NSCを卒業した芸人が待ち受けているのは、銀座七丁目劇場で毎日行われているライブ「Bコミック」の中の1コーナー、
「虎の穴」
虎の穴は、1分コーナー、2分コーナー、3分コーナーと分かれていて、最初は1分コーナーからスタートする。
そしてお客さんのアンケート5段階評価の合計の平均点を出し、決められた平均点を超えると、2分コーナーへ昇格。
そこでも勝ち上がると3分コーナーへ昇格。
3分コーナーで連続して平均点を5回超えたら、虎の穴卒業というルールだった。
その虎の穴コーナーの出番は、1ヶ月に1度ぐらいだった。
毎年、その虎の穴コーナーを1番最初に卒業出来た芸人が、その期のイチオシ芸人としてプッシュされると言われていた。
もちろん品川庄司、ハローバイバイも1番最初にクリアして、それぞれその期のイチオシになったのだ。
当然ずっとその虎の穴の条件をクリア出来ず、そこに出続けている先輩も沢山いた。
そんな先輩に混じって、僕達も虎の穴で勝ち上がって行かなくてはならない。
しかも1番最初に。。
劇場のお客さんはほとんどが劇場で人気のある芸人を観に来ている人達で、虎の穴コーナーの芸人には全く興味がなかった。
そして、若い女子校生がほとんどだった。
そんな中で条件を満たさないといけない。
僕達は、毒舌漫才を封印した。
なぜなら、
絶対にウケないと思ったからだ(笑)
最初は、卒業公演でやったシュールなネタをやった。
ウケも上々で、なんとか1分コーナーをストレートでクリアした。
毎回ライブ後に作家さんからダメ出しがあるのだが、NSCで木曜に講師をしていた山田ナ◯スコ先生が、七丁目劇場の担当もしていた。
僕達は毎週怒られていたが、その日は、
「お前らこういうネタいいじゃねーか」
と、初めて褒めてくれた。
すごく嬉しかったのを覚えている。
僕達は、
「この先生嫌だな」
とか
「この先生はオレらの事嫌いなだけだ」
とか思っていたが、
ちゃんと生徒の事を思って意見を言ってくれていたのだなと気づいた。
そして翌月、
2分コーナー。
そこも、新ネタのシュールなコントをやった。
そこもいい感じにウケて、クリアした。
そのネタもNSCの時に毎週新ネタの漫才を作りつつも、テレビ的なコントを必死に考えていた時に出来たものだった。
よし!!
いい感じだ!!!
そしてまた翌月、
いよいよ3分コーナー。
その時点でストレートで3分コーナーに上がって来たのは、
マカナイXとトータルテンボスだけだった。
そうだ。
この2組のどちらかが、
3期のイチオシ芸人になるのだ。
だが、
僕達は、
3分コーナーでつまずいてしまった。。。
逆に、
トータルテンボスは、ストレートでクリアして、虎の穴を卒業した。
そう、
僕達は負けたのだ。。
そこからが地獄の始まりだった。
3分コーナーから全然抜け出せなかったのだ。
しかも、2分コーナーに落ちたりもした。
最初は順調だったのに、今度は逆に他の同期にもどんどん追い抜かれて行った。
ヤバい!!!!
ヤバい!!!!
僕達は埋もれた。。。
この時思った。
「NSCの時から劇場のお客さんにウケるネタをもっと作っておけばよかった(笑)!!!」
僕達はずっと時事ネタ漫才をしていたから、ニュースの旬が過ぎればそのネタは使えなくなる。
という事は、あれだけ毎週新ネタを苦労して作っていたのに、漫才の持ちネタがほぼないのだ。
もちろん、アレンジをして過去のニュースを新しいニュースに差し替えたりして作る事もあったが、そうしたとしても中身が過激過ぎたから、若いお客さんの前ではウケなかった。
シュールなコントのネタもそんなに毎回新ネタを量産出来るわけでもなく、以前から考えていたネタも、新ネタだからどこにも試していないから、ウケ具合も実際やるまで分からないし、安定もしていなかった。
自分のやり方が間違っていたのだろうか。。。
でも、それは何とも言えない。
NSCで埋もれるのを恐れて、過激な漫才し、結果目立つ事が出来た。
過激な漫才をしていたからこそ、永峰先生が気に入ってくれて、選抜コースに残れたし、吉本所属の最終メンバーにも残れ、七丁目劇場の虎の穴まで辿り着く事が出来たのも事実なのだ。
もし、NSCの時にポップな漫才やコントをやっていたら、目立つ事が出来ず、埋もれていた可能性もあるし、永峰先生の目にも留まらなかった可能性もある。
そして、最終メンバーに残れずに終わったかもしれない。
でも、トータルテンボスのように、NSCの時から劇場でウケるようなネタをし続けて、ちゃんと最終メンバーに残り、勝ち上がったコンビもいる。
逆にNSCの時、劇場でウケそうなネタをやっていたのに、埋もれてしまった芸人がいたのも事実だった。
こればっかりは分からない。
だが、結果的に、最終メンバーだけではなく、同期の芸人全員に劇場に出るチャンスがあると知っていたら、もしかしたら最終メンバーに残る事だけにこだわらずに、地道に劇場でウケるネタをしていたかもしれない。
だがまあとにかく、今こうして虎の穴から抜け出せなくなっている現実は間違いない。
僕は、とにかく必死で劇場でウケるネタを考えて、もがき続けた。
そしてどんどん他の芸人に抜かされて行った。
僕達は焦った。
1ヶ月に1度ぐらいしかない出番。
あっという間に時間は過ぎて行った。
気づいたら1年が経ち、
後輩の4期生までもが虎の穴に出演するようになった。
ヤバいヤバいヤバい!!!!!
焦りと悔しさの毎日が続いた。
そして僕達は、ようやくなんとか虎の穴コーナーを卒業出来た。
その時にはもうトータルテンボスは手の届かない所に行っていた。
そんな1998年、パイレーツの「だっちゅーの!」が流行語大賞になり、「大爆笑問題」がスタートし、サンドウィッチマンが結成された。
1998年漫画「殺し屋1」