何も考えない発言、その場の自分注目の狙い、俺様である思考。そういう事象に心底苦しんでいる人を見かけます。
 
現在、一般に可視できない過去記事には、いわゆる毒を書いた投稿があります。外部からの一般的な見え方をズバッと書いた連載でした。しかし私は単なる人格否定と違います。
 
批判とはその先に救いがあるか否か。
 
この言葉はもう何年か前に発した、大阪のコンサルタントさんの考え方です。今も刺さり続けていて、自分の発言の際に何度も言葉が顔を出します。
 
最近あっちこっちに勃発し、人ごとにも思えなくこの記事を書きます。今流行りの愛に通じる考えなのですが、人が出した表現=単語を使う安易な意見は価値はないので、自分の言葉を使うように心がけます。
 
結局のところ、仲間か否か。仲間とはかならず自分に逆らわない相手である。というデフォルトの期待からの強いおさえであることが少なくありません。
 
おのれの期待に微小のズレを感じた途端に心がざわつき始め、それ以上の行動をいかに阻止するか。瞬間湯沸かし器のような反応で、ほとんど呪い的な思考をはじめます。
 
それを運命共同体というグループ内で回覧板のように共有=拡散し、共通の敵として総スカン=潰しに入る流れがあります。特定のグループ内での会話=メッセンジャーやリストの中での発言は、忌々しさはヘドロ級です。
 
これ、たまったもんじゃあありません。しかしそれが本来のその人らしさ=素顔である。日頃誰からも好かれるために自分をおしころしているブレーキが外れれば、フラットにかえるために他人を標的にするのですからね。
 
つまり、相手の言葉そのものを読んでいない。今の表面だけの付き合いは、過去をひっくるめた相手の素性まで見えません。根底にある反応は、その人の器そのもの。
 
ひょんなことで垣間見て衝撃を受けるのです。実生活と違ってネットにはいい人しかいないなんて思っちゃったりしませんか?それかなりヤバいですよ。
 
私は普段から本音・本気でしか文字に表現しない。引っかかりがあれば、 何を言っているのか相手の腹の中まで見通して、どこが起点なのか探る。自分には柔軟に変化することも大事だと思っています。
 
自分と違う意見はプラスの力を持ち、現状を打破するきっかけになることもあります。そのキツさを受けて、どのように感じて何を考えるか。変わる部分があるなら相手から送られた救いなのだと思いますよ。
 
よく同業者が仲間を盛り立てて自分ブランディングするのも見ますが、あれは愚の骨頂ですよ。進化する苦労を投げ出して他人の知識を無料でインプットするのが本当の目的なのですから。
 
仲間への愛という言い訳と、うまい言葉でのマインドコントロールでの近づきに、心が揺れないでほしいところです。最後に似非の救いを書きましたが、あなたに真のメッセージが伝わりましたでしょうか?
 
Thank you for your time