ナイルの娘(Daughter of the Nile) | CAHIER DE CHOCOLAT

ナイルの娘(Daughter of the Nile)

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1987年制作の台湾の映画。アイドル歌手のヤン・リン(すごく可愛い)主演作品……だけど、やたらと暗い。設定や物語も暗いし、夜のシーンが多くて画面も暗い。主人公のシャオヤンは母親と1番上の兄を亡くし、父親は仕事で遠くにいることが多く、実質2番目の兄と小学生の妹との3人暮らし。近くに住む祖父はちょくちょくきてくれる。夜間学校に通いつつ、ケンタッキーフライドチキンでアルバイトをしているシャオヤンは、家事をして、妹のめんどうも見ている。一家の母親代わりといったところだろうに、特に文句も言わずに意外と淡々としている。大型バイクを乗りこなし(レザーの指なし手袋装着。ヘルメットはなし。これは彼女だけではなくて、台湾でのバイクのヘルメット着用の義務化は1996年からだったため。日本は1986年から)、ジープのような大きい車も難なく運転する。2番目の兄はシャオヤンにとってはいいお兄さんではあるものの、うさんくさいチンピラでかなり危ない匂いがしている。とはいえ、そんな兄と兄の仲間たちもシャオヤンの生活の範囲内にいる人たちで、彼女にとってはそれが日常。吹き替えだったら日本映画だと思ったんじゃないかというようなシーンも多い。それくらい日本の文化の影響があちこちに色濃く見える。赤いウォークマン、リトルツインスターズのファンシーグッズ、ケンタッキーの店内のBGMは中森明菜の“DESIRE”とさだまさしの“春女苑”、みんなの行きつけのカフェバーの名前はPINK HOUSE……と記号的な固有名詞もたくさん登場する。誰かが日本に行くとか行ったとかいう話もたびたび出てくる。そもそもタイトルの『ナイルの娘』からして、細川智栄子のマンガ『王家の紋章』のこと。シャオヤンはこのマンガが大好き(ただし、作品内に登場するマンガ本『ナイルの娘』の絵は別の人が描いたもの)。『王家の紋章』は、エジプトで考古学を学んでいるアメリカ人の少女キャロルが古代エジプトにタイムスリップし、その姿や発言から「ナイルの娘」として崇められるようになり、王(ファラオ)のメンフィスと愛し合うようになる、というお話。私が子どもの頃に知ったときに、もうすでに何十巻もあるマンガという認識だった。たくさんあるし、そもそも歴史ものだと思っていたから読もうと思ったこともなかったけど、タイムスリップものだとは知らなかった(ちょっと気になる)。現在66巻まで出ていて、まだ完結していないとか。シャオヤンは兄の友だちのサンに恋していて、サンをメンフィスに重ねたりもしている。彼女にとっては、このマンガがどうにもならない現実からのせめてもの逃避の場だったのだろうな、と思う。夜の外でのシーンと対照的なのが、朝や昼の家の中のシーン。台所(ダイニング)を同じ方向からとらえた構図が定点観測のように何度もくり返し映し出される。台所は家族の集まるところで、食事や宿題やもめごとがすべて同じレベルでそこにある場所。場所は同じで、いる人、人数、行動が違うことから浮き上がってくるものがある。シャオヤンが外で会う人たちの危なっかしさや若さとは対照的に、家の中で会うのは祖父や幼い妹。そこには日常生活と安心感がある。この台所を照らす白い光、吹き抜ける風、すりガラスのドアの向こうから話しかけるおじいさんの声、そういったものが心の奥にある忘れていた何かを呼び起こしそうな気がしてくる。つかめそうでつかめないくらい、もう遠くに行ってしまった何か。ひたすら暗い、救いようがないともいえる話なのに、最後はひとしきり泣いたあとみたいなすっきりした感覚が残った。遠くに行ってしまったと思ったものは、実はずっと近くにあるのかもしれない。