4月23日 午前7時40分


母は一人で旅立ちました。



日曜日、お昼に間に合うように病室へ行き
母に昼食用のムースを食べさせ
話しかけたりしながら、3時間ほどそばにいました。

そして、月曜日。
私は仕事。

ちょうど、あと2分でお昼休みという時間に病院から携帯に電話。


  呼吸が止まりそうなので、大至急来てください


看護師さんの声が遠くに聞こえました。


何がなんだかわからないけど、とにかく帰らなきゃ。


課長に報告し、帰り支度をしていると涙があふれ止まらなくて
校長が
大丈夫かと言ってくれた言葉に返事をしたのか、覚えていません。

車の中で、ケアマネさんに電話しました。


急ぎ病院へ行くと、ちょうどケアマネさんと一緒になり
病室へ入ると、母は人工呼吸器をつけていました。

先生に聞くと

  もう呼吸はしていないです


でも、ちゃんと心臓は動いていて、心拍数は82。


人工呼吸器を入れる際、気管に傷がついたそうで
母の口から血が流れ出しました。

鼻の中も血でいっぱい


看護師さんが吸引してくれると
吸引のボトルに、ものすごい量の血が飛び込んできて



   なんでこんなことになったんですか



先生は


  お昼ごはんの時に吐いて、それが肺のほうへ行ったようで



・・・誤嚥・・・


そうなったらいけないから、胃ろうをつけたんだよ
だから食べる楽しみと引き換えに、胃ろうをつけたんだよ

涙が止まりませんでした


少しすると、職場の友人が来てくれました。

・・・校長が行ってこいって言ってくれた

そういって来てくれました。
彼女は、私が心臓の手術の時、デイでお泊りしていた母のところへ
週に何度も顔を見に行ってくれていました。

彼女は直接母のことは知らなかったのに
私がいけないから、心配だろうからと母のところへ行ってくれていました。


彼女が来て、母を挟んで私と話していると
母がうなずいたように見えました。

聞いているのかな
返事したのかな


すると看護師さんが来て

  3回に1回ぐらいで自発呼吸始めましたね


生きようとしている母は、懸命に自分で息を始めました。



とにかく面会時間いっぱいまで、私は母をずっと見ていました。

手を握り、足をさすり、話しかけ・・・


母の左目から涙が落ちました。
苦しいんだよね
辛いんだよね

私はその涙を拭いてあげることしかできませんでした


その間も母はずっと自発呼吸をしていました。



これからを考えると
少し落ち着いている今のうちに帰って休もう。
看護師さんにお願いして、とりあえず帰宅しました。


すごく心配で気になっていたのに
私は熟睡していました。


そして、なんとなく目が覚めると
ちょうどのタイミングで電話が。

 
  そろそろ危険なので、できるだけ早く来てください


時計を見ると、6時半前。



病院までうちから車で3分。


病室へ行くと、もう自発呼吸はしていませんでした。


ひゅーかちゃ、ひゅーかちゃ

人工呼吸器の音だけがしていました。



腕に巻かれた血圧計
計器には、横線

測定不可のようでした。


先生も、看護師さんも何もそのことには触れられません。


ひゅーかちゃ、ひゅーかちゃ

音に合わせて母の胸が動きます。


私が泣くと母が不安になると思って頑張っていたのですが
止まらない涙をふきながら
私は、母にずっと話しかけていました。


お母さん、辛いね、苦しいね、しんどいね
お父さんは迎えに来てる?
ずっと会いたかったおばあちゃんは来てるかな
私のことは心配いらないから
ついて行きたかったら行っていいよ
もういいよ
もう十分、私はお母さんに大事にしてもらったから
もう頑張らなくて、大丈夫だから
私は大丈夫だから
また会おうよ
もし生まれ変われるのなら
また親子で会おうよ
また家族になろうね
お母さん、ありがとう
ほんとにありがとう
ありがとう
ありがとう


私が言いたかったことを、すべて母に伝えました。


そして、私がほんのちょっと目を離した瞬間
先生と看護師さんがバタバタと病室に入ってきて


  脈拍、止まりましたね




母は静かに、そっと逝きました。


私の言葉をすべて聞いて、旅立ちました。


その顔はとても穏やかでした。



先生が人工呼吸器の管を口から出したとき
あまりの大きさに、愕然としました。

あんなでかいのが入ったら、気管に傷どころか
喉を突き破っていたはず・・・


吸引のボトルに入っている血の量がすべてを語っています。


でも、母の穏やかな顔に救われました。



それからバタバタといろんな儀式がやってきました。


元気で一緒に旅行に行った時の写真。

かくしゃくとして、きりりとして、穏やかな笑顔の母の遺影。


慌ててアルバムから見つけた写真。
急いでいたのに、とても美人で素敵な写真を見つけました。

母が「これを使って」と言っているかのようで。



お花が大好きだった母にぴったりの、とってもたくさんのお花に囲まれて
しめやかにお通夜、葬儀。


火葬場で、骨になった母を見た時


あまりに小さくて、粉々になったもろい骨。

そして、形が残ったうわあご。



私は、声を出して泣きました。



母の生きてきた何十年。


私は、母になにができたんだろう

母が幸せと感じた日はどれぐらいあったんだろう



母の人生が、
懸命に生きてきた母のすべてが、これで
本当にすべて終わったんだと思うと
涙が止まりませんでした。



母は最期まで頑張りました。


そして、私も
「私、頑張ったよ」
と胸を張って言える母との人生でした。


これからは、母の愛情に報いることができるように
自分の人生をしっかりと歩いて行こうと思います。



母の認知症が分かってから始めたこのブログも
母の終焉をもって、終わることとします。

ここに書くことで、自分の気持ちを整理して
また新しい気持ちで、母の介護を頑張ることができました。



長きにわたって、母と私のブログを読んでくださった皆様
本当にありがとうございました。


また、コメントをくださった皆様
暖かい言葉に、励まされ
介護することがどれほど大変なことなのかひしひしと感じられ
へこたれてはいけないと
何度も奮い立たされました。

ありがとうございました。



本当に、本当に ありがとうございました。



また、母と出会えるその日まで
生まれ変わってまた会えるその日まで
私は、「私」を頑張ります。




(先週、たまたま撮っていた写真です)







    お母さん     またね









               ---- 完 ----