SELECTORS w/ MCDE, Young Marco, Joy Orbison | CAHIER DE CHOCOLAT

SELECTORS w/ MCDE, Young Marco, Joy Orbison

[ORIGINAL]
SELECTORS (with Motor City Drum Ensemble, Young Marco, and Joy Orbison)
http://dekmantelselectors.com



SELECTORS (with Motor City Drum Ensemble, Young Marco, and Joy Orbison)


2014年、Dekmantelはアムステルダムで毎年開催するサマーフェスティバルにofficial Selectors stageを加えた。セレクタークラスのDJを称賛しようという意図のものである。それ以降、そのステージで幅広いさまざまなDJたちがプレイしている。Floating Points、Mike Servito、Traxx、DJ Harvay、Ben UFO、Donato Dozzyなどがそれに含まれるが、その数は多くはない。(幅広くさまざまであっても)彼ら全員には共通するものがある。それは、DJプレイに対するひたむきさである。2016年、ある程度限定された規模のフェスティバルとコンピレーションシリーズで、DekmantelはSelectorsというコンセプトをさらに一歩前へ進める。フェスティバルはクロアチアのティスノで行われることになっており、ワールドクラスの素晴らしいDJたちの才能をくつろいだ絵になる環境の中で見せてくれるだろう。それに先立って、Selectorsコンピレーションがリリースされる。Motor City Drum Ensemble、Young Marco、Joy Orbiosnが最初の3枚を監修する。これらはmix CDではない。それぞれのコンピレーションにはアーティスト自身によってひとつひとつ選曲されたミックスされていない曲が収録される。特に決められたルールのようなものはなく、このコンピレーションの背後にある考えはシンプルなものである。そしてそれは、Selectors全体のコンセプトともいえる。DekmantelはDJたちだけでなく、DJというアートにスポットライトを当てたいと考えているのである。

もちろん、セレクターとは、厳密にいうとどういった人のことなのだろうかという疑問はやはり残る。Jamaican dubやreggaeカルチャーにそのことばのはっきりしたルーツはあるが、「音楽についての知識が豊富で多く語ることができる」といったあいまいなイメージや「底知れないほど深いレコード棚を所有している」など、そういったもの以外に現代のセレクターとそうでない人を区別する方法はほとんどない。その考えを少しでも前に進めたいという思いのもとに、Motor City Drum Ensemble、Young Marco、Joy Obrisonとともに腰をすえて、DJに対してのアプローチをどのように行なっているかをたずねてみた。そこでわかったのは、彼らの考え方(そして彼らのレコード棚)はそれぞれまったく異なっているということである。しかし、彼らがみなDJというアートに絶対的にひたむきであることは間違いない。

Motor City Drum Ensemble (a.k.a. Danilo Plessow)はレコードが大好きだ。彼がレコードを集め始めたのは、サンプルとして使える素材を探していたティーンエイジャー・プロデューサーの頃にさかのぼる。そしてそれ以来、そのペースがスローダウンしたことはない。なぜ彼のコレクションが15,000枚近くにもなっているのかがわかるだろう。かなりの数の曲を自由にかけられる状態にあって、このドイツ生まれのアーティストが、誰にも知られていない曲をプレイすることを楽しんでいるのも当然のことだといえる。実際、彼のDJ setは、楽しんでいる人々の中でちょっと不機嫌そうに体を揺らしている……そういった人たちにアピールするためにプレイされているのではない。「結局、たいせつなのはそこにいる人たちだから」と彼は言う。「自分自身じゃない。エゴじゃない。クラブに入っていったら、その瞬間にエゴのスイッチを切る。そこにいる人たちのために、その人たちに幸せになってもらうために僕はいるんだから」

アムステルダムのYoung Mardo (a.k.a. Marco Sterk)(彼はもともとかなりのスケートボーダーであり、そうとう数のレコードを所有するdiggerとしても知られている)も、Motor City Drum Ensembleと近い考えを持っている。「他のDJたちのためにプレイするわけじゃないんだ。聴いてくれる人たちと、自分自身のためにプレイする。僕は自分がクラブで聴きたいと思うレコードをプレイするよ」と彼は言う。

ロンドンのDJ/producerであるJoy Orbison (a.k.a. Peter O'Grady)の考えも、彼らとかけ離れたものではない。彼は、自分自身、あるいは、仲間たちを祭り上げることを好まない。彼はdrum&bassの大物、Ray Keithの甥として、絶対的な畏敬のもとに育った。「とても貴重なことだったと思うし、とても重要なことだったと思うよ。その状況がほんとうにすごく楽しかったっていう思い出はあんまりないんだけどね」と彼は当時を思い返して笑う。もちろん、それでこの世界に入るのをやめておこうと思ったりはしなかったが、彼自身の才能でアーティストとして知られるようになった今でも、まずこう言う。「(DJは)ピアノを弾くわけじゃないし、チェロを弾くわけでもない。たくさんの人たちが心地良く入ってきて、やってみようと思ったりする……そんな何か。ごくふつうの手段であることがすごく好きなんだ」

ここ数年、この3人のようなアーティストたちが「DJとはどうあるべきか」という例として取り上げられている。そして、彼らに「セレクター」というタグがつけられることも最近では珍しくはない。ファンは伝説的に名高いこれまでのヒーローたち(David Mancuso、Ron Hardy、Larry Levanなど)とすぐに比べたがる。DJの「黄金時代」とされる時代に通じる部分も確かにある一方で、Motor City Drum Ensemble、Young Marco、Joy Orbisonが他のDJたちと一線を画している理由は伝統主義にあるわけではない。「DJという文化には、ある種の伝統を重んじるような側面があるけど、それはみんなDJをすることにほんとうにわくわくするとか、DJをするのがほんとうに好きだとか、そういったところからきているんだと思うよ」とJoy Orbisonは言う。「でも(今のDJは)もうちょっと積極的だね。例えば、僕はロータリーミキサーが大好き。そうでない人を嫌いってわけでもないよ」

これら3人のセレクターたちの素晴らしさは、自分たちのヴィジョンを追い求めるためのオープンマインドと純粋でゆるぎのないひたむきさからくるものである。大量のpunkや初期のWarp (Records)を聴いて10代を過ごしたYoung Marcoは、今レコードショップに入っていくと、なんのためらいもなくまっすぐjazz fusionセクションに向かう。「(jazz fusionセクションは)ジャンル分けできないレコードがたくさん行くところだからね」と彼は説明する。「electric experimentsとか、店員さんもどのカテゴリーに入れたらいいのかよくわからないものとかね」彼がピックアップする曲はダンスミュージックとして作られたものではないこともよくあるが、この「偶然性」によってプレイがよりいっそう魅力的になるのである。彼の中で、そういったレコードは「ことさら正直な」ものだ。それらを作った人たちは「何かを説明しようとしている」わけではないのだから。

正直さはMotor City Drum Ensembleにとってもたいせつなものである。不安障害に苦しみ、DJブースから離れることを余儀なくされてからの数年では特に。DJから離れるのはどうしようもないほどに苦しいことだったが、最終的にその苦しい経験は彼の決心を固く、アーティストとしてのヴィジョンを明確なものにさせた。「一晩中houseミュージックだけをプレイするとか、そういうのはもうしないことに決めたんだ。かなりraveっぽいのをやらないといけないところはもともとあまり好きではなかったし、そういう会場ではもうプレイしないことにした」と彼は思い返して言う。「シュトゥットガルトでプレイを始めた頃に戻ったみたいなプレイをとにかくやりたいと思って。たくさんのdiscoとか、ここ2~3年でやっていなかったようなものをたくさん」

「シュトゥットガルトでの最初にやったバーでのギグでは、Stevie Wonderの“Pastime Paradise”とかChicの“Le Freak”とか、そういう曲の間にMoodymannのレコードをこっそり入れることに成功したよ。そこではいつもそんなことをやってた。Chicをかけることはもうないだろうけど、すごく幅広いアプローチをするようにするっていう考え方自体はほんとにぜんぜん変わってない。soul、jazzからhouse、technoまで、なんでもかける」

数年前、Joy Orbisonもまた、自分がどういったタイプのDJになりたいのか、はっきりと決まるところまでたどり着いた。2009年、デビューシングル“Hyph Mngo”の爆発的ヒットが彼を世界的なDJの世界へと押し上げた。最初は、彼自身の曲と特にUKの音楽シーンに向いていそうだと思うものなどをプレイしていたが、最終的には自分の音楽の範囲をもっと広げたいと思うようになった。Live setでのショウのオファーを断り、DJとしての自分のプレイを作ることに専念した。“Hyph Mngo”以前でも、彼のテイストはUK hardcore continumの範囲を優に超えており、DJ setにも同じように多様な感覚を入れていく必要があると彼は感じていたのである。「今、DJをする時は僕は“DJ”で、自分がほんとうにいいと思う音楽をプレイすることにもっと集中したいと思ってる。10回のうち9回はほとんどの人が知らないようなものになると思う。でも、プロデューサーとしてやることとは完全に切り離して考えてるんだ」

「僕は技術的な面に関してはそこまで気にしてない」と彼は続ける。「僕は、おもしろい音楽だと思うものを誰かがプレイしているのを聴きたいだけなんだ。でも、それが全部意味をなすように配慮されている状態で、だけどね。ちょっと変わったいいレコードをただランダムにプレイするのは簡単だけど、(それだけでなく)意味があるものになるようにすべてを上手く合わせていくこと、それが素晴らしいと思うことなんだよ」

Motor City Drum Ensembleも、それを似た思いを持つ。彼は、人々を幸せにすること、それが、自分の最もすべきことだと考えているが、「問題は、どうやってそれをやっていくか、ってことで」とことばをつけ加えている。「わかりやすいルートで進むこともできるし、自分なりの独自ルートで行くこともできる。どちらにしても同じところに着くことはできるけど、でも僕は、誰も知らないだろうなっていうレコードをプレイしたり、みんなが予想もしなかったような世界を開くことでやっていこうと思う」と彼は説明する。

選曲に関して、Motor City Drum Ensembleはクラブ向きのスタンダードからはみ出すことを恐れはしないが、自分が好きだと思うレコードを選び、それをヒット曲の中に組み込むのがより好きだと言う。「あんまり有名でなさそうな曲やぜんぜん知られてない曲を僕のセットの中でのclassicみたいにするのが好きで。その曲がリリースされたとき、70年代、90年代でもいいんだけど、その時はプレイされなかった曲を見つけたとして、ほんとにぜんぜん注目されたことがないレコードを見つけたっていうことは、それをほんとうに自分のものにすることができるっていうことだから」オンラインmixやBOILER ROOMのようなものが出てきたことで、レアなgemをカルトアンセムに変身させることがこれまでよりも簡単になっている。彼はこう言う。「みんな僕のところにきて言うよ、『You Tubeで見たあのレコードをプレイしてくれる?』とか。それは(オンラインで色々な曲を知ることができるようになったことの)良さだよね」

もちろん、誰も知らないようなレコードをプレイすることにはリスクがつきものである。「一度も失敗したことがなかったら、たぶんいいDJにはなれないよ」とYoung Marcoは言う。「一度も気持ちを入れ替えるようなことがなかったっていうなら、それは何か間違ったことをやってるっていうことだよ」 そうやって何度も失敗しながら、彼はRed Light Records、Rush Hour、Trowsなど、アムステルダムのレコードショップ、レーベル、クラブなどとの長きにわたっての関係にじゅうぶんに応えてきている。そして、彼にしかできない方法でDJをし続けている。「僕にとってDJをすることは選ぶことなんだ。あらかじめセットを考えたことはない。1曲プレイしたら次に何をプレイしたらいいかわかる。全体を通してどうするか考えておくことはないね。トランス状態みたいになることもよくあって、レコードの方からやってくるんだ。そういうのが僕のやろうとしてることで ―― もう何も考えなくていいような、体から精神が抜け出したみたいな状態になって、ただただお客さんとパーティのエネルギーに導かれる。きっちりしたmixを作らなくてもだいじょうぶなんだよ」

「何度も何度も気持ちを入れ替えたよ」とMarcoは言う。「おかしなことに、7年前も今プレイしているのと同じレコードをプレイしてた。その時は、誰も知らないレコードをプレイしてるからっていう理由でブッキングがぜんぜん取れなかった。それなのに、今はそれがブッキングの理由になってるんだよ」

Young Marcoにとって、DJをするということは「共有する」ということにつきる。「安っぽく聞こえるかもしれないけど、僕は人々と音楽をシェアすること、そしてDJをしてエネルギーをもらえることが好きなんだ」と彼は言う。そういったエネルギーはMotor City Drum Ensembleも感じている。「もし、良い、その場に合った音楽をプレイしていたら、人々が涙するのを見ることだってある。そんな仕事、ほかにある? そういうのが、この仕事をやっていて素晴らしいな、と思うことのひとつだよ」と彼は言っている。Joy Orbisonがさらにつけ加える。「必ずしもヒット曲ってわけじゃない何か、みんなが知っているような曲ではない何かをプレイしてて、でも、みんながそれを楽しんでくれてる時、それが最高の瞬間、DJをやってて最高の時だと思うね」

Selectorsコンピレーションは音楽をシェアし続けているアーティストたちのもうひとつの「会場」だとDekmantelは考えている。Young Marcoのコンピレーションは(2016年の)晩春から初夏に、その後、Joy Orbisonのコンピレーションが年内にリリースされる予定となっているが、Selectorsは2016年3月、第1弾として、Motor City Drum Ensemble監修のコンピレーションからスタートする。





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Selectorsに関しては、先日のMCDEのコンピレーションの紹介ページ以外に、Selectorsコンピレーション全体についてのページもあって、それがコチラ。Selectorsがどういった意図で立ち上げられた企画かというのがよりよくわかりました。確かに、自分で曲を作るということに比べたら、既存の曲をかけるDJというのはアートだとみなされにくいこともあるかもしれない、というのは予想できます。でも色々な人のDJ setを聴いていると、専門的なことはわからなくても、すごい人はほんとにすごい!ということをがつんと感じます。実際その場にいられれば、ほんとうに空気ががらりと変わるので一番よくわかるのですが、SoundCloudとかMixcloudのセットやラジオで流れるmixなどをいくつか聴いてみるだけでもきっとわかると思います。あと、記事の中に何度か出てきたことばに「absolutely dedicated」とか「absolute dedication」というのがあって。私は「絶対的なひたむきさ」などと訳しているのですが、「dedicate」は要するに「捧げる」ということなので、音楽以外のことは二の次にしてでも音楽に生活、人生を捧げてきているということですよね。もともとは音楽が好きだっていうところから始まったものでも、人前でやるとなったら聴いてくれている人たちのために、となるわけで、そういう聴いてくれている人たちに捧げているともいえるわけです。これはどのエンターテインメントでも同じだと思うんですけど。小西康陽さんの「DJはパーティの盛り上げ役」ということばがものすごく印象に残っていて、大好きなんですが、ほんとうにそのとおりだと思う。DJはファッションじゃないし、音楽が好きで好きで仕方がない音楽ナードみたいな人の作るアートに私はどうしても魅かれます。だから、音楽と関係ないことをあんまりSNSで発信するのが好きじゃないとかなんとか言ってるダニロがとても好きだなあとも思うわけです。(このSNSうんぬんのインタビューは音声なので、いつか書き起こし&翻訳したい)


ダニロのことば訳してるときはめっちゃ集中力発揮だし、やたら楽しくてさくさく進む!なぜだ!て好きだからか!っていうくだらない自問自答しつつやってましたけども。好きな人のことばを翻訳するのはほんと楽しいです。それにしてもDekmantelのSelectorフェス、「ある程度限定された規模」とか「くつろいだ絵になる環境の中で」とか、なんて良さげ~。行きたいね~。ムリよね~。まあDekmantelはムリでも今年はダニロのDJを聴きたい、もちろん現場で(来日してほしい!)、っていうのが目標というか希望というか夢……です。はい。(ことだまことだま)



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