昨日は終戦記念日でした。

お盆の最終日でもありますね。

旦那の実家が京都なので、
子供がまだベビーカーに乗っていた頃に
一度だけ、五山の送り火を見に行ったなぁ。。


私の祖母も、母も戦争体験者です。
といっても、母はまだ2~3歳だったので、
ほとんど覚えていないようですが。。

祖母は、伯父と同居していて、
ちょくちょく娘の母に逢いに数日間滞在していきました。
私は祖母が大、大、大好きだったので、すごく嬉しかったです。

お話好きな祖母は、初めて会う人にでも平気で話しかけて
誰とでもすぐにうちとけてしまうようなタイプで、
寝ている時以外はずっと喋ってんじゃないか?ってくらい
いつもお喋りしている印象がありました。


そんな祖母は、いつも自分の戦争体験を聞かせてくれました。

祖父は戦地に出兵して、祖母は一人でまだ幼児だった
伯父と母を育てながら空襲に怯えながら暮らしていたそうです。

伯父は、一時期、一人で学童疎開も経験していたようですが、
母はずっと祖母と一緒だったようです。

ある時、酷い空襲があり、祖母は小さかった母をおんぶして
必死で逃げたそうです。

B-29爆撃機による攻撃、焼夷弾が容赦なく空から降って来て
あちこちから火の手があがり、周囲は燃え盛る炎で
昼間の様な明るさだと感じるほど辺りは火の海だったようです。

若い男性は皆兵隊にとられ、老人や、女性や子供が多く、
皆、叫びながら逃げ惑っていました。

祖母の背中に必死にしがみついていた母は、
「防空壕へ入ろう!防空壕へ入ろう!!」と
ずっと祖母に訴えていたそうです。


祖母のすぐ近くに、同じように小さな子供達を連れた女性が
一生懸命に逃げていたそうです。

突然、その女性の子供に焼夷弾か何かが襲い、
一人の子供が火だるまになってしまいました。

祖母は驚いてそっちの方を見ると、
その子供の母親の方は、鼻に破片か何かが当たったのか
鼻がブラブラともげ落ちそうになっていて、
慌てて手で押さえていました。

火だるまになった子は、「熱いよ~!、おかあさ~ん!!」
叫びながら、ゴロゴロと悶え苦しみながら、
土手を転がり落ちて行ってしまいました。

その子の母親は、転がりゆくわが子をどうしようもできず
残っている子供だけは助けなければいけない!という思いで、
泣く泣く、その場から逃げて行ったそうです。


戦争の話が始まると、ノンストップでいつまでも
話し続けていました。。。

子供の頃から、何度も何度も聞いていた私達姉妹は
内心「ばあちゃん、まただよ~。。あせる」と言う感じでした。

今になって、あの時にもっとちゃんと
ばあちゃんの話を真剣に聞けば良かったしょぼん
とすごく後悔しています。
ごめんよ、ばあちゃん。。


祖父は、出兵したまま、海外の戦地で亡くなったという
知らせがあったようです。

遺影を見ると、母そっくりで初めて見た時はビックリしました。

結婚式の日に、初めてお互い会って顔を見たそうで、祖母は祖父から、
「何だ!?この田んぼから這い出て来た様な女は!?」的な
事をいわれたそうです。。。
(イケメンだったからモテてたんだろうね、おじ~ちゃん。。)

ばーちゃん、孫にまでそれを言うなんて、
きっと、メッチャ乙女心が傷ついたのね。。


戦後も、丸裸の何もない状態から、
女手一つで二人の子供を育て上げるのは、
それはそれは苦労の連続だったようです。
大きな病気もしたそうです。

でも、いつもほんと~に、明るくて元気で、
チャーミングなおばあちゃんでしたラブラブ


そんな祖母が亡くなった時は、本当に悲しかった。。

祖母が亡くなってから、一度だけ、夢で会うことが出来ました。
超リアルで、実際に会って話した感覚が残っていて、
起きてからもしばらくボワ~ンとしていました。

亡くなった時より、若い姿だったんですが、
どこだか自然豊かな美しい場所で暮らしていて、
とても元気な様子でした。
遊びに来た私を見て、驚きながらもすごく喜んでくれ
大歓迎してくれたのでした。。

母にこの話をしたら、凄く羨ましがっていました。
私んとこには来ないよ~!って。。


私も、もう一回逢いたいよ!!と思っても
あれからまだ一度も見る事はできませんが、
どこかで、見守っていてくれてるのだなぁ、、という
気持ちがあります。

祖母がいなかったら、私もこの世にいなかった。
ありがとうおばあちゃん! 感謝です。。ラブラブ