先日書いた「信じることができる人が羨ましい」という話で思い出したのですが。
私がまだ中学生のころの話です。
祖母が「お風呂がわいたから、お父さん(私の父・祖母の息子)に入るように言ってちょうだい」と言いました。
思春期の私は、先に入りたいと言いました。
すると祖母が「女が先に入るとお湯が汚れるから」と言いました。
どう考えても父が入ったほうが汚いし
祖母は明治生まれです。
明治の女たちにとって男は、男であるというだけで女より偉かったのです。
私は、そんな祖母の信条に反抗心を抱きつつも、
そんなことを丸ごと信じることができたら、
人生どれだけ楽だろうか・・・と思いました。
自分の中に従うべき正しい道があり、
余計な疑問を抱くことなく、
何も疑わず、信じて従える平和と安心。
すると、それを聞いていた、当時高校生の兄がメガネの奥の目を細めて、
「おばあちゃん、それは時代錯誤だよ。
それぞれが入ったあとのお湯の汚染度が何ppmか調べて
一番汚かった人が最後に入ればいいんだよ。
でも、そうしたらお父さんが一番最後になる可能性が高い」
と冷静に言ったので、私は大笑い。
祖母が「くっだらないことばっかり言って」とプリプリしたので、それを見たら余計大笑い。
恐るべし理系、彼らには計量できるデータというゆるぎない信仰があるのだ。
自分の考えが何かもわからず 湯船の浮遊物をすくっては捨てた15の夜でした(盗んだバイクで走り出してませんってなんのこっちゃ)。