化粧水や石鹸作りが終わるとウンスは
ヨンから贈られた硯箱をだして
紙問屋で購入した大中小のそれぞれの紙で
カレンダーを作り始めた
 
 
国境で一月分作っていたのをベースに
とりあえず年末までの分を
自分用には算用数字で
周りに渡す分は漢数字でそれぞれ作り
大きい一部をマンボ姐に渡して
暦の見方を説明した
 
 
「これは天界の暦よ
 とりあえず天界の年末までを作ったわ
 
 ここが秋夕よ
 旧暦の…高麗の八月十五日ね
 秋夕から十六日で 今日はここ
 私がこの高麗に戻ってきて十八日目だわ
 
 天界では この横一列
 一週七日を基本にしてるの
 こっちから 月火水木金土日
 
 私ね 七日のうち三日
 月水金を典医寺で働くの
 
 だから もし姐さんがよかったら
 残り四日のうち一日
 火か木をここで働きたいの
 どうかしら?」
 
 
暦を覗き込んでいた手裏房の面々
一週七日並んだところを指差して
 
 
「じゃあ 七日に一日 うちで働くんだね」
 
 
「ええそう
 患者がいれば診察するし
 いなければ化粧品作りをするわ
 もちろん都合に合わせて変更もできる
 
 ほんとはもっと働きたいけど
 四年前と違って医術の道具がないし
 漢方薬も私はまだまだ勉強中だから
 正直言うと
 私 医者としてあんまり役に立たないの
 
 結局 診察っていうより
 健康相談や美容相談が中心になるかしら」
 
 
「なるほどね うちはそれでいいよ」
 
 
「暦は一日過ぎれば
 こうして✔︎消していけばいい
 私が仕事をする日は□印をつけるわ」
 
 
ペクが尋ねた
 
 
「ウンスや 残りの日は何をするんだい?」
 
 
「残りは自分のための時間よ
 調べ物や勉強したり
 お茶したり 遊びに行ってもいいし
 ゆっくり体を休めたりね」
 
 
「じゃあ この暦はここに掛けておくよ
 これで天女の予定が一目瞭然だ」
 
 
「おい天女
 お前さんが作った化粧水の小瓶
 妓楼の行首に渡してきたよ
 天女が作った珍しいもんだと言ったら
 大喜びして
 他の女人も欲しがってたよ」
 
 
「ありがとうアジョシ
 これで財閥街道まっしぐらだわ!」
 
 
 
***
 
 
 
夕刻 牢番から連絡があったので
アン・ジェと向かったヨン
 
 
「大護軍
 奴に握り飯と酒と御菜の差し入れがありました
 号牌には奴婢でチンとありましたが
 主人の名や下の名は削られていました
 
 一応 後をつけようとしたんですが
 かなり警戒する男で無理でした」
 
 
「では 恐らく逃亡奴婢であろう
 奴は?」
 
 
「受け取りましたが
 口をつけずにおります」
 
 
ヨンは牢番に
厨房(チュバン)から
銀の箸と鼠をもって来させた
 
 
牢に入り
男の前に置かれた差し入れに箸を刺す
御菜は問題なかったが
酒に入れると箸は真っ黒く変色した
 
 
御菜に少し酒を混ぜ鼠に食わせると
鼠はしばらくして悶え出し
やがて動かなくなった
 
 
「ひっ 」
 
 
男は悲鳴をあげ顔を引き攣らせた
 
 
「これで今 お前は死んだ」
 
 
「持ってきたのは
 賭場の主人をヒョンと呼んでいた奴です
 早く 雇い主を捕まえてください」
 
 
男はすっかり怯えていた
ヨンは男を遺体を運び出すようにして
別の牢へ移せと命じた
 
 
「アンジェよ
 賊と雇い主の繋ぎをしていた下女は
 どうやらチェ家の使用人らしい」
 
 
「それは真か!」
 
 
「ああ 今 屋敷内に軟禁しておる
 雇い主は賛成事の娘か奥方のようだが
 あと少し証拠を固めねばならん」
 
 
「やっと奥方が戻ってきたというに
 お主も苦労するのう」
 
 
「まったくだ」
 
 
牢番に賄賂を渡した男が
門衛らにも近づいている情報までは
この時 ヨンは掴めていなかった
 
 
今日こそ ウンスを屋敷に連れ帰り
ゆっくり二人で過ごそうと
アン・ジェとわかれ
ウンスを迎えに手裏房宿に向かっていたヨン
 
 
その頃
門衛らが所属する監門詰所内で
賄賂や差し入れが渡されて
気分よく酒を呑む衛兵らに
赤毛の怪しい女人の噂が流されていたことには
全く気づく由もなかった
 
 
 
***
 
 
 
手裏房宿に着いたヨンが
ウンスに顔を見せても
ウンスの胸中は複雑で素直に喜べなかった
 
 
こっちに来てくれるのは嬉しいけど
奥方のところに戻らなくても
大丈夫なのかしら?
 
 
昨夜
ヨンが自分の寝間に
潜り込んだとは気づいていないウンス
 
 
開京に着いてからのヨンは屋敷に泊まり
夜は奥方と過ごしていると思っていた
 
 
自分を睨むミンソの視線を思い出し
ヨンが近づくと思わず後退りして
身をすくませた
 
 
貴方が奥方と過ごしていたと思うと
やっぱり私
とても平気な顔で
貴方を受け入れられそうにないわ
 
 
「イムジャ どうしたのです?」
 
 
ヨンが戸惑って尋ねたが
ウンスは首を振るだけで答えず
誤魔化すように
ヨンにカレンダーを突き出した
 
 
「暦を作ったの
 一応 貴方の分も作ったんだけど…
 要らないなら他に回すから気にしないで」
 
 
「もちろん要ります
 イムジャと相談したい予定もあるゆえ」
 
 
ヨンは暦を開いてみると
日付の下にいくつか印があった
 
 
「この印は?」
 
 
「ああ それはね
 ○は典医寺 □は手裏房 という印よ」
 
 
「手裏房?」
 
 
「ええ 手裏房で副業するの」
 
 
「はっ? 副業?
 イムジャ どういうことですか」
 
 
「化粧品を作ったり
 患者がいれば診察もするわ」
 
 
途端にヨンは不機嫌になり
マンボ姐に詰め寄った
 
 
「おいマンボ どういうつもりだ!
 イムジャで金稼ぎする気か!」
 
 
「ちょっとヨ…    チェヨンさん
 私がやりたいってお願いしたのよ
 姐さんを責めないで」
 
 
いつもと違う呼ばれ方も気にかかったが
それよりも
 
 
「イムジャ 何故 副業を?」
 
 
えっ 天門への旅費稼ぎなんて言えないわ
どうしよう…
 
 
「あのね ほら 私
 この時代に慣れてないでしょ!?
 すごく世間知らずだから
 高麗の生活を知るための社会勉強として
 姐さんにお願いしたの
 
 他所でやるより
 此処だと安全だし安心だから」
 
 
暫く黙って考えていたヨンだが
ウンスが高麗に馴染もうと
努力しているのだと解釈し
しぶしぶだが認めることにした
 
 
「イムジャ
 決して無理はせずに
 手裏房の日は
 いつ休んでもいいのですよ」
 
 
「仕事をするからには
 典医寺も手裏房も同じよ
 でも 無理はしないから安心して」
 
 
その後
手裏房らとの夕餉を終え
ヨンの言葉にウンスは ぎょっとした
 
 
「イムジャ そろそろ帰りましょう」
 
 
「えっ 帰るって何処に?」
 
 
「もちろんチェ家の屋敷です
 イムジャはまだ屋敷を見ておらぬので
 俺が案内します」
 

 


嘘でしょ!?
他の女と一緒に暮らす家に行くなんて
絶対に嫌よ!
 
 
「今日こそ 屋敷を見てください
 急ぎ 相談したいこともある故
 さあ 参りましょう」
 
 
「ヨ…    チェヨンさん
 高麗では当たり前のことかも知れないけど
 私には無理だわ
 
 貴方は自分の屋敷なんだから
 私のことは気にしないで一人で帰って
 私は今夜も此処に泊めてもらうから
 姐さん いいでしょ?」
 
 
顔色を変えたウンスはジウォンの腕を引いて
逃げるように部屋へ入ってしまい
とり残され唖然とするヨンにマンボ姐は言った
 
 
「焦るんじゃないよ
 まだ 彼奴らが屋敷に居るんだろ?」
 
 
「だが使用人部屋は母屋や内棟とは離れておるし
 立ち入り禁止にしておる」
 
 
「だから男はダメなんだよ
 ウンスの気持ちも考えな
 
 いくらヨンの実家といっても
 ウンスにとっては初めての家なんだよ
 
 しかも 同じ敷地内に
 敵意剥き出しの女たちがいて
 何されるかわからないのに
 帰りたいわけないだろ
 
 昼間にちょっと屋敷を見る程度ならともかく
 慣れない屋敷に泊まるなんて当分無理だね
 
 彼奴らのカタがつくまでは諦めな」
 
 
この日のために
四年前から少しずつ屋敷に手を入れ
ウンスの身の回りの物を揃え
薬草園を作ってきたというに

何故あの家の正統な女主人が屋敷に入れず
資格のない女たちがのさばっておるのだ


ヨンはまた
がっくりと肩を落とし
ウンスのいる部屋の前で座り込んでいた


 



***
 
 
 
部屋に入ったウンスは
心配するジウォンに先に休むと告げると
寝台で自分を抱くように丸くなり目を閉じた
 
 
ヨンとは一緒にいたい
でも奥方のテリトリーには入りたくない
 
 
だからといって
自分からヨンに
奥方の元へ帰るよう言ったことにも傷ついて
自己嫌悪と嫉妬が渦巻き
 
 
いつかこの状況に慣れる日なんて来るの?
 
 
明日からの日々がまた不安になり
ウンスの心は悲鳴をあげていた
 
 
 
***
 
 
 
なかなか寝付けなかったウンスだが
一旦 眠りにつくと心労のせいか
ぐっすりと深く寝入った
 
 
半刻程経った頃
ジウォンが静かに部屋から出てきて
ウンスが眠った事をヨンに知らせ
ヨンはジウォンに礼を言うと
昨夜のようにまた
眠るウンスに寄り添い
そっと抱きしめた
 
 
たとえ寝顔しか見られなくても
ウンスを抱きしめて眠れるなら
離れ離れよりずっとましだ
 
イムジャはさらに痩せてしまったようだ
 
開京に着けばイムジャに少しでも
楽な暮らしをさせてやれると思っていたが
このままではイムジャがまた倒れてしまう
 
 
ヨンは
ウンスが安心して屋敷で暮らせるよう
一刻も早く賛成事一家の悪事を暴き
チェ家の使用人共々
処罰することに気を取られ
 
 
誰もウンスの本当の苦悩の理由を知らぬまま
最初に釦を掛け違えたことに気付きもせず
偽の奥方に悩まされ
ウンスの心は疲弊して行った
 
 
互いに相手を深く想い合うがゆえに
心配や迷惑をかけられぬと
胸の内に不安や悩みを隠したままで
何より
じっくり話し合う心の余裕が
今の二人には無かったのだった
 
 
 
***