CHODEMI

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朝鮮大学校 美術科のブログです。

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本日のブログ更新は研究員2年のリ・チョンファが担当します。
前の当番はサボってしまったので久々の投稿になります。今日は最近の出来事(とても個人的な)について話したいと思います。

先週、友達の演奏会に行ってきました。パーカッションとコントラバスのデュオ リサイタルでした。
コントラバスを弾く彼女とは幼稚園からの幼なじみで、小中学生の頃同じピアノ教室で習っていてよく一緒にレッスンを受けました。彼女は何をするにも不器用で、ピアノのレッスン中は特に先生に同じことを繰り返し怒られるような子でした。それに比べ私の方は呑み込みが早く要領よくこなしていたようで、彼女が怒られるのを横で見ていた記憶があります。
その彼女の姿を今回演奏会で見ることになり、そして演奏を聴き正直驚きました。
私はわくわく興奮するような楽しみを感じていました。それは、明らかに演奏者である彼女が作り出すものでした。
小学生の頃、私の目には怒られている彼女がピアノを楽しんでるようには見えませんでした。でも、それは私の勘違いだったのだと気付き彼女は楽しくて、好きで音楽をしているのだと実感しました。そして、一つの事を続けている彼女を尊敬しました。
私は次の日その感想を彼女に伝えました。
とても楽しい演奏会だったことと私が良かったと思う曲を3曲上げ、お疲れ様と。
すると、彼女は私が上げた3曲の曲目を聞き、「チョンファ(私)好きそうだなと思った。」と言いました。
私はその時、良かったと思う曲が私が好きな曲であることを確認しました。私は自分が何が好きなのか、自分のことをもっと知ろうと思いました。彼女が音楽が好きで自分が好きな曲を知り、私がどんな曲を好むのかをわかるように。
パーカッションとコントラバスのデュオリサイタルは、組み合わせが稀で新鮮な感じでした。稀で新鮮なだけでなくそこに引き込まれる楽しさを覚えた私は演奏者である彼女の個性のようなものを感じました。

人生論ノートの幸福について、個性についてを読み、最近の出来事で思うことがあり投稿してみました。


「人格は地の子らの最高の幸福であるというゲーテの言葉ほど、幸福についての完全な定義はない。幸福になるということは人格になるということである。…なぜなら、人格は肉体であると共に精神であり、活動であると共に存在であるから。そしてかかることは人格というものが形成されるものであることを意味している。」(『人生論ノート』 幸福についてから)


『人生論ノート』は三木清により1947年に書かれた本である。
死について、幸福について、懐疑について、偽善について、個性について、など23題ーハイデッガーに師事し、哲学者、社会評論家、文学者といて昭和初期における華々しい存在であった三木清の、肌のぬくもりさえ感じさせる珠玉の名論文集。

松岡正剛の千夜千冊の『人生論ノート』の紹介もおもしろいので是非読んでみてください(^-^)

最後は本の紹介になってしまいましたが、今日の投稿は以上です。

リ・チョンファでした。