このお彼岸の三連休前に、兄1号から連絡がありました。
「(誤嚥性肺炎で入院中の)母の具合いが悪くなったので個室に移った。行けるならなるべく早くに顔を見に行ってあげて。」と。。。
兄2号はすぐに病院へ行ったようだけど、その日、私は行かなかった。
兄たちから母の様子を聞くと、だんなさんの最期と同じような状況だったので辛くて行けなかったの。
行かない言い訳を頭の中で何通りも考えてた。
私のこと、もうわかってないよね。。。
目も見えてないよね。。。
ハァハァ、ゼイゼイ、呼吸が荒いのを見てられないよね。。。
仕事も忙しくて、引き継ぎなどで毎日残業してるし。。。
行っても、行かなくても後悔はする自信がある。
それに覚悟はできてるし。
落ち着かない夜を過ごしました。
翌日、やり残してる仕事を午前中で片付けて、午後から有給を取ってやっぱり母に会いに行きました。(それが金曜日)
案内された病室に入ると、母はしんどそうに呼吸をしていました。例えるなら母の心臓は全速力で走っている時と同じくらいの状況だと。(だんなさんの時もそんな例えをされたよなぁ)
でもね、私が耳元で話しかけると呼吸が静かになって穏やかな顔にならはったの。
しばらくすると目も開けてくれはったの。
首は自力で動かせないから、私が顔を覗き込んで目を合わせたの。
お世話になっていた施設に会いに行っても、目を開けてくれる事は殆ど無かったから嬉しかったわ。
コロナ禍なので1時間くらいしかいられへんかったけど、その間ずっと穏やかな母でした。
私が心配しないように、がんばってくれたのかな。
これが最後の面会でした。
翌日、兄たちが別々の時間帯に面会に行くと、いつものように苦しそうに呼吸をしていたそうです。
そして、その日の日付が変わる頃、母は旅立ちました。
連絡をもらい直ぐに病院へ行った時、母の温もりを感じられました。
それからバタバタと時間は過ぎ、今日、告別式を終えてきました。
亡き父は兄嫁に「母にはエンバーミングをしてあげて」と遺言をしていたそうです。
なので、それを守り母はその処置をしてもらいました。
お顔が元気な頃の母に戻って帰ってきました。
お化粧も綺麗に仕上げてもらい、お気に入りの着物を着せてもらいました。
爪はそのままだったので、私がマニキュアを塗ってあげました。
お支度はバッチリです。
華やかな母に似合うよう、祭壇は春のピンクのお花を沢山飾ってもらいました。
お花畑みたいに可愛かった~
約束通り、真っ赤なバラの花束と煮抜き(ゆで卵のことです)も入れたよ。
それから、父と食べてもらおうと仙太郎のご存じ最中とおはぎもね
お別れは寂しいけれど、こんな清々しい気持ちのお別れは初めてです。
最後の最後まで全力で頑張ってくれてありがとう。
きっと、父が迎えに来てくれたね。
安心して見送ることができました。
お読みくださり、どうもありがとうございました。