2013年
世の中では、半沢直樹が大ヒット、ふなっしーが大流行、「今でしょ!」「じぇじぇじぇ」「おもてなし」が大流行、矢口真里不倫騒動が起こり、AKB48峯岸みなみが丸刈り謝罪騒動が起こった。
41歳
衝撃的なニュースが飛び込んできた。
桜塚やっくん事故死
え???
ウソでしょ???
信じられなかった。
桜塚やっくんは、元々「あばれヌンチャク」というコンビだった。
そのコンビでは、ちょこちょこ爆笑オンエアバトルにも出演していて、順風満帆だった。
石井光三オフィスに所属していた彼らは、シアターDと縁が深かった。
シアターDの社長の父親は、渋谷にある「道頓堀劇場」というストリップ劇場を運営していた。
そして、石井光三オフィスに所属していた「コント赤信号」さんが、その道頓堀劇場のストリップの合間にコントを披露したりして、修行していたのだ。
そして、「シアターD」の「D」とは、道頓堀劇場のDなのだ。
そういう繋がりがあって、シアターDのライブには、石井光三オフィスの芸人さんがよく出演していた。
なので、僕がシアターDに所属していた頃も、よくライブで一緒になっていた。
そんな流れで、あばれヌンチャクとスパルタ教育でトークライブをやる事になった。
芸歴は僕の方が長いが、あばれヌンチャクの方がオンバト等に何度も出演したり、色んな営業やライブの経験が豊富だった。
僕は今までネタライブばかりで、トークライブなんてやった事がなかったので、そこで色々打ち合わせ等をして、トークライブってこういう風にやるんだという事を学ばせてもらった。
それ以降もライブでちょこちょこ一緒になったりしていたが、そのうちあばれヌンチャクは解散し、ピン芸人桜塚やっくんが誕生した。
そしてあっという間に「スケバン恐子」としてエンタの神様で大ブレイクした。
それからはあまりライブで一緒になる事はなかった。
やっくんの活躍とは反対に、僕は事務所を辞めたり、炎上したりして、ババチョップやプロットに出るようになり、大震災が起こり、大江戸でもバイトを始め、地下ライブに出まくっていた矢先に事故死のニュースが飛び込んで来た。
人生とは分からないものである。
今まで一緒にライブに出ていた人がある日突然スターになって、ある日突然亡くなった。
ウソだろ??
なんで??
なんでこんな事になったんだ??
これからもっとやりたい事も沢山あっただろう
まさか自分が突然こんな事になるなんて思ってなかっただろう
無念だったに違いない
どうして
どうして彼が死ななければならなかったのか
どうしてこんなにも若く死ななければならなかったのか
なぜだ??
一方、スターにもなれずに地下でくすぶっている芸人が、今もくすぶりながら生きている。。
人の人生ってなんなんだろう??
死ぬのが僕だった方がよかったんじゃないのか?
どう考えても僕よりもやっくんの方が沢山の人を幸せにしてるし、世の中に必要とされている。
なのに僕みたいな虫ケラがまだ生かされている。
もちろん死にたくないしこれからも長生きしたい。
だがそんな事も考えてしまった。
それと共に、やはりこうして生きる事が出来て、ライブに出れているだけでもう十分幸せなんじゃないか?と思うようになった。
そんな2013年、キンタローが前田敦子のものまねでブレイクし、歌ネタ王決定戦がスタートし、ピカルの定理が終了した。
2013年THE MANZAI優勝 ウーマンラッシュアワー
2013年R1ぐらんぷり優勝 三浦マイルド
2013年KOC優勝 かもめんたる
2013年「有吉ゼミ」スタート
2013年「有吉反省会」スタート
2013年アニメ「惡の華」スタート
2013年アニメ「進撃の巨人」スタート