2003年












世の中は、オレオレ詐欺が急増、「世界に一つだけの花/SMAP」が大ヒットし、冬ソナブームが起こり、地上デジタル放送が開始された。















31歳












シアターDに所属してから、毎月事務所ライブがあったのだが、僕は今までやってきたヤバいネタをそのまま事務所ライブでやっていた。













しかし、バトルライブや他のライブではウケていたネタが、事務所ライブでは全然ウケなかった。














それはそうだろう。













バトルライブの客層は、若いお笑い好きの女性のお客さんもいたが、出演者の友達も沢山いたから、男性客も半分ぐらいいた。













なので、僕みたいなヤバいネタを好みそうな男性客が笑ってくれていたし、それに釣られて女性も笑いやすい空気になっていたのだ。














でも、事務所ライブのお客さんはほとんどが若い女性だった。













僕のネタはドン引きされていた(笑)














事務所ライブは順位が出るのだが、僕はほぼ毎回最下位だった(笑)













僕は、














「なんとかしてこのお客さんにウケたい!!!」














純粋にそう思った。














理由はそれだけではない。














ずっとやっていたヤバい過激なネタに、行き詰まっていたのもあった。












ヤバい過激なネタばかりやっていると、自分の中でヤバい過激なネタに飽きて来るのだ(笑)













お客さんも、過激なネタを求めているし、それに慣れて来て、もっと過激なネタを欲するようになってくる。











いやいや、もうこれ以上過激なネタはないよ(笑)














もう舞台上で自殺したり客を殺したりしないといけなくなって来る(笑)











それはもうネタでも何でもない(笑)














なので、ちょうど僕も普通のネタをやりたいモードになっていたのだ。












僕は別に、














「ヤバいネタだけを一生やって行くぞ!」













なんて気持ちはさらさらなかったのだ。













しかし、そんなに急にポップなネタが出来る訳ではない。













ピン芸人としての芸歴もまだ浅いし、ネタのストックも全然なかった。














それから苦難の日々が続いた。














ずっとフリップネタをやっていたので、フリップで何かもっとウケるネタを作れないだろうか?














試行錯誤してネタを作るが、なかなかウケない。













そんな日々が1年以上続いた。















そしてある日の事務所ライブ。













ようやく少し反応がいいネタが出来た。












そのネタは、色んな雑誌とか本とかのおかしな所にドンドンツッコんで行くというネタだった。












昔で言えば「VOW」みたいな感じだ。












知らない人も多いと思うが、「VOW」というのは、街で見かけたおかしな物が載っている本だ。














それをもっとちゃんと5分のネタとして昇華させた。













まだ芸人でそういうネタをやっている人はいなかった。













この路線で行こうと決めた。













僕は色んな本屋や図書館を回って雑誌や本を見漁った。













そして「アパートマンション情報」の間取りに突っ込んだり、「テレビ番組表」「妖怪百科」「サンリオ図鑑」「英語の教科書」「占い」など、どんどん突っ込みどころを探してネタにしていった。














事務所ライブでも回を追うごとにウケるようになり、順位もどんどん上がって行った。














あんなにドン引きしていた女性のお客さん達も、いつの間にか爆笑するようになっていた。














そのうち僕は、事務所ライブ1位の常連になっていた。















事務所ライブの1位2位の芸人は、人気芸人が集結している「スペシャルオールスター」に出演出来た。












自分の所属事務所の事務所ライブではウケたけど、他事務所の人気者が集結するライブで、ウケるのだろうか?













もちろんそのライブには、他事務所の人気芸人を観に来ているファンが沢山いた。














スパルタ教育の事なんて知らない人がほとんどだ。













しかし、スペシャルオールスターでも、他の芸人と引けを取らないぐらいの爆笑を取った。















そのうち、スペシャルオールスターも常連のように出演する事になり、シアターD主催以外の各事務所の人気芸人が集まるライブにも呼ばれるようになった。













あのアングラテロリスト芸人が、ポップな芸人の仲間入りをした(笑)














ヤバいネタばかりをやっていた時から知っている芸人は、まさか僕がこんなポップなネタで爆笑が取れるようになるなんて思っていなかっただろう。













シアターDの芸人達もきっと想像していなかったと思う。














でも僕は、出来ると思っていた。















過激なネタをやっていた時も、過激なボケだけが印象に残っていて、ネタの全部が過激なボケだと勘違いされがちだが、実はそうではなかった。














ベタなボケが半分以上で、その中に効果的に過激なボケを織り交ぜていたのだ。














なので、実はベタだったり過激ではないボケでも笑いを取っていたのだ。














吉本で七丁目劇場に出演した時も、普段やっていた過激な漫才ではなく、シュールなコントをして笑いを取ったりもしていた。













まさにネタの使い分けを実践していたのだ。













そんな、ポップな芸人の仲間入りをしたスパルタ教育。












ある日、渋谷で各事務所のイチオシ芸人が集結してトーナメントを行うライブが開催された。













それこそスペシャルオールスターに出演しているようなメンバーが集まった。













スペシャルオールスターは順位を付けるようなライブではなかった。













だが今回は、そのメンバーでガチのトーナメントで勝敗がつく。












その当時まだシアターDというのは知名度が低かった。











なので、大手事務所の芸人からは、ちょっと舐められている部分を感じていた。












僕は、













「全員ぶっ潰してやる!!!!!!!!」















そんな気持ちでその大会に望んだ。













スパルタ教育は、あれよあれよという間に勝ち上がり、













周りの芸人や会場がざわついた














漫画とかでよくある、無名の弱小野球部が県大会を勝ち上がり、甲子園に出場し、強豪校を破って勝ち上がって行く、みたいな空気になった。














僕はその大会で準優勝した。
















ポップなネタをやり始めてまだ1年ぐらいだった無名の事務所の無名の芸人なのに準優勝だ。















上出来だ。















優勝は、オンバトでバリバリ活躍していた、飛石連休さんだった。
















周りの芸人が僕を見る目が一気に変わった。















優勝出来なかったのは悔しかったが、人気芸人達に、シアターDという事務所、そしてスパルタ教育という芸人がいるというのを知らしめる事が出来たと思った。















ポップな芸人になったスパルタ教育は、いよいよこの後もっとポップな場所に進んで行くのである。














そんな2003年、後にお笑いブームが起きるきっかけとなる「エンタの神様」がスタートし、テツandトモが大ブレイクを果たした。



2003年「爆笑問題のバク天」スタート

2003年「24」レンタルスタート
2003年漫画「シガテラ」連載スタート