私は今でも次男のスペースに「お供え」ができない。

 

最初は余った冷凍母乳を朝お供えしたりしていたのだけれど、

パックに入った母乳は一滴も減らず、

ゴミ箱に捨てる瞬間があまりにも辛く、それ以来できない。

 

離乳食のペーストも開けないまま冷蔵庫で眠っている。

開封済みのミルクもそのまま。

捨てないといけないのだけれど、

捨てるのも辛い。

 

ハーフバースデーこそ、飾りをつけたけれど、

それも虚しかった。

 

時は進んでも、遺影の中の次男はずっとそのままで変わらない。

 

お盆は魂が帰ってくるなんていうけれど、

次男はずっとそばにいてくれているような気がするから、

ナスやキュウリでのりものを作らなくてもいいのかなと思ったりもする。

 

誰かのnoteに、「大切な人が亡くなっても、残された人は幸せになっていい。故人から学んだことを大切に生きていけば、それで故人は喜ぶから」

と書いてあって、そういう考えもあるのかと思った。

 

変わらない遺影を前に、かわいいな、あんなことあったな、こんなことできたなとたくさん思っても

最後には「ごめんね」と思ってしまう。

 

もうすぐ4か月経つけれど、今の方が寂しいという気持ちが強いかもしれない。

なにか今まで麻酔がかけられたかのように、案外生きていけるもんだなと思っていたけれど、

麻酔がきれてきたのか、すーっと冷たい風が染みてくるように、寂しさを感じてしまう日が多くなった。

でも、あの日の「怖かった思い出」は少しずつ思い出さなくなってきたなとは思う。

自分のグリーフが少し変わってきたのかな。

 

あなたからたくさん愛を教えてもらった。

あなたが生きていた161日は私にとって宝物。

誰がどう言おうと、それは変わらない。

 

今はまだ悲しく冷たい寂しさだけれど、いつの日か、温かな思い出だけで私の心の穴を守ってくれますように。