少し前の投稿で、蟻の🐜触角もいで、アカンやろー!と書いたことがある。触角を失った蟻の行動はどうなるか?気になって調べた人が居たら凄いな。

 
ギャングエイジと言われる時分は、足をバタつかせる蟻を指でつまんで悪さをした。蟻は触角を失うと、狭い範囲でグルグルまわるようにしか歩けなくなり、巣には戻れない。
 
自立できない人が、何かにすがって依存して失う大きさは、ますます自分を信頼できなくなることにある。するとどう作用するか。信仰心が強くなり、歩ける足が歩けなくなってしまうのだ。本当に歩けない、これは恐怖以外にない。
 
信じていると、掛け違えても盲目になり、止まりようがない。河川敷のテッペンからダンボールに座って滑るのと同じだ。下ですっ転ぶまで痛みを感じない。物の売買は、デメリットやリスクも当然ながらある。
 
電気量販店で買い物をする時、意識が傾くのはどういう流れにあるか。おそらく良い点ばかりを並べない。この点は弱いけれど、こういう利点がある。プラスとマイナスを同時に伝えて説明する人に、心を開くのではないか。
 
ネットでの売りは「こんなスバラシイことやります!良いので買って下さい!」これしか言わん。関係性が余程のことでないと動かない。これはお客さんの今に合わない。振り向かせるために煽る。不安への招待に変わる。
 
昔、正午にサングラスで司会をするテレビ番組があり、お客さんに「いいですね!」を連呼させるコーナーがあった。現在のコミュニティも、ああした反応を発信者が求め過ぎると思う。
 
自分が知られることは良くも悪くもある。長く年月生きていたら、そりゃあ浮き沈みはある。低迷すればあの頃は良かったね、なんて都合いい記憶だけ引っ張り出して、コントラストを強めたりする。
 
でも今無いわけではない。今までだって、あの時もその時も悩んで失敗して、でも立ち上がって生きてきた。錯綜の末に自分で決意した今がある。これからだって自ら考える先に、行きたい場所に着けるのではないか。
 
やるやらないを決めかねている人は、流行りと自分の理想にズレを感じ、外から見た見映えの盛りに違和感を覚えるのかもしれない。侮ってはならぬ温度差だ。急所を狙ったつもりが的を外れる。
 
外的要因で人の内面まで変われない。コロッといっちまうのは、クレクレ君や枯渇した人だ。時間の余裕を求め過ぎるのは骨を溶かす思想だし、拝金主義は業突く張りを強め、人の心から遠ざかる。
 
一足飛びの耳障りの良い言葉が、こそばゆく触る。苦境から解放されて楽しくラクに、思いのまま生きられる?ジェットコースターに乗り込む人は、気分は上がる上がる。瞳孔が開いちまったんだな。
 
 
過去を信頼した自分マップを、みんな握って歩いてるのに、宣教師が現れて熱心に語り出すと、もしかしたらそっちがいいんじゃないか、って簡単に差し替えようとする。浮き足立って甘い蜜に感じるからだろう。
 
勇気を出して!と発破かけられ、スロットやパチンコの大当たりを見せられる。受動的な人は目先だけ見て他人が描いた未来を買えるのか。これまでの自分、安っすいなー。次は何が出る?まるでガチャガチャみたいだ。
 
未来を外注するって支離滅裂でゾクゾクする。幽体離脱してるのと変わらん気がする。経験値を上げるって、動いた先に応用が利くまで深めるにある。旨味という充足感も過程で見つけられる。浅いんじゃあ、絶対見つかりっこない。
 
表面だけ攻略して次に行くと直ぐヨレるのは、本質を知らないままだから。依存させるファン商法は、ここスコーンと抜けてる。設計から希望を巡らせない建売住宅は、短縮することで何処かに空洞をつくっているのかもしれない。あれに似る。
 
思いがけず手にした宝くじの当選。大金を手にした者の末路の話は共通する。ひきかえに人生の大事なモノを失う。良くなるは本当に幸せを運んで来るのか。金が動き、依存し続ける体質。卒業させない仕組みは続きは来週!のドラマと同じだ。
 
他人に委ねない、譲っちゃいけないとこは形が変わらない。人は人、お前はお前やからと昔言われたことあるけど、それ大事。最後まで黙って見届けたとしても「だから言うたやん?アホやの」って未来の自分も話すだろう。
 
失敗するのを分かっていて知らんぷりするのは、手を出してあげる以上にキツい。失敗を見て、胸がしめつけられるように苦しくなっても、手を出してはいけない。嫌われたくないと演じる人は付き合いも解く。
 
生半可な成果を出すだけなら、惣菜パン食べて甘い炭酸水飲んで、テキトーな生返事しときゃいい。だけど、はったりかまして生きてんのが嫌ならイミテーションなんて持ちたくない。そんなんカネ使っても幸せにしない。
 
骨抜きばかりじゃあ、ちょい楔(くさび)みたいな人が現れたらどうなるんかな。良い意味なら死角をつくらない。昭和には近所にいたよな。大人になってあれはデッカい愛だったんだと分かる。
 
町なかで何故か不良たちに尊敬される人。見た目普通なのに「あの人には頭が上がんない」って言われる人。一方良くない意味の楔は、もうどうしようもない洗脳。
 
誰でも救うって可笑しな話で、ギラギラした奴にガソリンくれてもヤバいんだな。他人の言葉で飾ってる商用ブログってアメブロで沢山見るし、即席並べてもそこはお客さんという人を見てない。
 
小売業のもとの卸業者も、真っ当な相手に売る。手を出し過ぎて儲けに走るのは海水を飲む行為だ。欲望のエンドレスね。生命力が弱いカゲロウくらいに転換して、お役に立つなんて自己顕示欲を増幅するようなものだ。
 
審査員が全員合格させるなんて不純であろう。楽しむとは自分に対して自分を出しきることだけど、精査しないのは詐欺師の集客法だ。国家試験も合否があるのは何故か。落ちた者が何をすべきか。
 
自分のところに来た、カネを払うだけで答えをあげるのは、微塵も徳を積まない。三流商売は朽ちる。名刀も集めた周りによって錆びるのだ。早くカネが欲しい人の言い分は空虚なものである。
 
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