こんにちはニコニコ

 

ご訪問頂き、ありがとうございます。

 

 

 

 

どうしても忘れられない7年前の

昨日の記憶

 

 

 

 

私はあの日、

住んでいた御殿場にいた

 

 

 

その日は、7月に生まれてくる

我が子の母親学級に産院に行き、

そのまま特にする事もなかったので

コンビニへ。

 

 

 

そこで地震発生

 

 

 

 

尋常でない揺れ

 

 

 

東海沖地震が起きたのか

何もかも考えられず

ただただ、一緒に店内にいたお客さんと

一度外に出た。

 

 

 

その時は、

この後何もかも手に入りにくい状態に

なるなんて考えもしれいなかったから

 

 

 

なにも買わずに帰宅。

 

 

 

 

 

当時、社宅に住んでいた私。

たくさんの人が外に出て来ていた。

 

 

やっぱり尋常でないことが起きたのが分かった。

 

 

そこで、

東海沖地震ではないのも

聞こえてきたり

 

 

唯一の社宅の知り合いと会えた。

なんだかすごく嬉しかった。

社宅歴1年目。

日中は外で働いており近所付き合いもない私

 

 

彼女は育休中で赤ちゃんを抱えていた。

 

 

取り敢えず、

また彼女の部屋で会うことを約束し

まずは自宅へ。

 

 

 

。。。。エレベーター作動停止

自宅は8階。

自宅へ行くには階段を上るしかない。

 



 

妊娠してお腹が重かろうが、

自宅の確認をしなければ!と言う思いで

まず向かった。

 

 

 

まだこの時点では夫との連絡は

繋がらない。

 

 

 

自宅はさほど影響はなく、

まずは彼女の赤ちゃんが

問題なく過ごせるかが

私の中では1番の気がかりだった。

 



なので、自宅の様子を見て

すぐに彼女の部屋へ行き、

 

 

そこから非常用電源が使える

会議室へ行ったが

 

 



人が溢れていた

 

 



とても自分だけ電源を使って

何かする雰囲気ではなかった。

 

 







それから彼女と夫が帰ってくるまで

ずっと

■電気も使えない

■ガスは使えるが余震が怖い

そんな中、一緒に過ごした。

 

 

夕飯は、

彼女の家族が連携して

手に入れてくれたお弁当を頂いた。

本当にありがたい。

 

 

そのお弁当を

キャンプ好きの我が家のランタンが

照らした灯りの中、頂けた。

 

 

 

 

 

夫との連絡はと言うと・・・・

 

 

 

この日、

夫は東京に仕事後行く予定を

していて、

そこで会う約束をしていた

共通のお世話になった人から

 

 

『○○さぁ、

今日は東京には来ないって。

大丈夫だから安心して。

○○○ちゃんは、どこにいるの?

大丈夫?』

 

 

と仲立ちをして下さり

 

夕方、

何とかお互いの状況が分かり

ホッとできた。

 

 

固定電話と固定電話でないと

この時は連絡が上手く取れない状況だった。

静岡なのにね。

 

 

 

夫とは、

直接会えるまで

結局連絡が繋がらずじまいだったし。

 

 

 

私の実家、

茨城と連絡がついたのは

翌日になってからだっただろうか。

 

 

 

 

 

この地震がどんなだったか

全貌が知れたのは

 

日付が変わった頃だった。

 

 

電気復活

 

 

1番最初に見た映像

 

 

画像を拝借⇒

 

 

火の海だった。

 

 

 

なんだか何もかもが信じられなかった。

 

 

 

 

ただ、夫と

 



(私の)実家茨城に物資を運ぼう

 



それだけが早々に決まった。

 

 





 

実家の周りには

小さな頃からお世話になった皆がいる。

 

 

海の間近に住んでいる叔母の家もある。

 

 

幼い子を抱えた家もある。

 

 

 

その人たちが

心配で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

ただ、実家の母からの返事は

 

 

 

NO

 

 

 

こっちに来るな

 

 

だった。

 

 

この続きは次回に。