【私たちは過去に生きることはできないが、過去は私たちの中に生きている】

 

 

いつかの新聞でみた一節です

 

 

次男の写真を見返して、笑っている写真をみると短いこの世での生活だったけど、幸せだって思ってくれたかな?楽しかったかな?と考える

 

少し前までは、SIDSの原因なんてもうわからないままがいい。

このまま何事もなかったような顔して静かに暮らしたい

と思っていた。

 

最近は遺族会などに参加し、いろんな方のお話しを聞いて考え方が変わった。

 

「亡くなった子が遺してくれたものを、親が代わりに伝えることは親にとってのグリーフケアなんです」

「未来に繋げることが、社会にとってのグリーフケアになる」

 

とおっしゃっている方がいて、

そうなのかもしれないなと思うようになった。

 

 

もちろん、亡くなった子の話を誰にも話さない選択も正解だと思うし、

悲しみを思い出すことを避けたい人がいるのも当然だと思う。(私の夫はこっち)

 

 

ただ私は、話すと楽になる感覚がある

次男のことが話せることが喜びであり、一瞬だけでも次男が話した相手の中で生きてくれるような感覚がある

 

 

次男は解剖となったが、

もし次男がSIDSの原因究明に少しでも役に立てるのなら、こんな誇らしいことはないし、

「SIDSなんて昔はあったんだ〜」という時代がきてくれるのであれば、未来の中でも次男が生き続けてくれるような気がする。

(母親としての私はそれでも、なんで次男が助かる側じゃなかったんだろう、この世で生きて欲しかったと思う気持ちはもちろん心の隅にずっといると思うけれど)

 

医療というのは残酷で、

病気の方や、亡くなった方がいて、その方々から我々は学び、発展していく。

子どもたちの死亡率が減り、少しずつ以前は治らなかった病気が治るようになっているのは、亡くなった子ども達がいるから。

そして病気や事故のことを伝えてくれる遺族がいるから、医療は、社会は、良い方向に変わろうとする

 

 

だから、誰一人の死も無駄にできない。

必ず何か遺してくれているから、大切にし、未来に繋げていく必要がある。

特に医療者は。

 

過去が私たちの中でずっと生き続けられるように。

 

 

子を亡くした医師として、

そう思うようになった。