僕がスパルタ教育として活動をフル回転していた2001年。

 











衝撃的なニュースが飛び込んで来た。




 










「千原ジュニアバイク事故」






 







え????
 














ウソだろ????






 







マジで????
 














ちょっと待ってくれよ。






 







千原兄弟と言えば、以前から書いているが、僕が上京して来た時、勝手にライバルだと思っていたコンビだ。
 













ダウンタウンの次に来る天才。






 






それが千原兄弟。






 









僕はその千原兄弟の活動をずっと気にしながら芸人活動を続けていた。













 
20歳前半。その当時は僕も自分を天才だと思っていた。












 
でもたまにネタ見せや自主ライブをするだけで、ほとんどバイトしているフリーターだった。
 











方や千原兄弟は大阪で既に絶大な人気を誇っていた。
 












全然比べ物にならない。




 









だが、そんなカリスマ芸人千原兄弟が満を持して東京進出を果たした1996年以降。













 
正直僕が思ってたほど千原兄弟は東京で活躍する事が出来ないでいた。




 






なぜだ??




 









なぜあんなに面白いのに売れないんだ????
 













僕は勝手にムカついていた。
 














ライバルであり、天才だと認めているコンビが、世間では全然認められていたかったからだ。
 













なんでこの面白さを分からないんだ???
 












テレビ局の人間は何をしてるんだ??
 












吉本はどこを見てるんだ???
 













僕はイラついていた。
 













そんな中、僕は吉本の養成所に入り、銀座七丁目劇場へ出演するようになった。
 












千原兄弟は渋谷公園通り劇場に出演していた。
 













僕は吉本を辞め、フリーになり、スパルタ教育で活動を始めた。
 












千原兄弟はたまにしかテレビで観ない。
 













その頃はまだ、「すべらない話」も「IPPONグランプリ」も始まっていない。
 












なぜだ???
 












おかしいだろ!!
 














あんなに面白い千原兄弟はテレビで全然観れないのに、
 













オンエアバトルでは、千原兄弟よりも面白くない芸人が沢山出演していた。
 












もちろん千原兄弟はオンバトで全然見かけない。
 














何がめちゃイケだよ!!!














なんで千原兄弟じゃなくてナインティナインなんだ???













なぜだ???




 










僕はそんなテレビや世間に対する怒りをスパルタ教育のネタに込めていた。
 













千原兄弟を出さないテレビなんかオレの敵だ!!!!
 












テレビなんかぶっ壊してやる!!!!!!
 














そんな精神がどんどん僕のネタをアングラな方向、テレビでは出来ない過激な方向に向かわせた。
 












そんな中、



 











「千原ジュニアバイク事故」






 








これからどうなるんだ??





 








千原兄弟はどうなるんだ???





 








ジュニアさんはどうなるんだ???




 









このまま引退して作家になるのか???





 









もう千原兄弟のネタは観れないのか??
 












おいおい
 













こんなはずじゃない!!!!
 













ゼロゼロ軍団で「わらいのじかん」に出演して、
 













ジュニアさんの前でキンキンにスベッて、
 













あいつら面白くないヤツだと思われたまま、ジュニアさんが引退するなんて
 












そんなの嫌だよ!!!!
 













畜生!!!!!!
 














このままジュニアさんの芸人人生が終わったら、テレビと吉本のせいだからな!!!
 













僕の怒りは増幅し、スパルタ教育はどんどん激しさを増すのである。
 











だから僕が過激になったのは、ジュニアさんのせいなのだ(笑)
 




 
そんな2001年「ココリコミラクルタイプ」がスタートした。



2001年「M/浜崎あゆみ」131万枚の大ヒット