一旦 坤成殿から下がり
旅の疲れを落とすようチェ尚宮から勧められ
ウンスは武閣氏宿舎で湯浴みをした
 
 
用意されていた下着を身につけた時
チェ尚宮がウンスに近づき
 
 
 
 
 
衣を合わせ 襟を整えたり乱れを直したり
最後に腰帯を綺麗に結んで頷いた
 
 
あの戯け者
ウンスの首筋に仰山  痕を残しおって
しっかり袷を整えんと
吸い付いた痕が見えてしまうわ
 
 
「よかった
 着丈もちょうど良い
 だが 少し痩せたか?」
 
 
「ええ 少しだけ
 でもここに帰ってきたら
 みんな私に食べ物を勧めてくれるから
 すぐ元に戻っちゃうわ」
 
 
そう言って子供のように舌を出したウンス
 
 
「これこれ はしたない」
 
 
言葉ではやんわり諌めたが
チェ尚宮はにこやかにウンスの姿を眺めた
 
 
「これからしっかり食せば大丈夫じゃな
 それにしても
 よう似合うておるわ」
 
 
「この衣は叔母様が用意してくださったの?」
 
 
「いつ戻ってもいいように
 ちぃとずつ縫うておったが
 其方の道草が長かったので
 だいぶ衣もたまったよ
 気に入ったか?」
 
 
チェ尚宮が手ずから縫って待っていてくれたと知り
治まっていたウンスの涙腺はまたも崩壊した
ウンスはチェ尚宮に抱きついて
 
 
「叔母様 ありがとう 本当にありがとう
 とっても素敵! 叔母様 センス抜群ね!」
 
 
ウンスが半泣きで天界語を口にしているが
とにかく喜んでいることは
チェ尚宮に伝わった
 
 
「ヨンが次々と
 其方に似合いそうな生地を見つけては
 縫うてくれと持ってきておったで
 当面の衣は揃っておるはずじゃ」
 
 
「えっ ヨンアが?」
 
 
「ああ
 あんな甥は初めてじゃ」
 
 
チェ尚宮は思い出すように笑った
 
 
ウンスはずっと気にかかっていた
ヨンの奥方のこと
そして
今後の高麗での生活のことを
チェ尚宮に切り出した
 
 
「叔母様 あの…
 奥方の件 聞いたんですが…」
 
 
「ヨンに聞いたか?」
 
 
「はい…
 
 はじめ迂達赤の隊員から聞いて
 その後 ヨンに聞きました
 
 あの…    いつ頃のことですか?」
 
 
「族譜に正式に妻と記したのは三年ほど前だが
 ヨンから妻にしたと聞いたのは四年前じゃ」
 
 
族譜って戸籍のことよね
じゃあ 私が天門を潜って間も無く
誰かと知り合って
一年後に正式に結婚したってことか…
 
 
ウンスの表情が曇ったのを見てとったチェ尚宮は
申し訳なさそうに言った
 
 
「其方の気持ちを無視して
 勝手なことをしたのは申し訳なく思うているが
 あちこちから縁談の申込みが絶えず
 ヨンには苦肉の策だったのじゃ
 だから 責めないでやっておくれ」
 
 
「責めるだなんて そんな…
 私がいつ戻るかもわからなかったんだから
 とやかく言うつもりは…
 
 ここは高麗なんだもの
 仕方なかったことだと思っています
 彼がどんな立場かも
 よくわかりましたから」
 
 
「其方がわかってくれて安堵した
 やはり女人はいつの世も
 婚儀に思い入れがあろうからな
 
 ウンスや
 心配せずとも族譜の記録とは関係なく
 其方の思うようにしてくれてよいのだぞ」
 
 
族譜の記録と関係ないなら
戸籍には記録できないってことね
 
でも
私の思うようにしていいなら
結婚はできないけど
好きならそばにいていいってこと?
入籍できないけど事実婚?
 
つまり高麗だから
何処かに囲われる妾ってことかしら
 
とにかく叔母様も
私とヨンの関係は認めてくれてて
反対してないってことは確かよね
 
結婚に特別な思い入れはなかったけど
ウェディングドレス
やっぱり一度は着てみたかったな
まぁ 高麗だから婚礼衣装だけど
 
あ〜あ    なんだか残念…
着れないってなると急に
着てみたくなっちゃうなんて
バカねウンス
晴れ姿を見せる人もいないのに
 
はぁ〜 なんだか
ちょっと悲しくなってきっちゃった
でも
私にはこの
ヨンと叔母様の心が籠った衣があるんだから
それだけでも十分 有難いわ
 
 
ウンスが思いを巡らせていると
チェ尚宮が少し照れたようにして
声を潜めて言った
 
 
「私は嫁いだことは無いが
 高麗のことはわかる故
 なんでも相談に乗るぞ
 
 それにな
 王妃様も気にかけておられて
 実のところ其方から相談されるのをお待ちじゃ」
 
 
穏やかに微笑みウンスを見つめるチェ尚宮
 
 
王妃様に高麗の妾事情を相談するなんて…
 
でも そう言えば
王妃様も側室のことでお悩みだから
いろんな立場で相談に乗ってくださるのかしら
 
まあ 確かに
どこかで愚痴ったり吐き出したりできれば
随分 気分は違うだろうけど
 
王妃様はお立場的にも
なかなかストレス発散もできないだろうし
これからは私と一緒に愚痴ればいいわね
 
 
「わかりました
 いずれ機会を見て王妃様にも相談してみます」
 
 
「いずれなどと悠長なことを
 何かと準備に時間もかかるだろう
 できるだけ早よう決めておくれ」
 
 
確かに妾として何処かで囲ってもらうなら
住まいの用意とかあるんだろうけど…
 
奥方が反対してるなら
ヨンには頼らない方がいい
 
私はただヨンを待つだけの女でいたくないし
ここでも医師として
ちゃんと自立した女でいたい
 
あ〜やっぱり
頑張って医師免許取っといてよかったわ
 
 
「叔母様
 家のことは何とかします
 私 できたら典医寺かどこかで
 また医員をしたいんです
 王妃様のことも診て差し上げたいんですが
 お許しいただけるでしょうか?」
 
 
ウンスもチェ家の体面を気にかけて
チェ家長老の許可を求めてくれておるのだな
 
だが ウンスほどの医員なら
チェ家の奥を取り仕切るだけではもったいない
 
 
「ウンスは屋敷で
 おとなしくしておるような女人ではないと
 ヨンも言うておったが
 やはり其方は医員が天職なのだな
 
 もちろん
 王妃様は其方をずっと待っておられた故
 また典医寺で勤めることを私も止めはせん」
 
 
「よかった
 ありがとうございます
 安心しました」
 
 
 
これで高麗でも
自立したキャリアウーマンとしてやっていけるわ
 
 
ウンスが高麗での生活の目処もつき
ほっとしていると
チェ尚宮は懐からひとつの箱を出して
ウンスに開けて見せた
 
 
「ウンスや
 これはチェ家の奥方に代々伝わっておる簪じゃ
 翡翠は正妻であることの象徴
 これからは其方が持っておれ」
 
 
「えっ?
 そんな大切な物
 私が持っていていいんですか?」
 
 
「ああ
 〝見金如石〟がチェ家の家訓故
 これからも大したことはしてやれんが
 ヨンも ヨンの母も
 其方にこれを身に付けて欲しいはずじゃ
 そしてまた
 ヨンアと其方の子へと
 これを引き継いで行って欲しい」
 
 
ウンスは簪を見つめ
また胸がいっぱいになった
 
 
「ウンスや
 これからは家族なんだから
 何でも相談しておくれ
 本当に戻ってきてくれて安心したよ」
 
 
チェ尚宮は簪を握るウンスの手を
両手で包み込み
これでチェ家の行く末も
安泰だと心から安堵した
 
 
私みたいな妾?愛人?…のことも
家族っていってもらえるなんて
有難いことよウンス
 
叔母様が味方だと思うと
本当に心強いわ
 
 
きっと叔母様なりに私を慰めようと
せめてもの誠意で
この簪を譲ってくれたのね
 
 
たとえヨンと結婚はできなくても
この簪は
正妻と同じように私を大切に思ってくれる証
叔母様の真心が籠っているんだわ
 
 
「叔母様
 簪 大切にします
 これからもどうぞ  よろしくお願いします」
 
 
 
***
 
 
 
再び 王妃の待つ坤成殿に戻った二人
 
 
王妃の顔を見るなりウンスは
王妃にお願いをした
 
 
「王妃様 もしよろしければ
 また以前のように 王妃様のお体を
 私に診察させていただけませんか?」
 
 
「もちろん童はそのつもりでおりました
 
 あの 姉様…
 童はまた 王様のお子を授かれるでしょうか」
 
 
「王妃様 まだちゃんと診察していないので
 なんとも言えませんが…
 でも 王妃様が王様のお子を抱けるよう
 私がお支えしていくつもりです
 
 先ずは月経周期の把握と体質改善から
 叔母様にも協力していただいて
 妊娠しやすい体に変えていきましょう
 
 でも 天界でもそうですが
 体質はすぐに変えることはできないんです
 三年とか五年とか 結果が出るまで
 長い道のりになりますが
 王妃様 それでも耐えられますか?」
 
 
 

 
「童は姉様を信じます
 王様のお子をいつかこの手に抱けるなら
 姉様のお言葉に従います」
 
 
真面目で愛に一途で可愛い王妃様
強いお心と覚悟をお持ちの王妃様
なんとしても王様のお子を抱かせてあげたい
 
たとえ それが歴史を変えることだとしても
私が出来ることは何でもやるって決めたもの
 
四年前に王妃様を助けたのも
李成桂を助けたのも
結果として
歴史が歪むのを防ぐことになったわ
 
天門が私をまたこの時代に送ったのは
きっと何か意味があるはず
 
私が高麗に戻った意味が
ヨンと結ばれるためじゃなかったのなら…
 
医師として生きること
王妃様が懐妊した時
無事に出産できるようサポートすること
 
それこそが 天門が私を此処に送った理由
 
私が此処 高麗で
生きる意味かも知れない
 
 
 
***
 
 
 
一方 康安殿を出たチェ・ヨンは
関わりたくない人間の一人である賛成事に
声をかけられていた
 
 
「大護軍よ
 無事の帰還 なにより
 
 うちのミンソも大護軍の帰還を
 長く待ち侘びておったので
 今日は王宮まで大護軍を出迎えに参った次第
 どうかこの後
 娘と会って話をしてやってくれぬか」
 
 
ヨンを待ち伏せしていた賛成事は
伺っているようで
それは命じているのと同じだった
 
 
「大監(テガン)
 求婚書の件は誠に申し訳なく思っておりますが
 そもそも某は 何年も前に
 見合いも縁談の申し込みもお断りしております
 
 二年前の求婚書もチェ家の人間や仲人も通さず
 出陣前の多忙な折
 一方的に執務机に置かれていたような状態で
 御家の品位を問われるようなそのやり口も
 正直 不愉快にて
 某 承服致しかねます
 
 それに某にはすでに妻がおることも
 お伝えしております
 
 どうか某とのご縁は今後も無いものと
 ご理解くだされ」
 
 
 

 
ヨンはきっぱり言い切った
だがそんなヨンの反応は想定済みの賛成事
 
 
「御主の気持ちはよくわかった
 だが せめて会うだけでもいい
 ここまで一途に待った娘の気持ちを
 汲んでくれぬか」
 
 
ヨンはここで会わなければ
この先もずっと煩わされると判断し
酷かと思ったが直接
娘に断るのが早かろうと
会うことを承知した
 
 
「少し先のあの四阿に娘が待っておるので
 大護軍 よろしく頼む」
 
 
賛成事はそう告げると ヨンの背中を押した
 
 
 
***
 
 
 
四阿へと続く回廊で
そわそわしている賛成事に
数名の塊で通りかかった重臣の一人が声をかけた
 
 
「大監 こんなところで
 何をされているのですか?」
 
 
賛成事は態とらしく苦笑して
だが
周囲に聞こえるように言う
 
 
「お恥ずかしいところを見られてしまった
 
 今 大護軍と娘があちらの四阿でな…
 その なんだ
 若い二人が久々に会うたのじゃ
 屋敷まで待ちきれんようでな…」
 
 
そう言って暗に
二人の逢瀬を装った
 
 
「おやおや
 しかし
 長く国境勤めだった大護軍も
 ようやく愛しい女子に逢えたのです
 それも致し方ないことですな」
 
 
「大監のところはようやく婿殿が開京に戻り
 これから婚儀の支度で忙しくなりますな」
 
 
そう言って重臣らは遠目に二人を見遣り
嫌らしく大声で笑って立ち去って行った
 
 
歩哨に立つ迂達赤は
重臣らの会話が聞こえ驚いた
 
 
また通りかかった内官の耳にも入り
ヨンとミンソがまるで逢引していたかのように
話は瞬く間に尾ひれをつけながら
宮殿内を駆け巡った
 
 
 
***