“モンティ・パイソン” エリック・アイドル:すい臓がんから生還したという愉快な話 | CAHIER DE CHOCOLAT

“モンティ・パイソン” エリック・アイドル:すい臓がんから生還したという愉快な話

[ORIGINAL] Eric Idle: I Survived Pancreatic Cancer. It’s a Funny Story | BY ERIC IDLE SEPTEMBER 21, 2022 9:00 PM EDT
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“モンティ・パイソン” エリック・アイドル:すい臓がんから生還したという愉快な話


エリック・アイドル。娘のリリー・アイドルによる撮影。

エリック・アイドル:コメディグループ“モンティ・パイソン”のメンバーとして知られる伝説的コメディアン、俳優、文筆家、シンガーソングライター。著書に、ニューヨーク・タイムズ・ベストセラーの回顧録『Always Look on the Bright Side of Life: A Sortabiography』などがある。トニー賞ミュージカル作品賞受賞作『モンティ・パイソンのスパマロット』の脚本、作曲、作詞を手がけている。現在は小説を執筆中。


3年ほど前のこと。僕は信じられないくらいラッキーだった。すい臓がんだと診断されたのだ。ラッキー? 最も致命的ながんのひとつが、どうやったらラッキーだなんて言えるのかって? それは、信じられないくらい早くに見つかったからだ。いや、昼食前とかってことじゃない、ほかの場所に転移する前ってことだ。

その10年前、すぐ死ねる方法というものについて医者に質問したことがあった。僕のためではなくて、その時書いていた『Death The Musical』というミュージカルのためだ。大量のブーマーがみんないっせいに最期の時に向かっていくというのは、コメディの題材としておもしろいんじゃないかと思っていた。マイク・ニコルズはそれを気に入らなかった。ティム・カリー、デヴィッド・ハイド・ピアース、トレイシー・ウルマン、リタ・ウィルソン、ジュリアン・サンズ、ジム・ピドック、まだ若いジョーダン・ピール、といった素晴らしい人たちとダイニングテーブルを囲んで、脚本の読み合わせをした。僕たちが脚本を読んでいる間、ジョン・デュ・プレはデモ曲を演奏し、みんな笑って、とてもハッピーで、マイクはずっと「いや、くだらない」と言っていた。

その次は、マイクの誕生日にみんなで読み合わせをした。それから、パーティが開かれるベル・エアにあるデヴィッド・ゲフィン邸に着くと、マイクの妻と娘とそのほかたくさんの友だちがみんな、読み合わせがうまくいったことを祝ってくれた。

「みんな、なんておもしろいんだって言ってるよ」

「いや」とマイクは言った。「やっぱりくだらない」

僕の書いた脚本は、死についてのミュージカルを書いている脚本家が、自分はもうすぐ死にそうだということを知る、というものだった。ドラマティックなアイロニーだよね? 僕にとっておかしいのは、彼はただの脚本家で、その週末にロサンゼルスでは優勝決定戦があるから、みんなに追悼式に出席してもらうのがたいへん、ってことだった。

ファーザー・ネッド
世界的に有名なスターに不幸があったとき
それが自分たちじゃなくてよかったと思うんだ

マッジ
よかったと思うのは
どんなに金持ちでも有名でもみんな死ぬってこと
でも私はフレディが大好きで、私は彼のPR(広報担当)
脚本家の名前はたいして知られることはない

ファーザー・ネッド
彼は心優しくて、誰よりも礼儀正しいけれど
それでも、結局、フレッドはただの脚本家

ルーシー
スターと彼らの性生活に
インターネットはざわつく
でもただの脚本家は
誰も気にかけない


僕の書くストーリーを生かすためには、そのキャラクターをすぐに殺してしまう必要があった。リサーチの一環として、医者である友人のディヴィッド・キッパーに一番すぐに死ぬ方法をたずねた。

ドジャー・スタジアムで野球観戦中に、彼は僕に情報をくれた。

「一番早くて、確実で、とつぜんの死因は何?」と僕は聞いた。

「すい臓がんだね」とキッパーは迷いなく言った。「3週間しかないかもしれない」

「パーフェクトだ」と僕は言った。



2019年に時を早送りしよう。その友人のキッパーが画像診断センターで色々な検査をするように言ってきた。彼は予防医学の専門医で、僕はかなり気乗りがしないながらも、それらの検査を受けた。というのも、生きていることは実に気に入ってるけど、看護師の息子として、病院に対しては昔から恐怖心があるからだ。その日はMRI検査を受けた。血液検査はすでに済ませていて、わずかにマーカーが高いことにキッパーは気づいていた。パネル上の血液の数値は疑わしい。彼は直感で、西部医療画像診断センターに頼んだのだ。そのほかの分野の検査をいくつかしている間、アイソトープが僕に打ち込まれた。すい臓に色がついた部分があるかどうかを見るためだ。

「ちょっとコントラストを強めて」とキッパーは技師に指示した。

それは僕の静脈に入っていく。ヨウ素が広がっていくわずかに温かい感覚。キッパーは制御室へと姿を消し、僕はバンバン音を鳴らすスキャナーの下で滑る。長くはかからなかった。バンバンいう音が止まると、僕は制御室のキッパーのところへ行った。

「よお、バディ」と彼は言う。「ちょっとこの中で話そう」

彼はシリアスだということがすぐにわかった。

これ以上ないくらいシリアスだ。

すい臓がんだった。

もちろん、僕はおもしろいと思った。思わないでいられないだろう? 10年前に僕がキッパーにたずねた診断を、今ここで僕は彼に受けているんだ。僕の人生のモットーはなんだ? エントロピーとアイロニー(混乱と皮肉)だ。どちらも自分の身に返ってきている。キッパーとMRIの技師は、僕のすい臓のまん中に座っているゴーストのような腫瘍をじっと見ていた。そっくりそのままの状態だ。ほかのどこにも接触していない。でも、否定のしようもなく、ほぼ確実に、アレだ。けれども、この小さな子犬のようなものはまだできたばかり。破裂もしていないし、広がってもいない。

「いい知らせがある、エリック」とキッパーは言った。「ここにいる技師も誰もかれもがこんなステージのものは見たことがない。どこにも接触していなくて、リンパ結節もない。取ってしまえる可能性が高いよ」

僕はこの知らせを妻のタニアにすぐに伝えた。その後、彼女が犬を連れて庭に行って泣いたと明かすことになったとしても、僕は彼女には早いうちに伝える。彼女はまったく英国的ではなくて、涙も、そのほかの感情表現も、ぜんぜん許容範囲内だからだ。彼女は涙を流すことができる。彼女はハグしにこれる。夜でも昼でも、いつでも。彼女はゆるぎなく、強く、僕を再び立ち上がらせようと決心していた。

僕たちはすぐに、「すい臓がん」などというのは恐ろしい言葉で、人々を震え上がらせてしまうから、僕の診断結果は「ケニー」と呼ぼうと決めた。ケニーだとすいぶん恐ろしくなくなる。ケニーなら、なんとかなりそうだ。ケニーだったら、人前で話せる。翌日、僕は「ケニー・センター」の予約をしていた。「ケノロジー」の駐車場で、従業員が僕の車を移動させるとき、僕はタニアに言った。「あれが死の城の従者だよ」と。

よくいるコメディアンを治療する方法はまだ見つかっていない。



アイドル(一番右)とモンティ・パイソンのメンバー。1978年の映画『ライフ・オブ・ブライアン』のロケ地、チュニジアで。この作品でアイドルの曲“Always Look on the Bright Side of Life”が使用されている。(Evening Standard/Getty Images)



キッパーは僕たちに加わるためにスケジュールを空けてくれた。ケニーの医師は遅れていた。彼の助手のキャロラインが結果を確認した。予想通りだ。すい臓のまん中にがん腫瘍がある。タニアは僕があとどれくらい生きられるかをたずねた。キャロラインは言った。「正直に言って、申し上げられません。こんなに初期で見つかった人は今までいないので。あまりに初期で、それについての統計がないんです」

「いいのはこのことだけじゃないんだ、エリック」とキッパーは言った。「医者はみんなこういうのが大好きだと思う。こんなものを治療するチャンスはめったにない。君の診断はとても初期段階だから、全部を摘出する絶好のチャンスがあるっていうことなんだよ」

この楽観的傾向は、僕に会いにきた執刀医によってさらに確かなものとなった。ニッセン医師はコメディの空気とともに入ってきた。彼は、モンティ・パイソン・ジャケットとしか言いようのないものを着ていたのだ。マイケル・ペイリンか僕がゲーム番組の司会者をやるときに着るような服、花やペイズリーが一面にプリントされたパープルのディナージャケットだ。彼は僕たちみんなと同じように笑って、言いわけをした。マンハッタン・ビーチでの久しぶりに会う人々とのランチ会から戻ったばかりだという。そのあと、彼はそのジャケットを僕の手術の時にも着ると約束した。

キッパーは、彼とともにロボット手術の利点を説明した。執刀医よりずっと正確なのだそうだ。

「それに、だいぶ安くつく」と僕は指摘した。笑いを取るためだ。

彼らはみな一生懸命だった。チーム全体、医者、看護師、そして、執刀医。たいてい、彼らはケニーとは望みの薄い闘いをすることになる。僕の場合、良い結果になる可能性がある。それに、元気でピンピンしているし、とキッパーが加えた。彼があの追加の検査をするように言わなかったら、今頃、時限爆弾が体内でカチコチ言っていることを知らずに歩き回っていたかもしれないと思うとみょうな気がする。いつも通りの年を過ごし、予定を立てて、この成長するものを内部に抱えて、問題なく元気そうに見えていただろう。僕は彼にハグをして、言った。「間違いなく、君が僕の命を救ってくれた」

次の予約まではほとんど家にいない。月曜日に注射。火曜日は全身スキャン。木曜日に手術。

今の問題は誰に話すかということだ。もちろん、子どもたちには言う。前の晩、息子のキャリーには週末に電話をするようにというメールを送っていた。彼はすぐに電話してきた。僕は驚いて電話に出た。タニアと僕は、クリスタル・ルイでケニーに乾杯した。僕はお酒は飲まない。でも、こんな時には「飲まない」ことはない。息子は肝がすわっていて、僕をとても元気づけてくれる。彼はすぐにオーストラリアから飛んでくると言ってくれた。さあ、あとやらなくてはならない最もたいへんなことは、24時間の間は紅茶が飲めないということを別とすると、ケニーのニュースを娘のリリーに打ち明けることだ。彼女は、直感が警告でもしているかのように、僕を避け続けている。金銭的な話をしようとしていると思っているのかもしれない。彼女は1年後に結婚することになっている。その時、僕はそこにいるからと言って、彼女を安心させたかった。ずっと昔、彼女の結婚式ではダンスを踊ると僕は約束した。インタープリタティブ・ダンスになるだろうとは言ってあるけれども。

「さて」と僕は妻に言った。「ラップ・ダンスにするべきかもしれないね……」

ほとんどの友人には言わないでおくことにした。終わってから言ったほうがいい。いずれにせよ。友人で弁護士のトム・ホバーマンは、少なくとも寄宿舎学校よりましだ、と僕が言うと笑った。彼は両肺と前立腺のケニーのサバイバーだ。だから、彼がいてくれること自体もラッキーなのだ。それから、手術の前日の夕食では、僕は古い友人のジム・ビーチにも大きな手術のために病院に入るのだと話そうとした。でも、彼の映画『ボヘミアン・ラプソディ』がアカデミー賞で4つのオスカーを獲得したばかりだった。

「わあ、オスカー4つだって? 僕はすい臓ガンを獲得したけど、それを切ろうとしてて……」

いや、彼の喜びに水を差すようなことはとんでもなく悪趣味だ。それに、彼がなんて言うかわくわくするなんて。

タニアはめったなことでは動揺しない。キッパーが僕にこの知らせを初めて伝えたときに、彼女に僕の考えたギャグを言ったことを覚えている。「まあ、トランプとブレグジットが死をかなり魅力的な選択肢にしたのは間違いないね」

でも、少なくとも今自分たちがどこにいるのかはわかっている。ソープオペラは終わらない。あのことわざの太った婦人はまだ歌っていないどころか、ウーバーも呼んでない。どうなるかは最後までわからない。チャンスはある。ケニーに別れを告げようと試みなければならないのだ。



エリザベス2世と握手をするアイドル(Courtesy Photo)



夜明け前、受付をしに、シダーズ=シナイ・メディカル・センターへ車を運転していった。偽名を使うことは決まっていた。タブロイド紙に見つからないようにするためだ。タブロイド紙は僕に興味があるのだろうかと思うけど、でもそれでも、そのほうが安全だろうとみんなは主張した。それにしても、どんな名前にしたらいいんだ? 僕は思いつかなかった。結局、チーキー氏にした。もちろん、『ライフ・オブ・ブライアン』で“Always Look on the Bright Side of Life”を歌うキャラクターだ。

誰かが受付でこの名前を呼ぶのが聞こえてくるまではよかった。

みんな顔を上げる。

「チーキーさん」と大きな声でくり返す。

「ああ、しまった。あれは僕だ」

ビッガス・ディカスにしなくてよかった。

現実と向き合うときがきたんだ。

夜明けのヒマラヤスギ。温かいブランケット。そして、ニッセン医師はことば通りにペイズリーのディナージャケットを着て入ってきて笑わせてくれた。10からカウントダウンしていき、4を数えるよりも前にプロポフォールで満たされた世界へと消えていた。目が覚めると、手術はもう終わっていた。ぼんやりしたグレーの世界で洗われたり、食事を与えられたり。そして、鎮痛剤も。手術は成功した、僕は確信した。5時間、その一部はロボットによるものだ。鎮静剤が切れるまで、病院の守護天使たちが夜通しめんどうを見てくれる。すると、僕の中のヨリックが『Famous Last Words』に載っている名フレーズを思い浮かべる。

痛っ。

ちくしょう。

こんなに痛いのかよ。

ああ、まだ便通もないぞ……


ようやく執刀医が家に帰るように言ってくれた。

「そのほうがずっと早くよくなるだろうから」

彼は正しかった。数日後、結果を聞かされた。確かにすい臓がんだった。彼はそれを全部切って出した。どこにも癒着していないし、リンパ節にも問題はなかった。がんはなくなった。僕の身体の中にはそれ以上の形跡は見つからなかった。僕は死を宣告された身だった。でも、これからまた生きるのだ。

僕が泣いたのはその時だけだ。



今年の夏、ロックダウンから2年が経って、やっとヨーロッパに戻ることができた。太陽のもとで、満面の笑みを浮かべてクロワッサンを食べながら幸せを感じていたとき、予想外のオファーを受けた。『ザ・マスクド・シンガー』のプロデューサーが、カリフォルニアに戻ってきてほしいと言うのだ。

ほんとうに?

僕が?

電話では、とてもばかげた番組なんだと言っていた。とてもばかげた番組のことはよく知っている。僕は、歌声を響かせる川ねずみや優しく歌いかける月をやってきた。『蝶々夫人』の日本人のお手伝いさんのかっこうで登場して、エリザベス女王(エリザベス2世)の前で“Always Look on the Bright Side of Life”を歌ったこともあれば、チャールズ皇太子(当時)のためにバレエ団と一緒にチュチュを着て瀕死の白鳥になったこともある。『エンジェルス・イン・アメリカ 国家的テーマに関するゲイ・ファンタジア』のエマ・トンプソンのかっこうをして、マイク・ニコルズを祝ったことも。一番誇りに思ったロンドン・オリンピックで自分の歌を歌ったときですら、バングラのダンサーたちにかつぎ上げられたり、粉を吹きかけられたりしていた。だから、人前でおもしろおかしく歌った経験はある。でも、まだそれができるだろうか?


2012年8月12日、ロンドンオリンピックの閉会式で歌うアイドル(Adrian Dennis―AFP/Getty Images)

それを知る方法はひとつしかない。僕はすぐに戻った。

1回目のZoomでの通話で、アバターを選択する必要があった。3つの衣装スケッチを見せてもらった。僕は即ハリネズミを選んだ。僕の年齢なら、とげとげの老いぼれになるのはかんたんだ。攻撃されたら、ボールみたいに丸くなりゃいい。だから、そう、ハリネズミは適切なキャラクターだと思った。

次に、歌を選ばなければならない。ここのところ、“Love Me Do”は良いと思っているのだけど、ビートルズの曲の使用許可をもらうのは難しいことは知っている。Apple(Apple Corps)の古い友だちに電話をかけてみると、あの曲は実はビートルズのカタログではなく、ポール・マッカートニーのカタログの中にあるのだと言われた。

「彼に聞いてみたら、チャンスはあるかもしれない」とジョナサンは言った。「もう許してくれてると思うよ」と彼は加えた。僕がラトルズでダークを演じたことを言っているのだ。

そこで、僕は勇気をふるい立たせて、ポールにメッセージを書いた。彼は優しく、親切だった。彼からのメッセージは、「とにかく、楽しんで、がんばって。それから、なんていう番組か教えて。そうしたら、見逃さなくてすむから!」ということばで終わっていた。

そう、彼はそういう楽しい人なのだ。

ステージでは、つまづいて顔面から転ぶ恐怖を常に感じていたけれど、伸びてきた手がいつも僕をしっかりとつかんでくれた。これが、手術後に初めて出演する番組だった。観客は楽しそうで、審査員はおもしろくて、プロデューサーは喜んでいた。なんとかやり遂げたことを喜ばしく思う。

撮影中はウィリアム・シャトナーの隣にいた。マスクを取ったとき、騎士のかっこうをした彼が僕の耳元でささやいた。「これまでの人生でやらないといけなかったことで、一番たいへんなことじゃないか?」


ハリネズミ。『ザ・マスクド・シンガー』シーズン8 エピソード1より(Michael Becker―FOX)

自分がどれだけ運が良かったかということを思い返し始めたのは、その時だった。助かったということだけでなく、大きすぎるハリネズミの足に自分の足をつっ込んで、テレビで歌ったり、踊ったりしているなんて。僕はやっと、自分にどれぐらい時間が残されているかをキッパーにたずねる決心をした。半年ごとに検診をしていて、何ごともない、それでも、彼の答えは僕にとって衝撃だった。

「そうだな、とても調子がいいね。がんは再発していないよ。10年ぐらいはあるんじゃないかな」

10年だって! なんと。

だから、病気と番組の両方を乗り切った今、僕にどんなことがあったかをみんなに伝えなければならないのだとわかった。キッパー医師、ニッセン医師、そして、シダーズの素晴らしい人々みんなに感謝するだけでなく、何か役に立つことをするときなのだ。これは良いニュースだから。このニュースが広がることを願っている。まだまだこれからだけれど、僕たちは、すい臓がんの調査研究のための基金を募る“Bright Side Fund at Stand Up To Cancer”を立ち上げることに決めた。家族にすい臓がんだと診断された人がいる人たちに、初期段階で見つけることができる新しい検査を検討してほしいと思う。キッパーは、「もしわずか2週間でも遅かったら、手術すらできなかったかもしれない」と言っていた。だから、どのスクリーニング検査(第一段階の検査)が適切かを医師に相談し、愛する人たちにもそうするように伝えて下さい。ほかの人たちも僕と同じように生還してもらうために、僕が手伝う手助けをして下さい。そして、さあみんなで、「“Always look on the bright side of life…(いつも人生の明るい面を見ていよう……)」




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*リンク先、英文です。




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これには驚きました。と同時に、この状態になるまで公表しなかったというのがエリックらしい、とも思う。エリック自身による文章はさすがにおもしろくて、あちこちで何度も笑ってしまった。「cancer」って呼ぶのは恐ろしいから「Kenny」にしようとか、ほんと最高。こんな風に笑っていられるのも、エリックがぶじ生還したからで、ほんとうによかった。エリックも本文中に書いていますが、すい臓がんはがんの中でも非常に恐ろしいものです。いや、もうリアルにsurviving Pythonじゃないですか。パイソンたち、みんなまだまだ元気でいて下さい、ほんとうに、頼みますよ。しかし、やっぱり一番たいせつなのはユーモアとポジティヴさだなあと改めて。あ、一番とかってふたつになってしまったけど。


Eric the Hedgehog可愛い…!





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