僕は、東京に来てから、新人コント大会やギャグコレクション、いしだちゃん祭りなど、色んなお笑いライブを観に行って勉強した。
それと同時に、お笑い以外のその当時話題になっていた演劇も色々観に行っていた。
大人計画、キャラメルボックス、劇団☆新感線、ハイレグジーザス、などなど、そういう色んな物から何かを吸収しようと必死だった。
そして吉本でもがいていたある日、気になった芸人がいた。
鳥肌実
今や、知る人ぞ知る、地下お笑い界に君臨するカルト芸人である。
その芸風は、演説スタイルで、テレビでは放送出来ないようなネタをする、右翼芸人だ。
鳥肌実さんは、元々吉本の渋谷公園通り劇場に出演している時期があった。
その頃はまだそういうスタイルは確立されていなかったし、普通にコントをしていたらしい。
僕は、全然会った事もなければ存在すら知らなかった。
ところが、2000年辺りから、色んな雑誌やメディアなどで鳥肌実さんの事が取り上げられるようになった。
その時に僕は本屋で立ち読みをして存在を知った。
「こんな面白い芸人が地下にもいるんだ」
そう思った。
その時にはもう現在の演説右翼芸人スタイルのキャラが確立していて、ネタもめちゃくちゃ面白かった。
僕は相方にも話をし、一緒に日比谷野外音楽堂での公演を観に行った。
怪人社の人達がスタッフをしていた。
客席は超満員。
1人でずっと演説をし、爆笑を取っていた。
鳥肌実さんの演説公演は、全国展開されていて、チケット争奪戦が行われていた。
そう、鳥肌実さんは、舞台だけで食べて行く事に成功した初めての地下芸人だったのだ。
僕はそれに衝撃を受けた。
「こういうやり方もあるんだ。。。」
僕が今まで観て来た、たけしさんや爆笑問題さんは、劇場では過激なネタをやりつつも、テレビではテレビ用のネタに切り替えて使い分けるという手法だった。
過激なネタやテレビで出来ないようなネタが好きだけど、でもそれだけだと食べて行けないから、結局テレビで売れないといけない。
もちろんたけしさんも爆笑さんもずっと地下でやり続けるのは嫌だったに違いない。
だからと言って、過激なネタを捨てたくもない。
だからテレビ用も使い分けつつ、でも「劇場では自由に好き放題やらせてもらいますよ」という芸人としての自由な表現な場所として、そこで発散していたのだろう。
僕もそうやって劇場とテレビを使い分ける芸人になろうと思っていた。
その使い分けが出来ない芸人だったり、過激な事だけしかやりたくない芸人は、それはそれで、もちろんカッコいいのだが、ずっと地下の劇場でバイトをしながら芸人を続けて行く事になる。
それも1つのロマンだし、生き様だ。
でも僕はそうはなりたくなかった。
たけしさんもそうなりたくなかったから浅草フランス座から飛び出したのだ。
だが、鳥肌実さんは、過激な芸風で知名度を上げ、それだけで芸人として生活出来るスタイルを確立した。
これは凄い事なのだ。
SNSが浸透している今ならそれも分かるが、まだその当時はSNSもそんなに普及していないし、YouTubeも全然広まってなかった。
例えば以前のラーメンズさんのように、1度オンバトなどでテレビに出て知名度を上げてから、単独ライブの全国ツアーをメインにシフトチェンジして行き、舞台だけでメシを喰って行く芸人はいた。
だが、テレビにはほぼ出ずにそれが出来るというのはなかなか大変な事なのだ。
そこには鳥肌実さんの実力もあるだろうし、プロデュースしていた怪人社のIKKANさんの力もあるだろうし、テレビでは観れない過激なネタを欲しているカルトなお笑いファンの心を掴んだというのもあるだろうし、色んな事が重なっての事だろう。
お笑い芸人の生き方の選択肢として、過激なネタだけでファンを獲得し、全国ツアーをメインに飯を喰って行くという1つの道筋がここに切り開かれた。
それが後の僕の活動に影響を与えて行く事になるとは、この時はまだ気づかなかった。
そんな2000年、千鳥がコンビ結成した。
2000年ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」スタート