ジョン・クリーズが“モンティ・パイソン”伝説の真実を語る | CAHIER DE CHOCOLAT

ジョン・クリーズが“モンティ・パイソン”伝説の真実を語る

[ORIGINAL]
John Cleese Sets the Record Straight on ‘Monty Python’ Lore
Updated Jan. 02, 2024 10:27AM EST 
Published Jan. 01, 2024 12:10AM EST 
https://www.thedailybeast.com/john-cleese-sets-the-record-straight-on-monty-python-lore


ジョン・クリーズが“モンティ・パイソン”の伝説の真実を語る


Photo Illustration by Luis G. Rendon/The Daily Beast/Getty

『空飛ぶモンティ・パイソン』から、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』、『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』まで、アイコニックな集団はどのようにして最高のスケッチやシーンに命を吹き込んだのか? ― クリーズがThe Daily Beastに語る。

革新的な英国のスケッチコメディシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』でスターとなってから55年、ジョン・クリーズはこれまでそのペースをほとんど落とすことなく活動している。

いくつかのテレビや映画のプロジェクトに姿を現わしたりしつつ(個人的にはハリウッドの有名人が雇われそっくりさんを演じる『Lookalikes』に出演するのを楽しみにしているのだが)、クリーズ(84)は舞台版『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』の脚本を現在執筆している。また、『フォルティ・タワーズ』(『空飛ぶモンティ・パイソン』後にクリーズが制作・出演したシットコム)も舞台化に向けて進行中だ。さらに、アカデミー賞ノミネート映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら』も、クリーズ言うところの「コメディ/ミュージカル」バージョンとしてブロードウェイ行きが計画されているという。

「年をとるということは、これはとても重要なことだと思うのだが、より原点に帰っていくということだと思う」と、先日、クリーズは語った。「くだらないことに使うためのエネルギーは少なくなっていくんだよ。でも、興味があることに対するエネルギーはたくさんある」

2013年にモンティ・パイソンを再結成し、素晴らしい(しかし、パイソンの話は抜きの)回顧録を出版し、数年前のクリーズは勝者の最後の一周をしているかのように思えた。しかしここ数年では、彼は、“”にとっても“”にとっても、ちょっとやっかいな存在となっている。特に、ソーシャルメディアでは。先週は、「ヒトラーはトランプよりもマシ」だという5つの点をあげて非難を浴びていたし、これまで以上に、彼にはやることがたくさんあるようだ。ここ最近では、モンティ・パイソン伝説に関する歴史を正すこともその中に含まれている。

クリーズは、テレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』の3シーズン、3本のモンティ・パイソンの映画、パイソン仲間であるテリー・ギリアム監督の映画『バンデットQ』などで、脚本の共同執筆・出演をしてきた。その彼は現在、2冊目の回顧録の執筆の初期段階にある。そして、この本は「100パーセント全部パイソンになる。テレビシリーズだけでなく、映画も」と彼は確約している。

「たくさんのリサーチが行なわれた」と、これから数ヶ月間滞在するために借りているカリフォルニアの家でクリーズが語ったのは、クリスマスの翌日、前述のヒットラーに関するツイートをポストする少し前のことだった。「私の前のアシスタントがしばらくの間、かなり熱心にそれに取り組んでいたんだ。先日は、私たちは大英博物館にあるマイケル・ペイリンの資料にもすべて目を通し(*記事では「The British Museum(大英博物館)」となっているが、実際は、マイケルが過去のノートなどの資料を寄贈したのは「The British Library(大英図書館)」)、テリー・ジョーンズのものも見た。私にとっては、グレアム(・チャップマン)と私が何を書いたのかをはっきりと思い出すのはとてもかんたんだったし、エリック(・アイドル)が書いたものもかなり正確に思い出した。でも、そこから、一緒に書いたペアのうちでも、誰が何を書いたのかをはっきりさせていくことにした。驚くようなことがいくつかわかったよ!」

そのリサーチの結果として(そして、歴史を正すことに向けられた目にはなんの疑いもなく)、モンティ・パイソンの数々のシーンの背景にあるものを誰が書いたのか、伝説の集団の最もアナーキーで驚きのスケッチやシーンにどのようにして命が吹き込まれたのか、その話を語ることにクリーズは興奮しているようだった。

クリーズは、通常は1989年に亡くなったチャップマンと執筆していたが、『空飛ぶモンティ・パイソン』の中でも有名な、ヒトラーが選挙に立候補するスケッチ(*リンク先は“Monty Python’s Election Night Special”(選挙速報スペシャル)、ここで言われているスケッチは“Mr Hilter”(ヒトラーのいる民宿)のこと。また、登場するキャラクター名は「ヒトラー」ではなく「ヒルター」となっている)を一緒に書いたのはペイリンだった。「あれは非常に珍しいことだったが、人々は、特にパイソンのファンは、ああいった魅力的なものの細かい部分に気づくだろうと思う」とクリーズは言う。

ちょっとした予告として、クリーズは、モンティ・パイソンのアイコニックないくつかのスケッチに関する創世記をThe Daily Beastのために解説してくれた。

“Cheese Shop(チーズショップ)” スケッチ


「ある撮影の間、私は船酔い状態になっていた。あれはたいへんな日で、ボートに乗らなければならなかったのだが、ひどい船員だった。ロンドンに戻ってくる途中で、グレアムが『結構たくさん吐いてしまったから、何か食べたほうがいい』と言った。でも、もう遅い時間で、空いている店を見つけられなかった。グレアムと私は店を探していたが、その時、私は『ああ、薬屋がある。チーズを売ってると思うか?』と聞いた。グレアムは『そうだな、もし売ってるとしたら、医療用チーズだろう』と答えた。そして、私たちはふたりとも笑って、私は、明日このことを書こう、と思った。男がある店に入っていき、医療用チーズについて話す。当然のことながら、薬屋には医療用チーズがあるはずだ」

「次の朝、それについて書くために机についたとき、文字通り、私たちはこう言った。『なぜチーズを買うために薬屋に行くんだ?』と。そして、その答えは『その通りだ。その前にチーズ屋に行っていたんだよ。そこになかったんだ』というものだった。それで、私たちはもとになったアイデアについては書かなかった。私は書いている途中、ずっと確信が持てずにいて、『グレアム、これはほんとうにおもしろいのか? 単なるチーズのリストなんだが?』と言い続けていた。彼はそこに座って、パイプをふかしながら、『おもしろいよ』と言っていた。それでもうちょっと書いた。私はチーズのリストを持っていたんだよ。店に、デリカテッセンに行って、チーズの名前を全部メモしていたことがあったからね。私はグレアムにたずね続けたけれども、彼はいつも『いいよ、いいよ』と言っていたね」

「ほかのメンバーに読んで聞かせたとき、30秒ほどは静まり返っていた。私は、ああ、だめだ、と思った。すると、ペイリンが笑い始めて、笑いを止められなくなって、文字通りイスから落ちて床を転がり回ったんだ。これはいい例だ。私たちが書いたものを読んだときのみんなの反応の仕方、それが心からの反応なんだよ。それがおもしろいと思ったかどうかっていうことだ。でも、投票とかそういったたぐいのものではない。みんなが笑うか笑わないか?ということなんだよ」

『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』:初稿から上映まで


「見事だったのは、マイケルが馬ではなくココナッツを使うというアイデアを思いついたところからすべてが始まった、ということだ。とにかく私たちには予算がなかった。それと、“身軽なツバメの飛ぶ速度”についてのあのばかばかしい会話もだ。私たちは、これだよ、と思ったね。それで、中世時代が舞台になった。そこからすぐに脚本を書き始めた。書き始めたときには、何をやっているのか、どうするつもりなのか、まったくわからなかった。スケッチのショウの脚本を書くなら、ひとつひとつのスケッチがほかのすべてのスケッチと同じように機能しなければならない。一方で、映画ではほかのシーンよりおもしろいシーンというのがあっていい。おもしろみの少ないシーンは、プロット(ストーリー進行)やキャラクターなど、ほかの何かのための働きをさせることができる、と私たちは気づいたんだ。始めの頃、グレアムと私はハロッズを舞台にしたスケッチをいくつか書いていた。かつら売り場でかつらを売っているやつらがいるんだが、彼らはみんなそうとうひどいかつらをつけている、というものだ。それと、アリ売り場のもあった。人々はアリをペットとして飼っているんだ。最終的には、これらのアイデアは90パーセント削除された。90パーセントも!」

「そのうちのいくつか、今言った2つは、私がいなくなったあとの(『空飛ぶモンティ・パイソン』)第4シリーズに登場することになった。彼らが『あれを使ってもいいか?』と言ったので、私は『私の許可があれば』と言ったよ」

『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』から、“taunter”(野次を飛ばすフランス兵)のシーン、“Black Knight”(黒騎士)など


「グレアムと私は知ったんだ。歴史的に、出ていって敵のやつらをののしる人がいたっていうことをね。これはかなりすごいことだよ。自分の軍が破れたら、とんでもなくひどい仕事になる。なぜなら、敵はののしったやつを探しにくるだろう? そこで、そこから“taunter”(野次を飛ばすフランス兵)のスケッチを書いた。それと、当時の歴史について、その頃、科学だと考えられていたことの中には奇妙なものもあったということをちょっと知っていたんだ。あと、グレアムに、私が15歳の時に英語の教師から聞いた話を聞かせた。ローマのレスリングの試合の話なのだが、レスラーたちがある種のピンチに陥り、のしかかる膨大な圧力の下で、彼らのうちのひとりが片腕を骨折してしまった。レフリーはレスラーたちを離し、腕を医者に固定してもらうように言って、そいつを外に出す。そして、もうひとりに『君の勝ちだ』と言う。すると、そのもうひとりは死んでいた、というものだ。そのあと、グレアムと私は机について、 “Black Knight”(黒騎士)を書いたよ」

「それと、マイケルも素晴らしいのをいくつか書いている。キャラクターのひとりが可愛らしい女の子たちばかりいる城に入っていくものを書いたし、“shrubbery”(植木)のネタや “The Knights Who Say Ni”(“ニッ”の騎士)も書いた。だいたいのところ、私とグレアムが書いていないものはみな彼とテリーが書いている。それから、エリックが“Brave Sir Robin”(勇敢なロビン卿)の歌を書いた。あれはとてもいい。それと、“Three-headed knight”(三頭騎士)だ。私たちはすべてのアイデアを出し合って、物語の形のようなものを考え始めた。ただ、あのエンディングは完全なジョークだとずっと思っているがね」

“What have the Romans ever done for us?”(ローマが何をもたらしたか):『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』


「私たちがあるジャーナリストと一緒にロンドンのインド料理店で昼食を食べているとき、彼が『“ホーリー・グレイル”がヒットしましたが、今は何をやっているところですか?と聞いたんだ。すると、エリックが『“Jesus Christ: Lust for Glory”っていうタイトルの、聖地をもとにしたものをやるつもりだ」と答えた。私たちはみんな大笑いしたけども、まじめに受け取ってはいなかった。それからまもなくして、お互いに『あれは結構いいアイデアだな』と言い始めた。そこで、3週間かそれぐらいの間、何か書くために時間を取って、みんなで歴史書を読んでいたところから、“What have the Romans ever done for us?”(ローマが何をもたらしたか)のアイデアが出てきた。あれはテリー・ジョーンズのアイデアだったけれども、グレアムと私がやったものほどには上手いやり取りになっていなかった。だから、ある時点で、『僕たちがやろうか?』と言ったんだ。最終バージョンは、テリーの素晴らしいアイデアをもとに、グレアムと私が書いたものになっている。あのスケッチのとてもおかしいところは、これまでに書かれた中で唯一の帝国主義支持的なスケッチになっているということだよ」

“Blessed are the cheesemakers”(チーズ職人は幸いだ):『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』


「グレアムが、ゴスペルの2つの起源であるQ、あるいは、Quelleに関するあらゆることを教えてくれるという牧師と連絡を取っていたので、彼と私はウィンザー城に行った。そこで疑問に思ったんだよ。『かつてはどんな感じだったのだろう? 群衆の中に、イエスの言っていることが聞こえない人がいたんだろうか?』ってね」

“stoning”(石打ち)シーン:『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』


「グレアムと私はたくさん読み合わせをやった。そうしながら、“stoning”(石打ち)シーンのようなものを思いついたんだ。それと、私が2~3年の間教員をやっていたこともいつも役立っていたと思う。そのおかげで、教師(と生徒)の会話に切り替えるのがとてもかんたんだったからね。このシーン全部の中で私の気に入っているセリフは、「Nobody is allowed to stone anyone until I blow this whistle」(石を投げていいのは、私が笛を吹いてからだ)。あそこには何か狂気のようなものがある。そしてもちろん、ジョン・ヤング、“stoning”(石打ち)の刑を受けることになっている人物を演じた男なのだが、彼は素晴らしかった。それ以外にも、私たちは“stoning”(石打ち)に関するアイデアを考えた。ほんとうにすごくかんたんに書けたね。これはおもしろいアイデアだと思ったよ。当然のことながら、当時の女性たちは“stoning”(石打ち)に行くことを許されていなかった。そこで、彼女たちにひげをつけてもらったんだ。彼女たちが出かけていって、男が彼女らに石を売ろうとするのだが、彼がひげも提供するというシーンを書いた。だって、女性はみんな男性のふりをしなければならなかったからね」

「すべてがとてもかんたんにまとまったよ。あれを撮った、撮影初日の朝のことを私は今でも覚えている。監督をしていたテリー・ジョーンズはとても見事に準備できていたんだ。撮影初日のような感じがしなかった。もう何週間も撮影してきているかのような感覚だった。ジョンジー(*テリー・ジョーンズのこと)が、それに値するだけの称賛を受けたことがあるかどうかはわからない。彼はそれが当たり前のように思われていたと思う。とにかく、私たちがそこに行くと、すべてが用意できていた。私は昼食の時までには、あのいまいましいひげを外してしまったが。あれはかゆくて最悪だったからね。それに、私はホテルのプールで泳いでいたんだ」

群衆に語りかけるポンテオ・ピラト:『モンティ・パイソン/ライフ・オブ・ブライアン』


「私とグレアム、テリーとマイケルの3週間の執筆期間の最後に、もちろん、エリックはあのとても良い曲、“Always Look on the Bright Side of Life”を書いたのだが、彼について私が覚えているのは、あれを最後の部分に入れたということだけなんだよ。で、その時、マイケルは“群衆に語りかけるポンテオ・ピラト”を読み上げた。彼が読み上げるのを聞いたとき、私は「なんてことだ、これは映画になるぞ」と思った。そして、次にみんなで集まったとき、あそこから形になり始めた。そこから、私たちは単なる断片的なものではなく、ストーリーをもっと書き始めたんだ。グレアムと私がそれまで書いていたものは、『ホーリー・グレイル』の中にあるスケッチのようなもので、それらはどこにもはまらなかった。プロットに関連したものではなかったからね。でも、いったんグラフ上の点を得たら、私たちはそれらをつなげ始めたんだ」

「ひとつ言っておこう。みんな忘れがちなのだが、良いチームというのは、全員同じことが得意というものではない。全員があらゆることに秀でているのが素晴らしいチームだと考えられがちだ、それはわかっている。しかし正解は、例えば、私は音楽がひどく苦手だが、エリックは音楽にとても強い。ジョンジーは素晴らしい監督だが、会話を書くことに関してはあまり得意ではなかった。グレアムと私は会話が非常に得意だったと思うが、必ずしも大きな発想ではなかった。ギリアムはアニメーションの天才だった。そして、マイケルが書くものの多くには、素敵な、ほんの少し古風な魅力があった。こういった、あるひとつのことは得意だが、そのほかについてはそうでもない、というそれぞれ違った人々、だから私たちはあんな素晴らしいチームになったんだよ」





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*(* )の部分は加えています。
*リンク先は英文です。




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今年に入ってから公開された、ごく新しいジョンのインタビュー。これまでにすでに知られていたことに新たな、より詳細な事実が加わっていて、非常に興味深い。私の大好きな“マイケル・エリス”の一部が、もとは『ホーリー・グレイル』のためのネタだったとか、驚きの事実。最後の部分、パイソンそれぞれの得意なことについて的確に語られていて、やはりたいせつなのは適材適所、と改めて思う。ところで、こういう内容でパイソン100%」な2冊目の回顧録を執筆中とは、なんと楽しみな! 日本語版が出るなら、ぜひともなんとかたずさわりたいものです(言うのは自由ということで)。




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