The Pythons Autobiography by The Pythons
2003年に発行されたモンティ・パイソンの自伝本。surviving member(当時)の5人のインタビューとマイケルの日記、グレアムについては本人の著書や過去のインタビューと近しい人たちのことばで構成されていて、写真やテリーGのイラストも満載。内容は、彼らの生い立ちから1999年の結成30周年記念スペシャル番組『パイソン・ナイト Python Night - 30 years of Monty Python』辺りまで。小さい頃の話に「配給」とか「隣の家にはテレビがあった」とか出てくると「ああ、そういう時代か……」と思ったりする。エリックの寄宿舎生活の話はまるで子どもの頃に読んだ児童文学の世界のよう。グレアムの子どもの時の記憶はまんまパイソンのスケッチですごい。グレアムの文章がおもしろくて思わず笑ってしまったけど、ほんとうなら笑いごとじゃないトラウマになりそうなできごと。みんなそれぞれにどこかしらの時点で「コメディ」や「笑い」についての気づきのようなものがあったというのがよくわかる。やっぱり『空飛ぶモンティ・パイソン』のところは大きな変化の時期だし、大好きだし、一段と興味深い。13回分のスケッチを1ヶ月くらいで全部書いて、それから撮影に入るというのを知って、どうなっているんだろう?と思っていた謎が解けた。撮影は大部分がフィルムで、中には全部フィルムのものもあると。なるほど画面が良い雰囲気なわけだ。あとは、「オートキュー(視聴者に見えないようにセリフを映し出す装置)」は使わなかったとか。これは、そんなことをしていたらスケッチのペースに間に合わないからというのもあるけれど、あえてややこしくなることとかがんばらないといけないことを作って、それがパフォーマンスや技術の一部になるようにするため。そういうのも含めて、とにかくみんなどこかで誰かに教えてもらったわけではなく自分たちで考えて動いている。テリーGもアニメーションのやり方を誰かに教えてもらったわけじゃない、ただ自分でできるとわかったんだと言っている。ジョンがシリーズ4には出演しないと言い出して、ほかの人からジョンは新しいラジオ番組に出るらしいと聞いたときのマイケルが日記に書いてるひとこと、「...Why does John so underestimate Python?(……なんでジョンの中ではそんなにパイソンの評価低いの?)」。せつない……でもなんだか可愛いマイケル。フライング・サーカスについて、テリーJが当時学校の先生をしていた友だちから聞いた話もとても良かった。それまでは誰かをいじめたりする男子がよくいたけれども、最近は「sillyな(おかしな)」ことをするようになってる、フライング・サーカスが始まってからは誰かを脅かしたりするよりも「sillyな」ほうがファッショナブルになったからだ、と。
あとは、細かいエピソードなど。美しすぎるくらいに素敵なジョンの話。「1966年にイビザで『The Rise and Rise of Michael Rimmer』の脚本をふたりで書いていたときのことを覚えている。彼(グレアム)はデイヴィッド・シャーロックと出会ったすぐあとだったけれども、ふたりの関係についてはまだ誰にも話していなかった。私は室内の日陰のテーブルで書いていて、彼はバルコニーで日光浴をしていた。私たちはドア越しに話をしていた。その時の光景を今でもはっきりと覚えている」(1) なんでもないようでいて、あとから思い返すとなんともいえない幸福感に満ちた光景、それがすごくわかることばだと思う。これを読んだときは涙が出そうになった。
グレアムは困った行動も多かったみたいけど、やっぱり憎めない感じだったんだろうなというのがわかるのがマイケルが日記に書いている『ホーリー・グレイル』のロケ中のこのエピソード。「日曜日の夜、酔っ払ったグレアムは夜中の1時頃に僕の部屋のドアを叩いて、自分はエセル・デ・ケイザー(*南アフリカの反アパルトヘイト活動家)だと言っていた。月曜日の夜もまた起こされた。うとうとしてきた頃、彼が自分の部屋で、自分はベティ・マースデン(*イギリスの女優)だと大声で色んなおかしなしゃべり方をしながら言ってるのが聞こえてきた。でも火曜日の夜には、親切にも僕の部屋のドアの下に『ご多幸をお祈りします、ベティ・マースデン』と書いたカードを置くだけで満足してくれた……」(2) マイケルには申し訳ないけど、この3夜のことは想像するだけで笑ってしまう。グレアムも可愛い(でも迷惑)。このふたりのやり取り(?)はマイケルの文章のうまさもあって最高におかしい可愛い。(マイケルの日記にグレアムが口にしていた人物についての註がありました)
そのマイケル&グレアムの話はこれがすごかった。グレアムが亡くなったとき、新聞に掲載されたデイヴィッドさんのコメント。「マイケル・ペイリンが到着したとき、まるで喜びと光を連れてきたみたいだった。それは、その場の雰囲気にナイフのようにすっと切り込んだ。彼はさっと近寄って、座ってグレアムの手を取った。そして、今日はどんな1日だったか、みんなグレアムのことをどれほど愛しているかを話した」(3) 目の前に白い病室やマイケルの姿が浮かんでくる。この状況でこの行動ができるマイケルはやっぱりものすごい人だと思う。その日がどんな1日だったかをまず話すって。ほんとうにすごい。すごいよ、マイケル。このデイヴィッドさんの表現もまた小説のように美しくて素晴らしい。
で、当のグレアムが死について話している部分もある。1971年のことば。「人に説教ができるほど自分たちが賢いとは思ってない。僕らの考え方はどれもぎりぎりのところにこっそりと入っている。例えば、葬儀屋のスケッチ。ジョンが母親の遺体を袋に入れてやってきて、葬儀屋とどうするか相談する。僕たちは死についてあれこれ心配しても仕方がないじゃないかって言いたかったんだ」(3) 批判も多かったという葬儀屋スケッチの裏にこんな思いがあったとは。もともと好きなスケッチのひとつではあったけど、これを聞いてますます好きになった。別にひとつひとつのスケッチに何かしらの意味を見出そうとまでは思わない。単純に好きだと思えればそれがいいと思う。それでも時にはこういう話を聞くのもよいものだ。6人それぞれの話していることを読んで、ちょっとわかったかなと思うことはほかにもたくさんある。とてもおもしろかった。読んでよかった。
ORIGINAL:
(1) I remember when we were writing "The Rise and Rise of Michael Rimmer" in Ibiza in l966, which was just after he'd met David Sherlock but before he'd told anyone about the relationship, I remember I was sitting inside in the shade at a table writing and he was on the balcony sunning himself and we were talking through the door - that's a clear image that I have of those days.
(2) Sunday night (...)(Graham) was well pissed and woke me about 1 o'clock, banging on my door, saying he was Ethel the Kaiser. On Monday night he woke me again, and just after I'd dropped off I heard him in his room saying he was Betty Marsden very loudly in a variety of silly ways. On Tuesday night, however, he was kind enough to be content with putting a note under my door "With Best Wishes, Betty Marsden" written on it ...
(3) when Michael Palin arrived, he seemed to bring joy and light with him. It sliced through the atmosphere like a knife. He breezed in and sat holding Graham's hand, telling him what he'd been doing that day, and how much we all love him.
(4) We don't feel clever enough to preach - all our views creep in around the edges. Like the sketch about the mortician's shop where John brings in the body of his mother in a sack and discuss with the mortician what to do with it. We wanted to point out that it is stupid to worry about death.