東京に来ただけで、お笑い界の天下を穫った気になっていた僕は、地元の友達に、
「今、大阪でおもろい芸人いるか??」
と、時々聞いていた。
なぜなら、もう天下を獲ったから、次に下から出て来る芸人を今からチェックしておこうと思ったからだ(笑)←何様??
すると、友達から、
「今、千原兄弟っていうコンビがおもろいで」
そう聞いた。
千原兄弟??
聞いた事ないコンビやな。
僕は、友達から関西でやっている千原兄弟が出演している番組や、ネタのビデオを送ってもらった。
その当時はまだYouTubeなども全然なかったので、ビデオしかないのだ。
そして、
「爆笑BOOING」「二丁目ワチャチャライブ」「オールザッツ」「二丁目ワチャチャトーナメント」などのビデオを送ってもらって、千原兄弟のネタを観た。
ほほ〜
こいつら、
天才やな。
オレらのライバルになるのは、千原兄弟や!!!!!!!!
僕はそう思った(笑)
まだ東京に来て女装して化粧してママチャリで疾走してただけの人間が、千原兄弟をライバルだと思ったのだ(笑)
今は千原兄弟という名前はみんな知っているだろう。
そして、イメージとして、ジュニアさんは、「すべらない話」で面白い話をする人、しゃべりが上手い人というイメージ。
「IPPONグランプリ」で、大喜利が得意な人というイメージ。「プレバト」とかで、俳句が上手い人。みたいなイメージがあると思う。
せいじさんは、不倫とか海外によく行く人(笑)みたいなイメージだと思う。
なので、あまり「ネタ」のイメージがないと思うし、ネタも観た事ない人が多いと思う。
だが、ちょっと待ってくれと思う。
千原兄弟こそ、ネタがめちゃくちゃ面白いのだ。
ビデオでその時観た「マッハコント」
ショートコントよりももっと短いコントなのだが、その切れ味がキレッキレで、若手の中で飛び抜けていた。
他にも「辞書柔道」など、発明とも呼べるコントもあった。
大衆に合わせたと思われるコント「尾崎部」
トーナメントの最後にベイブルースさんと戦ったネタ「破壊」
ジャックナイフと呼ばれていたジュニアさん、そして2人のカリスマ性、天才的なネタの面白さ、発想力、尖り具合、ブラックさ、どう考えてもダウンタウンの次に来るのは千原兄弟だと僕は思った。
天然素材なんてゴミクズだと思っていた(笑)(←今は思っていません(笑))
それから僕は千原兄弟をライバル視し、常に情報を得るようにした。(←ただのファン)
エッセイの「ブラッドブラザー」を読み、
千原兄弟単独ライブ
「はじめツアー」
「金龍飛戦」
「右から2番目の星に住む迷子達の声」
「PINK」
などを相方を連れて観に行った。
大阪で開催されたトークライブ「スナアラシ」も観に行った。(←ただのファン)
東京で行われた単独ライブのパンフレットに、当時吉本の社長だった横澤さんのメッセージが書いてあった。
「千原兄弟が全国で活躍するには後10年かかるな」
と。
僕は、
は????
と思った。
こいつの目は節穴か????
どう考えても今の若手お笑い界でずば抜けて面白いのに、なぜ10年かかるんだ???
吉本がしっかりと売り出せよボケ!!!
天然素材なんかに力入れてる場合かよ!!!
と、はらわたが煮えくり返ったのを覚えている。
こいつらはオレのライバルだぞ!???
(←ただの熱狂的なファン)
絶対東京に出て来いよ!!!
待ってるからな!!!!
僕はそう思った。
ただ牛丼屋でバイトしてるだけの人間が(笑)
だが、結果的に、横澤さんの予言は当たる事になるとは、まだこの時は分からなかった。
そして話は変わり、
僕が東京に出て来た1992年。コンビを組んだ1993年。
その頃爆笑問題さんは、太田プロから独立して干され、ラママの新人コント大会や、東京ギャグコレクションというライブでしか観れなくなっていた。
僕と相方は、そんな時期にラママやギャグコレを観に行っていて、そこで誰よりもウケている爆笑問題さんを観ていた。
1992年から始まったボキャブラ天国。
その時巻き起こったボキャブラブーム。
僕は大嫌いだった(笑)(←今は思っていません)
全然面白いと思わなかった。
なのに大人気だったのが、腹立たしくて仕方なかった。
そんなボキャブラでキャーキャー言われていた芸人達が沢山出演していた中で、そんな奴らをぶっ潰して、ダントツでウケていたのが爆笑問題さんだった。
その時はまだ爆笑問題さんはボキャブラに出る前だった。
ネタの内容も、時事ネタ漫才なのだが、不謹慎なネタや差別的なネタをバンバンやっていた。
僕はそれを観て、テレビはテレビで、ライブはライブ。
ライブは芸人の聖域であって、テレビで放送出来る出来ないなんて関係なく、ウケる為に、その場のお客さんを笑わす為にだったら、不謹慎だろうが放送出来なかろうが何をやってもいいんだという精神と強い思いを感じた。
あくまでもテレビどうこう以前に、まず、芸人の原点はここなんだという事を身を持って表現していた。
たけしさんがそうだったように、僕もそれに共感したし、僕もそういう芸人でありたいと思っていたし、爆笑問題さんが目の前でそれを体現してくれている事によって、僕の中の後押しになったというか、そういう事をしてもいいんだというお墨付きをもらえた気がした。
そしてそういうネタでボキャブラメンバーをぶっ潰しているのがとても格好良く、
大阪のライバルは、千原兄弟。
東京のライバルは、爆笑問題じゃーーーーーー!!!!!!
と思うようになった(笑)
その後、爆笑問題さんは、1993年にタイタンを設立。
NHK新人演芸大賞を受賞。
1994年に「GAHAHAキング爆笑王決定戦」で、10週勝ち抜き、チャンピオンになった。
ほら見ろコノヤローーーーー!!!!
爆笑問題は面白いんじゃーーーー!!!!!
さすがオレのライバルだな!!!!!
と思った(笑)(←ただのファン)
そして、何よりも、ライブではあんなにヤバいネタを入れこんでいたのに、テレビではちゃんとテレビに合わせたネタでウケていた事も勉強になった。
不謹慎なネタやブラックなネタは、その部分が目立ってしまうので、ネタの内容というよりも、「ブラックな事や過激な事言ってるからウケてるだけだろ?」「そんなの誰でも出来る」とか「それは卑怯だ」みたいに思われる事が多く、評価されにくい場合も多々ある。
しかし、僕はそうではないと思っていた。
ライブでいくら過激なネタを入れこんでいても、ちゃんとした技術がないとウケる事は出来ないし、過激なネタでしっかりとウケるネタが作れている人は、それを省いたテレビで使えるネタも作れると思っていた。
たけしさんもそうだが、爆笑問題さんはまさにそれを証明してくれていた。
僕は、毎月ラママとギャグコレに爆笑問題さんを観に行った。
単独ライブ「JOKER」も観に行った。
雑誌に連載していた「爆笑問題の日本原論」も欠かさず立ち読みした。
買ってはいない(笑)
絶対に立ち読みしかしない(笑)
その後、僕はビデオに録画していたGAHAHAキングの爆笑問題さんのネタを何度も見返して分析をした。
ノートに全部セリフを書き出して、構成や展開を勉強した。
僕は元々ワイドショーやニュース、時事ネタが好きだったので、コンビで漫才をするなら、時事ネタ漫才が1番合っていると思っていた。
そこに爆笑問題さんとは違う、自分達なりのエッセンスや過激さを入れこむネタをしようと思っていた。
なので、そんな僕には爆笑問題さんの漫才は、最高の教材になった。
そして、近いうちにその爆笑問題さんや千原兄弟さんと遭遇する機会はやってくるのである。
ざわざわざわざわ
そんな1994年、千原兄弟、爆笑問題等が出演する番組「お笑いダンクシュート」がスタートしたのである。
1994年「HEY!HEY!HEY!」スタート
1994年「投稿!特ホウ王国」スタート
1994年ドラマ「人間・失格」スタート