僕は、「戦争モノ」というのはあまり好きではありません。
戦争時代を舞台にしたリアルな映画も極力観ません。
自分自身なぜかはわかりませんが、
暴力的であったり、血が流れたり、なんかヒーロー化されていたり・・・
「人が死んで泣かされる」という構図がイヤなのだと思います。
アニメの”ほたるの墓”も嫌いなのです。
「悲惨」とか「悲劇」とか、
そういう視点のモノは、やっぱり受け入れ難いです。
モノによっては、「悲劇」を「カッコ良く」描かれたりしているものもあったりして
違和感を覚えたりします。
先日、鹿児島の「知覧特攻平和会館」に行ってきました。
「知覧」という土地は、第2次世界大戦末期、沖縄戦の特攻基地があったところらしいです。
ここで飛行訓練を受けた若者が、沖縄へ飛び立って行ったそうです。
その跡地に「平和会館」があり、
”特攻”までの間ここで暮らした若者たちが
”特攻”直前に残した「書」や「写真」が展示されています。
http://kagoshimakenjinkai.ne.jp/motto/chiran/kanko-1.htm
正直最初、ツアーにここが入っていたのは、ちょっとイヤだったのです。
楽しい旅行なのに、わざわざこんな「堅苦しい」ような「暗い雰囲気」なようなところに行かなくても・・・
ここでの観覧時間は1時間半もあり、「絶対、時間があまる・・・」
と思ってました。
でも、実際に入ってみると、心を激しく動かされました。
そこにあった「事実」は、
「悲しい」とか「カッコ良い」とか、そういう類ではなく、
ただただ「切ない」モノでした。
展示されている「零戦」や「飛燕」という、当時高性能を誇った飛行機でさえ
”特攻”の事実の前には、切ない物になっていました。
ここで暮らした若者たちは、別にヒーローや特別な人間ではなく
我々と同じ、ただの人間だったのです。
暴力を好むわけではなく、好戦的なわけでもなく、
母親が居て、友人が居て、恋人や妻や子供が居て、
楽しい時には笑い、趣味を楽しみ、歌を唄い、子犬を可愛がり、
そんな普通の若者だったのです。
もちろん、若干の脚色や描かれていない事柄もあるのかも知れませんが、
それも普通の若者ではよくある事の範囲だと思います。
そんな彼らが、飛び立つ前夜書いた遺書が、彼らの写真と共にそのまま展示されています。
「母親」に。
「恋人」に。
「子供」に。
そして、
「自分自身」に。。
”決意”というか、”覚悟”というか、
その言葉や文章が、清清しい、本当に清清しい。
あまりに清清しいが上に、切なくてたまらない。
誰も「日本国」とか、そんな小さな事の為じゃなく、
「大事な人」の為に飛び立って行った事がひしひしと伝わってきます。
”明日は死ぬ”という状況の中で、
人は、こんな文章が、こんな文字が書けるものなのでしょうか。。。
秋の晴天の青空がなぜか切ないように、
純粋な心が書かせる文章や文字の美しさに、心が揺さぶられます。
あまり細かい事は書きませんが、
ある特攻隊の教官は、教え子が次々に沖縄で戦死する事に堪らなくなり
教官は本来”特攻”には参加しないのですが、自らも”特攻”に志願されたそうです。
ところが、その教官には妻と小さな子供が二人居たそうです。
教官は何も言わずに飛ぶつもりが、奥さんにその話がばれてしまいました。
すると、その奥さんは、
幼い子供の手を自分の両手にしっかりと結びつけ、川に身を投げたそうです。
「私たちが残っていると、心が残ってしまうでしょう。心置きなく戦って下さい。天国で待っています。」
というような言葉を残して。
切ない。あまりにも切ない。
割り切りようのない切なさに、思わず涙が溢れました。
”特攻”の朝に、枕がぐっしょり濡れていた事も少なくなかったそうです。
「それは臆病なわけでも、情けないわけでもなく、いろんな事を断ち切る為に、”涙”は必要だった。」
という説明に、また切なさが増しました。
そして、朝には笑顔で飛び立って行ったそうです。
心残りや、悔しさや、疑問や、思い出や、
そういう思いを断ち切る為には、どれほどの涙が必要なのでしょう?
想像もできません。
普通なら無理だと思います。
「大事な人」を守るため。
そういう理由付けがあって、そこへすべての思いを集約させたのだと思います。
ここに書いたのは、ほんの一例です。
平和会館にあったのは、こんなものではありません。
また、文章で説明できるものでもありません。
実際に行って、体験しないと感じられない”何か”があります。
”ほたるの墓”で全く感動のポイントがわからなかった僕なので、
泣くはずがないと思っていましたが、
本当に涙を抑える事ができませんでした。
叱られるかも知れませんが、
僕は、彼らが「死ななければならなかった」とは思いません。
「彼らのおかげで今の平和がある。」とも思いません。
純粋な彼らの命は、もっと尊いものだと思います。
「死ななければならなかった」はずがない。
でも、彼らは死んでいってしまいました。
また、彼らの”特攻”のせいで失われた命もあったはずです。
それもまた事実です。
今を生きる僕たちは、彼らを無駄死にしてはいけません。
そのためには、
僕らは、「ちゃんと生きなければならない。」のだと思います。
今の時代は
「平和にボケている。」のかも知れません。
「平和に堕落している。」のかも知れません。
でも、平和なのは絶対良い事なのです。
「平和」をかみしめて、「命」をかみしめて、
笑って、歌って、遊んで、楽しんで、大事にして、
そうやって「ちゃんと生きる。」事が、
彼らに対して、今の僕たちができる事だと思います。
僕は今まで、こういう事から避けていたのかも知れません。
これからも「戦争モノ」は観ないと思います。
でも、
ここのような「事実」は、やっぱり知らなければいけない。
「知っていた方が良い」
ではなく、
「知らなければいけない。」
と思います。
最初、”あまる”と思っていた1時間30分ですが、
全く足りませんでした。
1日かけても良いくらいでした。
本当に色々な事を考えさせられました。
色んな思いがあって、整理できずに、なかなか文章が書けませんでした。
こんな事は書かなくても良いのかも知れませんが、
今の思いを書きとめておくのも大事なのではないか?
と思いました。
時々、
「生きる」事に雑にならずに、
「ちゃんと生きる。」
「しっかり生きる。」
という事を思い出すために。