The new wave of new age。ニューエイジ、その新しい波: | CAHIER DE CHOCOLAT

The new wave of new age。ニューエイジ、その新しい波:

[ORIGINAL]
The new wave of new age: How music’s most maligned genre finally became cool
BY ADAM BYCHAWSKI, AUG 16 2016
http://www.factmag.com/2016/08/16/new-age-matthewdavid-deadboy-sam-kidel/



The new wave of new age。ニューエイジ、その新しい波:最も酷評されてきた音楽ジャンルはどのようにしてクールになったのか。


何年もの間、ヨガスタジオだの健康食品店だのとばかにされてきたニューエイジミュージックだが、プロデューサーやクレイトディガーたちがこの酷評されてきたジャンルを再評価していることによって、ここ10年間で復活を遂げている。Adam Bychawskiは、プロデューサーのMatthewdavid、Deadboy、Sam Kidelに、ニューエイジの癒しのトーンを好きになったきっかけを聞いた。そして、不安定で政治的混乱の時代において、これらのレコードがヒッピーたちのためのバックグラウンドミュージック以上のものであるということについて話をした。


ニューエイジほど多くの嘲笑の的となった音楽もそうない。ニューエイジがメインストリームに登場してきた80年代の中期、それは批評家たちのかっこうのターゲットとなった。彼らは、「心にも感覚にもとてもつまらない“music for hot tubbers(集団で風呂に入っているヒッピーたちのための音楽)”」だとあざ笑ったが、それで売り上げが落ちることはほとんどなかった。10年の間でニューエイジは通信販売の家内工業からメジャーレーベルの稼ぎ頭へとかけ上がった。だが、20世紀の終わりには、リスナーのニューエイジに対する興味は失われていった。『Pure Moods』のような安っぽいタイトルのよくあるコンピレーションアルバムが市場にあふれ、ニューエイジは徐々にレコードストアの棚から消えていき、スピリチュアルグッズの店やホームセンターへと追いやられた。

しかし、たえがたい不名誉にもかかわらず、ニューエイジは復活しつつある。人々の意識からそのジャンルが消えていったすぐのちに、post-noiseシーンからの転向者たちをひきつけ、エレクトロニック・アンダーグラウンドで余生を過ごしていたのだ。アナログシンセサイザーの即興演奏者Emeralds、コズミックなサウンドのコンポーザーStellar Om Source、エレクトロニック・コンセプチュアリストOneohtrix Point Never、さらに最近では、ダンスミュージックにもその影響が現れてきている。80年代、90年代からの文化の破片をかなり多く含むvaporwaveのように、それはリサイクルされている。ニューエイジの伝説は続いており、さまざまなジャンルや分野を横断しているさらなる兆候がある。Max Richterのネオクラシカルsleep tapeやYamanekoのgrime explorationsから、バンクーバーのlaid-back houseのスペシャリストMood Hut、さまざまなジャンルを扱うカセット・ハブ(レーベル)の1080pまで。

同時に、リイシューが大量に出たことが、けなされてきたこのジャンルの再評価を加速させている。 ついに、Ariel Kalma、Gigi Masin、Joanna Brouk、Laraajiのような初期の代表的なアーティストたちがMusic From Memory and RVNG Intl.といったレーベルの回顧シリーズを通して認められてきている。ニューエイジのレア音源のコンピレーションは再び人々の興味をかき立てるのに貢献しており、中でも、2013年にリリースされた Light In The Atticの『I Am The Center』は特筆すべきものである。

新しく聴き始める人たちは、Light In The Atticのコンピレーションから始めるのがいいだろう。1950年代~1990年代に、趣味人、オカルト信仰者、セラピスト、セッションミュージシャン、アヴァンギャルド作曲家たちによって、個人でリリースされたリリースが数多く納められている。トラック自体はその製作者たちのバックグラウンドと同じくらいバラエティに富んでおり、柔らかくかき鳴らされるアコースティックギターの曲から、チャイムのまたたきやグリッサンド奏法(音階を滑るように演奏すること)のハープやフォーク調のフルートのメロディが放り込まれた、宇宙をさまよっているようなインストゥルメンタルの組曲まで、と幅広い。それは、商業的な転換期を迎える前、ニューエイジミュージックがどう折衷的で、時に奇妙であったかという証明である。

『I Am The Center』が止めたところから続きをやろうとしている者もいる。ジャンル初期のDIY精神に刺激されて、L.A.のプロデューサーMatthew David McQueen (aka Matthewdavid) は、“modern new age(現代のニューエイジ)”ということばを掲げて、彼のレーベルLeaving Recordsからテープをリリースしている。McQueenは、フロリダのチャリティショップで地域奉仕の活動をしている時にニューエイジのレコードを収集し始めた。

「あらゆる種類の変な誰もしらないようなカセットに出会ったよ」と彼は言う。「こういうものは誰も探してないからね――みんな通り過ぎたり、安っぽいとかつまらないと思って気にも止めなかった」彼の興味がさらに個人的な愛着のようなものになったのは数年前からだったが、うつ病を経験している期間、ニューエイジを聴くことにセラピーのような効果があることに彼は気づいた。たとえば、1981年にアメリカの作曲家Michael Stearnsによってリリースされた壮大なコズミックシンフォニー‘Planetary Unfolding’は、特に大きな意味を持った発見となった。彼は言う。「あのレコードが僕の人生を救ってくれたんだ」

苦しい時にニューエイジミュージックの中に癒しを見つけることが、このジャンルで自分自身のテイクを製作し始めるための仲間の多くを引き寄せてくれた、とMcQueenは言う。「90年代、2000年代のすべてのnoise、punk、experimentalのミュージシャンはニューエイジにひきつけられていた。彼らは燃えつきてしまったように感じていたし、今は人生のまた違ったステージにいるから、というのが僕の理論なんだ。僕らはみんな自分自身を痛めつけてしまって、自分自身を、自分の耳を、身体をだめにしてしまっていたんだよ」と彼は笑う。「僕と僕の友だちの何人かにとっては、音楽を聴くっていうアートについてもっと知ること、そして、音楽を通しての瞑想やセラピーをすることが、自分の人生を生きる手助けとなるし、そうとう効果的だって言えるよ」

LeavingのModern New Ageシリーズでは、McQueenは同じようにこのジャンルへの愛情を持つプロデューサーたちの小さなグループとのコミュニティを構築している。そのタイトルは現代のニューエイジの再解釈を提案しているようだが、これまでのニューエイジと現代のニューエイジを区別するものは何もない。これまでにMcQueenが出してきたいくつかのカセットはニューエイジの特徴的なサウンドに習ったもので、このジャンルの最盛期に人気だったRoland RE-201 Space Echoといった楽器も使っている。

今年すでにリリースされた彼の最新アルバム、『Trust The Guide and Glide』は同様に初期のニューエイジのイメージやサウンドを色濃く反映しており、かつてのニューエイジのパイオニアIasosと一緒に仕事をしていたGilbert Williamsによるアトラスの風景の絵がフューチャーされたカバーで、‘Elven Invitation’といったタイトルのトラックが収録されている。McQueenの毎月のラジオショウDublabでの即興演奏から生まれており、シンセフルート、ハープ、フルス(中国の管楽器)とフィールドレコーディングで構成された、ヴィンテージのメディテーション・テープへの臆すことない敬意が表現されている。

Leaving Recordsでは、現在のリバイバルで、最もはっきりとした特色だけを表現している。秘儀的なライナーノーツまで徹底的にクラッシックニューエイジのレコードを模倣しているのだ。たいていは、プロデューサーはそのソフトなサウンドをhouseやinstrumental grimeのようなジャンルに落とし込む方法を見つける。そのため、ニューエイジの復活はもっとびみょうでとらえにくいものになる。そうすることで、彼らは自分たちのジャンルのある特定の側面を前面に持ってくることができるのだ。たとえば、houseの瞑想的で哀愁のあるサイドを際立たせたり、grimのメランコリックな感じやエキゾチックなテイスト( ‘sinogrime’として知られているジャンル)を強調したりできるのだ。

こういった関連性を持った演奏をしているアーティストに、UKのDeadboyとしても知られているAllen Wootonがいる。彼はニューエイジに大きく影響を受けているLocal ActionでEPを昨年リリースした。ある点では、EP『White Magick』は流れ続ける静かなシンセ、響くドラの音、子守唄のメロディといったものによって、過去の作品からの彼の出発を示していたが、ロンドンを拠点とするこのプロデューサーは、さまざまなジャンルからのアイデアを彼自身のクラブミュージックのヴィジョンにニューエイジを取り入れるコツを心得ている。

WootonはCrystal VibrationsやSounds of the Dawnのようなブログを見ている時にニューエイジを見つけた。そういったブログには、何時間もの長さの誰も知らないようなテープや忘れ去られたLPがクレイトディガーたちによってアップロードされている。Crystal Vibrationsは現存していないが、Sounds of the DawnはNTS Radioの毎月のショウへとその活動は広がっている。ふたつのサイトによって発掘された膨大な数のカセットに刺激され、WootonはニューエイジをUK ダンスミュージックのさまざまな形態として再構築したトラックのシリーズを作ることに決めた。弦楽器類、軽快なフルートのプリセット、悲しげなチャイムは明らかにカセットからのものだが、ビート自体はUK funkyとgrimeに乗っている。

『White Magick』のリリース後、WootonはRadar RadioのIndia Jordan、プロデューサーのMurloやYamaneko,、Local ActionのボスTom Lea、その他にも、ニューエイジのムードをシリアスにサウンドシステムに持ってこようという同じような考え方の人々と毎月恒例のパーティを始めた。イベントNew Atlantisはロンドンの南東のペッカムにあるレコードショップRye Waxで月に一度催されている。万華鏡のように次々に変化するVJをバックに、テレビゲームのサントラやニューエイジ、アンビエント、フィールドレコーディングが入り混じって流れ、レイヴが終わってチルアウトした部屋を思わせるような、まさに日曜日のくつろぎのイベントだ。皮肉っぽい要素もあり、DJたちはDJ Distant StillnessやSuper JV Lightbodyなどのような、上手くそれを表すような変名をつけている。そういったおふざけはあるものの、Wootonはそのイベントはニューエイジを茶化しているのではないと強調する。「ほとんどのニューエイジのミュージシャンは自分たちの音楽に関してとても真剣だったし、だから、その音楽で別世界に行くことができることが楽しかった。音楽はそうあるべきだと僕は思う」と彼は言う。

New Atlantisがロンドンにニューエイジのファンを集めている一方で、バンクーバーにもまた別の現代のニューエイジのハブが出現している。そこでは、ふたつのレーベル、Mood Hutと1080pが現在のダンスミュージックのニューエイジミュージックへの関心をはっきりしたものにすることに貢献している。昨年Mood HutからリリースされたSlow Riffsの『Gong Bath』は“for healing use only(ヒーリンング専用)”という注意書きがついており、そのタイトルのとおり、水中に沈んでいるような感覚になる、ぼんやりと波打つシンセが使われている。

その他にも、1080pのYou’re MeやMood HutのAquarian Foundationのようなアーティストは、彼らの作品の夢を見ているようなアンビエントさやメロウさを通して、もっとゆるくニューエイジをほのめかしている。You’re Meは新進のバンクーバーのプロデューサーYu SuとScott Johnson Gaileyの二人組で、今年デビューアルバム『Plant Cell Division』をリリースしている。全体にニューエイジのタッチ――水のこぽこぽいう音、鳥の鳴き声など――がちりばめられているが、ほとんどの部分で、音よりも感覚的な引用がより多くある。毛布のような、チープで、妙に安心させられる何かがあるのだ。さらに、水滴が水の表面に作る輪のように小さく波打つ催眠的なコードによってひきつけられる。1080pの多くのリリースと同様に、SuとGaileyの作品も、これまでのニューエイジの模倣は避けているが、やはりニューエイジと同じく、感情を鎮める効果を持っているのだ。

ニューエイジにインスパイアされたレコードの例はあふれているが、なぜ今そのリバイバルが起こっているのかを指摘するのは難しい。Simon Reynoldsがpopミュージックに増えていた過去への執着の分析を行なった本、‘retromania’で述べられているのとはまた違ったケースだといえるだろう。Christian Eedeが最近FACTで論じているように、レイヴとそれに付随してくるもの、アーメンブレイクからラジオの海賊放送のトークまでがここ数年間で再び流行している――それはおそらくチルアウトミュージックに対して新たに高まった関心の説明にもなるだろう。チルアウトが陰でレイヴが陽なのだ。しかし、その傾向は懐かしさというより、より深い不安感の兆候を示している可能性がある。

ニューエイジはレーガン大統領の任期の間に多くのファンをひきつけたのだが、政治の混乱と恐ろしく迫りくる環境危機の時期に、再び関連性が見られるようになったということは明らかなようなのである。20世紀の後半の数十年以来、労働者たちの運動が衰退し、かつては私たちの多くに職場で与えられていた権利や保護が着実に損なわれてきている。ゼロ時間契約、カジュアルワーク、住宅にかける予算の不足、厳しい給与制限などを通して、不安定さは当たり前のこことなっている。同時に、科学技術によって、プライベートな生活にさらに仕事が介入するようになった。雇用される者は使い捨てになり、労働時間はより“フレキシブル”になって、休暇や福利厚生は必需品とは見なされなくなり、贅沢だと思われるようになった、そして、急成長している“健康”産業にいいように搾取されているのだ。

おそらく、ニューエイジの復活は、うつ病の再発を避けるのに効果的だとわかったというマインドフルネスや仏教に由来する瞑想のテクニックと偶然一致したともいえるだろう。公共衛生サービスの資金不足のために、不眠症、不安障害、うつ病のような状態の人が簡単に受けられる治療が不足しており、マインドフルネスのアプリや瞑想音楽のような、より手に入りやすい間に合わせのものが人気を得てきている。しかしながら、後者は私たちの精神状態にどういった効果があるのかという見解が少ない。ニューエイジミュージックを聴くことはストレスを軽減するとある研究は結論づけているが、一方で、ある特徴によると主張する者もいる。ソフトなピアノやストリングスのインストゥルメンタルの、リズムがあまり複雑でない曲が、より被験者がよりリラックスできると感じられたとのことである。

しかし、ニューエイジの研究は見落とされる傾向があるというのは、音楽の効力がファンタジーと同じように思われているというのが原因である。タイトルとイメージ――牧歌的な海の風景、仏像、野生動物――は、なんとなく失われた楽園を思い起こさせる。現実逃避をする人々が幻想で部屋を離れるのにはじゅうぶんだ。そして今、これまで以上に、私たちの心に現実離れしたユートピアをさまよわせるための癒しはいくらでもある。Seth Kim-Cohenが彼の2013年のエッセイ‘Against Ambience’に「誰があらかじめ日付を決められたマクロリアリティ、あるいは3桁の受信ボックスの(メールの)数のマクロリアリティの中に生きたいと思うだろうか? 鮮やかなフューシャの花の輪が浮かぶバスタブの中の方が良いのではないだろうか?」と書いたように。おそらくニューエイジはムードを出す照明と同等の効果がある、聴覚的なものだといえるのだろう。

Kim-Cohenは特に芸術の世界について書いていたが、雰囲気における“bathing(入浴)” という彼のたとえは、最近アンビエントとニューエイジのレコードについて言うのに使われていることば “flotation tank music(浮遊タンクミュージック)”に似ている。それ以前の“elevator music(エレベーターミュージック)”はじょうだん的なレッテルではあるが、故意に音楽の消費自体について示しているものである。また、外部のじゃまをするものを遮断することを要求する聴き方をほのめかしている。BGMとしてというよりも、環境、思想、不安を立ち退かせるためのサウンドトラックなのである。そして、浮遊タンクは外界からの完全な撤退を約束する、それがデジタルでもフィジカルでも。

しかし、顔をそむけ、耳をふさぐことは、あなたの頭を砂の中に埋めてしまうことに匹敵する可能性がある。同じエッセイの中で、Kim-Cohenは「“[Ambient] politics(〔アンビエント〕政策)”は、その他のできごとや存在をそれに寄せて、落ち着くだけである。Ambience(雰囲気)は抵抗することはない」と述べている。ニューエイジ、とりわけそのスピリチュアルな支持によって資本主義の企業との快適な関係を持っていたこのジャンルについての真実を含む主張だ。カリフォルニアの組織Valley Of The Sunは、このジャンルの最初の通信販売レーベルのひとつだが、ヒット工場のような経営が行なわれていた。Britt Brownの最近のThe Wireのレーベル・プロフィールにあるように、幅広い潜在顧客ベースにアピールするために、さまざまな異なったスタイルのテープを何十本も作り出していた。レーベルのオーナーたちは、いんちきの癒しや催眠の効果を主張し、彼らのリリースしたテープを病院、教会、心理療法医師、託児所にまで売り込んだ。

80年代の中期、Valley of the Sunが先導したブームに乗ってもうけようと、いくつかのメジャーなレーベルが自分たち自身のニューエイジの子会社を始めた。そして、ニューエイジとアンビエントは、Muzakのような会社によって店舗や会社に作られたイージーリスニング・コーナーに加える価値があるということになった。イージーリスニングはBGMに特化したジャンルである。MuzakはMood Musicとしてリニューアルして以降、モラルと生産性の向上、また、主として疑似科学に基づいた根拠をセールスポイントにその製品を市場に売り込んでいる。現在も小売ブランドにカスタム・サウンドトラックを提供している。買い物客を店に長くとどまらせるために、その販売店のターゲットのお客に合わせて作られたプレイリストだ。

アンビエントとニューエイジを作って成功しているプロデューサーたちはそれぞれのジャンルの商品化と取り組んでいる。James FerraroやFatima Al Qadiriのように、その文化を物語るものとして、初期のMuzakのつややかなシンセトーンを模倣している者もいる。James Ferraroの2011年のアルバム『Far Side Virtual』は、ソフトウエアのidentや派手なMIDIのストリングスから集められており、グロテスクな企業アンセムとの違いがないとも言われている。ニューオリンズを拠点とするアーティストJonathan Deanのように、内向的な自己中心主義や自由市場の個人主義の間のパラレルを描くことによって、ニューエイジを風刺する者もいる。2013年にリリースされた『Transmuteo』というタイトルの彼の最新アルバムは、ビジネスの自己啓発マニュアルのことばでいうところの、「ニューエイジでモチベーションを上げる」テープをほうふつさせる。Holly Herndonの2015年のアルバム『Platform』のASMR(Autonomous Sensory Meridian Response )誘導トラック‘Lonely at the Top’は、マッサージ師が「あなたは成功へと続く可能性についていく方法を知っています」と自分を甘やかすことばをお客にささやくといったものと似た考えで演奏されている。

ニューエイジは笑いものにされやすい。しかし、単にそれをからかうのではなく、資本主義団体からニューエイジとアンビエントを取り戻すことはできるだろうか? それは、ブリストルのコレクティブYoung EchoとKilling Soundのメンバーであり、EI Kidという名のプロデューサーでもあるSam Kidelが、彼の最近のアルバム『Disruptive Muzak』で答えようとしている問いだ。そのレコードは彼の日々大きくなるアンビエントプロデューサーとしての不安から生まれ、でき上がった。「かなりひんぱんに考えるようになっていたんだ、『あのトラックは良すぎるからリリースしないようにしよう』って」と彼は言う。「僕が一緒に音楽を作っているたくさんの人たちもこういった急進派の政治姿勢を持っている。でも彼らの音楽は広告主に奪われて、たぶん彼らがいいと思わないだろうなっていう文脈でひんぱんに使われるんだ」

同じような運命を避けるために、Kidelは意図的にリスナーを扇動するアンビエントミュージックの曲をひとつ書くことに決めた。タイトルがそのことを示している。それを試してみようと、Kidelは英国労働年金省の電話相談窓口に電話し、困惑するオペレーターの反応を録音した。そのアイデアはKidel自身がコールセンターで働いていた経験からヒントを得たものだった。「ほんとうにおもしろみのない、人間らしさのない、そういう環境だよ」と彼は思い返して言った。「電話の向こうの人に対して、自分自身を出すことのできないところなんだ」

同じ頃、彼は “hive spam”という名で知られる市民抗議集会のひとつにも関わっていたが、そのオフィスは洪水のように鳴り響く電話でマヒした状態になっていた。——DoS攻撃の古いバージョンだ。Kidelが参加していた抗議集会のひとつは内務省に対するものだった。内務省は、当時、医者が旅行するには状態が悪すぎると判断したある女性を出国させようとしていた。「僕はその抗議方法にとても興味をかき立てられたんだ」と彼は言う。「だから、何か似たようなことをする、電話をつながない時みたいな音楽を演って彼らの時間をムダにするのはどうだろう?って考えたんだよ」

Kidelは彼の実験のために、これ以上ぴったりなメディアはないと思った。相手を待たせている間の音楽としてアンビエントは幅広く使われている。ということは、電話の向こう側で待たされたままでいるのと同じ、イライラする体験をさせることができるということだ。市場調査員はソフトなインストゥルメンタルミュージックを流すことは不満のあるお客をなだめ、電話をすぐに切らないようにさせると主張していた。しかし、the Journal of Applied Social Psychologyによって出された2014年の研究で、電話をかける人はもう“elevator music(エレベーターミュージック)” に慣れすぎていて、過去のヒットチャートに入っていたサウンドトラックでも怒りを軽減できるということが明らかになった。

Kidelは反応を起こさせることにも同様に興味を持っていた。「僕は対立するような、人々にもっと批判的に考えさせるようなアンビエントミュージックを作りたかったんだ」と彼は説明する。アンビエントの落ち着いていて静かだと思われている特質に逆らうために、Kidelは彼自身の「良い」曲のうちのひとつをわずかに不穏になるように破壊した。結果として20分の長さになったその曲は人々をあざむくようなものだ。ゆっくりと始まったかと思うと、調子が外れた音や炸裂するベースのスタッカートにさえぎられるのだ。それはバックグラウンドに引っ込むことを拒否している。

Muzakは妨害しようとして、アンビエントミュージックは本質的に政治的意義がないと主張している。しかし、すべての音楽がそうであるように、意図されていない目的に取り込まれることで批判を受けやすくなる。私たちのニューエイジとアンビエントの見方は大部分がそれらが関わってきた環境、オフィス、スパ、店舗のスペースなど、によって形作られているのだ。ニューエイジを聴く人を受動的な人だと見なす傾向があるが、彼らが主体性を持つ、また別のシナリオを考えることもできる。

私たちが何気なくニューエイジを聴くことを選ぶのは、資本主義に抵抗するためかもしれない。また、公共の場所で常に広告に攻撃されることから逃れるために、職場でだらだらするために、あるいは、不安障害の発作を抑制するために。ささいなことかもしれないが、人間の幸福が使い捨てで、取るに足らないものだと軽視され、経費削減手段として絞り出されている時代においては、そういった小さな行動に重みがあるのである。睡眠さえも資本主義のじゃまになると見なされ、贅沢なものになる危険にさらされている。Jonathan Craryが彼の本『 24/7: Late Capitalism and the Ends of Sleep』で主張しているように。「その深刻な役立たなさと本質的な受動性において、生産、流通、消費の時間にそれが引き起こす計り知れない損失があり、睡眠は……現代の資本主義の貪欲さに対する人類最大の侮辱のひとつである」

私たちの時間と関心をニューエイジミュージックの1曲に使うというちょっとした行動は、私たちの余暇の時間でさえ、絶え間ない行動を行なわせ、物価を安定させるという支配的な労働倫理に反対するいらだちなのだ。必要最低限の楽器の演奏、ビートはなく、際立った作りやペースの変化もない、そんなニューエイジミュージックはじっくりと何かを考える時や特に何もしていない時にはよく合う。ニューエイジが私たちにそうすることを誘うように、もし音楽を聴くことに浸ることを選ぶなら、自由な時間を過ごさなければならないという義務や、意欲的な個人としての“生産的”と見なされる活動を笑うだろう。私たちが起きている時間の最後のひとかけらが資本主義に侵食されつつある今、ニューエイジは最も重要な瞬間に復活したのだ。その安らぎのトーンが、私たちに休息と幸福の時と場所を勝ち取らなければならないということを思い出させるのである。





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