[前回の続き]





黒人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンですが、


その苦難は想像以上のものでした。


まず、チームメイトでさえも彼とプレイしたがらなかったのです。


黒人とプレイするのが嫌で他チームに移籍した選手もいました。


野次やブーイングは当然のごとく起こり、それは観客だけでなく


対戦相手の選手からも飛んできました。



そして、その差別はプレイにまで及びました。


ある選手が彼の足をめがけてスライディングを行なったのです。


野球のスパイクは非常に鋭利で、彼の足を負傷させるには十分


でした。


そしてロビンソンは強烈なスライディングによってグラウンドに血を


流したのでした・・・



そうした嫌がらせやブーイング、脅迫などはしばらく続きましたが、


彼は特にリアクションをするわけでなく、ただもくもくとプレイを


していました。



それはリッキー会長との約束でもありました。


決して問題を起こしてはならない、と。



差別による屈辱、非常に耐え難いものだったと想像できます。


しかし、彼はそれらに対して抗議することなく、ただ耐え続けるという


勇気で応えました。



そうした勇気は少しずつではありましたが、メジャーリーグにおける


差別問題に対しても変化を与えるようになってきました。


チームメイトも今までの彼に対する態度が間違いだったことを認め、


野次を飛ばす相手チームに対してはロビンソンとの友好の態度を


とって抗議するまでになったのです。




こうして、知らぬ間に彼は人気選手になっていました。


すべての差別が無くなったわけではないですが、彼の謙虚で


ひたむきなプレイスタイルは多くの人々の心を打ったのだと


思います。




ロビンソン選手はデビューした年に新人王を獲得、引退するまでの


10年間の間に首位打者1回、盗塁王2回、シーズンMVP1回を獲得、


またオールスターには6年連続で出場しました。




そして、引退後の1962年に有資格初年度で野球殿堂入りを果たして


います。


(当時有資格初年度で殿堂入りをしたのはルー・ゲーリッグ以来2人目)




彼はプレイヤーとして生涯ドジャース一筋で過ごし、彼の背番号


42番はその偉業を称えるものとして永久欠番となりました。




1997年4月15日、ジャッキー・ロビンソンデビュー50周年を機に、


その偉大な功績を称え、メジャーリーグ全球団で42番が永久欠番


となることが決定しました。



(当時すでに42番をつけていた選手は特例としてその番号をつけることを許された)





ジャッキー・ロビンソンを一人の野球選手としてみると、それほど


偉大な成績を残したわけではありません。


(十分素晴らしい成績ではありますが)



しかし、彼の勇気とひたむきなプレイはメジャーリーグ界の差別問題に


影響を与えただけじゃなく、アメリカ社会の差別問題に一石を投じる


ものでした。


ロビンソンのメジャーリーグでの活躍によって、その後の黒人選手の


移籍と活躍は周知の通りですし、ロビンソンがメジャーに行っていな


ければ、黒人選手がメジャーでデビューするのに、あと10年、20年


かかっただろう、と言われてます。





タイトルの「Breaking Barriers」は“差別突破”という意味で、1997年


4月15日の試合で、全選手がこの文字の入った腕章をつけてプレイ


しました。


こうしてジャッキー・ロビンソンはメジャーリーグに永久に名前を残す


ことになりました。




彼の勇気を称え、そして今後もベースボールというスポーツが、人種


や宗教、政治、すべてのイデオロギーを越えたところで正しく競い、


その楽しさ、素晴らしさを伝えつつ発展することを祈っております。












最後に、ブランチ・リッキーがジャッキー・ロビンソンを口説いた時の


会談内容を転載します。


リッキー会長の台詞が非常にいいですね。







「ミスターリッキー、貴方は売られた喧嘩を買うのを恐れるような


選手が欲しいのですか?」


「私は売られた喧嘩をかおうとしないだけの勇気をもった選手が


欲しいんだよ」


ロビンソンは、この言葉を生涯忘れなかったという。


ロビンソンは、5分間考えた後、こう答えた。




「この冒険に賭けてくれるのでしたら、僕は何も揉め事を


起こさないと約束できます」