても根気が要るのよ
 
 でも やればできる子だから!
 自分で言うのもなんだけど
 頭は悪くなかったのよ うふふ」
 
 
そういって笑うウンスにつられて
侍医も自然と微笑んでいた
 
 
 
***
 
 
 
「こちらは王妃様を担当している
 医女のジミンです
 指先の感覚が敏感な方で
 まだ若いですが脈診には長けております
 
 ジミン
 こちらは私が尊敬するユ・ウンス先生です」
 
 
女人の医官と会うのが初めてのジミンは
ウンスを珍しそうに見ていたが
憧れるチャン・ジンが
尊敬するほど凄い医官だと知り
驚きと緊張で固まっていた
 
 
「脈診ができるなんてすごいわ!
 ジミンさん
 私 ユ・ウンスです
 私はまだまだ脈診も未熟なのよ
 これからよろしくね」
 
 
ウンスがペコリと頭を下げたので
ジミンは恐縮し 慌てて言った
 
 
「そんな
 医官様 どうか頭を上げてください」
 
 
医官なのに私に頭を下げるなんて
こんな医官様 初めて…
 
 
ウンスから無邪気に微笑まれ
ジミンはドキドキしながら
自分もウンスにペコリと頭を下げた
 
 
不思議な雰囲気の方
なんだか暖かい春の陽のような笑顔だわ
 
 
ジミンがウンスの纏う空気に
頬を染めていると
 
 
「ジミンさんにお願いがあるのよ
 明後日から王妃様の診察に行くんだけど
 その前にカルテに目を通しておきたいの」
 
 
「かるて…ですか?
 それはどのようなものでしょうか?」
 
 
「あっ えーっとね
 王妃様の診療記録とか
 食事や体調を記した記録簿を見ておきたいの
 明日でいいんですけど」
 
 
「わかりました
 ご用意しておきます」
 
 
「あのねジミンさん…」
 
 
ここでウンスが声を潜めたので
ジンは察しがつき
笑いそうになるのを耐えていると
ウンスがちらっと可愛く睨み
 
 
「ジン先生 笑わないでちょうだい
 
 ジミンさん
 私 漢字の読み書きが苦手なの
 だから明日 私と一緒に
 記録簿を読んで欲しいんです
 ダメ?」
 
 
ジミンは驚いた
 
 
えっ?
脈診ができなくて
読み書きもできない人が
医官になれるの?
しかも 王妃様の主治医だなんて…
 
 
唖然とするジミンの気持ちを察して
ジンが声をかけた
 
 
「ジミン
 明日 診察の補助は外れても構いませんよ」
 
 
「あっ はい わかりました
 明日 ご一緒させていただきます」
 
 
「わ〜 ありがとう!
 これで王妃様の最近のご様子が把握できて
 治療方針が立てられるわ
 
 明後日 診察の後は
 カンファレンスをするから
 ジン先生も参加してね」
 
 
「か…かんふぁ…?」
 
 
ジミンが首を傾げて問い直す
 
 
「みんなでチームを…
 えっと
 同じ目標を持つ仲間が集って
 どうして行くか方針を話し合うの
 
 王妃様の体調を管理していくうえで
 先ず 王妃様ご自身とパートナーの王様
 そして叔母様…え〜っとチェ尚宮様と
 食事とか栄養面の担当部署と
 私たち典医寺で一つの仲間
 
 私たちはチームよ!」
 
 
ほお チームとは
これから楽しくなりそうだ
 
 
ジンは目を輝かせて参加を承諾した
そしてジミンは
 
 
王様や王妃様を仲間だなんて
なんて畏れ多いことを口にされるのかしら
でも…
 
 
典医寺に新たな風が吹く予感に
胸を高鳴らせた
 
 
古参の薬員ヨンノが通りかかると
ジンは呼び止めてウンスに紹介した
 
 
「ウンス先生
 ヨンノは王妃様の薬湯を煎じております」
 
 
ヨンノはウンスに挨拶すると
明後日 トギが典医寺に来ることを教えてくれた
 
 
ウンスは四年前に
不機嫌な顔をしながらも
いつもウンスを助け
世話をやいてくれた
トギとの再会を
待ち遠しく思うのだった
 
 
 
***