今朝、友達から電話がありました。

彼女もお母さんの認知症と闘っています。


彼女のお母さんが発症されたのは、ここ2~3年。


まだまだ体は元気。
歩くのも、しゃべることも不自由ない。

私にしてみれば、とてもうらやましいことなのですが
彼女には、それがとても大変で、苦しいそう。


たとえば、デイに連れて行っても、「ここはいやだ」と、勝手に家に帰ってくる。

「テレビの電源の入れ方がわからない。あなたがちゃんと教えてくれないからだ!」
と、訳のわからないことで怒られる。


どんなに理不尽なことを言われようと、「お母さんは病気なんだから…」と
ひたすら我慢している、と話してくれました。



思えば、私もそんな時期がありました。

いくら病気だと思っても、壊れていく母の記憶を止めたくて
なんとかしたかった。
でも、そのすべはない。


日々、ゆっくりと変化していく母を
どう受け止めたらいいのか、わからないまま
私は時間に置いて行かれたような


気づけば、一人泣いていたことがよくありました。


彼女は、お母さんの言動と行動に振り回されています。

仕事もパートで、週に数日しか働いていないせいもあるように思います。



お母さんとずっと一緒。
その間中、怒られて、怒られて。


うちの母は、怒ることはありません。

おむつ換えの時、痛い右足の付け根をひねったりすると
「痛い!」と言って、若干嫌な顔をして
「ひどいことせんとって」と言ったりしますが
怒り出すようなことはありません。


これは母の性格のせいだと思うのですが
彼女は、私の対応が良いから、うちの母が穏やかなのだと言います。


母は、認知症の薬を飲んでいません。

副作用でめまいだとか、吐き気だとかあると先生から聞いて
私は飲ませることはしませんでした。

辛い副作用があるのに、ただ認知症を遅らせるためだけの薬。
ほんとに遅れているのかなんて、飲まないでいる状態と比べようがないのに
わかるはずがないと、私は思います。

脳の委縮がゆっくりになる
でも、その人は、もしかしたら飲まなくてもそのペースだったのかもしれない。


副作用が辛いなら、私は
ぼけていく母を、そのままの母を受け止めようと思いました。


そのことで、母が穏やかに過ごせていると評価してもらえるのなら
私は嬉しいです。


電話の最後に彼女が言ってくれた言葉


「○○ちゃん(私の名前)が私の娘だったらいいのになぁ」


同い年やのに、無理やんか~と笑って切りましたが

認知症になっても、母が穏やかに過ごせるのは、私の愛情がそうさせていると
彼女は言ってくれました。


母の左の肺は、今 お水が溜まっています。
血管からお水がゆっくりと肺へ入っていってるそうです。

でも、見た目には、特別苦しそうな息遣いでもないし
たまにニコニコしながらも、いつもどおりに母は目を閉じています。



彼女にも言いましたが
今の状態は永遠ではない。

ずっと続く闘いではないです。


高齢者にとっては、明日さえどうなるかわからない。


永遠ではない。
だから、あなたは怒らないで。

たとえ、お母さんが怒鳴っていたとしても
明日、お母さんはしょんぼりしているかもしれない
もしかしたら、明日になったらしゃべれなくなっているかもしれない



今日だけを見てね。
今日のお母さんだけを見て、また明日が来たら
生きていてくれてありがとうって思ってね。


今の私には、毎日、毎日毎日


ありがとう


 という言葉しか出てこないです。