娘の手術日が近づき、大学病院に入院することになった。大学病院ではNICUに入院することになり、付き添い入院の必要がなかった。



医師の説明は何度も聞いていた。でも体重が増えてきた娘を見て、『本当に必要な手術なのか』と考え、少し血色が悪いと『やっぱり手術してもらおう』と毎日悩んだ。



手術すれば娘は楽になれると信じて、手術には同意したが輸血同意書はかなり躊躇した。家族の血液は使えないと言われ、サインをしたけれどサインをしない選択肢はあったのだろうか。


手術前に薬で眠った娘が運ばれてくる。今からだというのに泣けて仕方なかった。私を見て、執刀医は「そこまで難しい手術ではない。娘さんは元気になりますよ。」と声をかけてくれた。あなたは何百回も手術をしてきているし患者さんも沢山診てきたのだろう。でも私は初めての事ばかりだ。医師の言葉を聞いても安心はできなかった。



数時間後、執刀医が「もう大丈夫ですよ。成功です」と報告に来てくれたが、手術前と手術後すぐでは劇的に回復しているわけではない。グッタリとしている娘を見て「あぁ、良かった」とはまだ思えず、『大丈夫なの?本当に?』と心配になった。



こういう時の予感は当たるもので、執刀医は「大丈夫ですよ。成功です」と言っていたけれど、実際は大丈夫ではなくこの1年後再入院しカテーテル手術をすることになる。



NICUに入ったけれど肺炎の疑いがあったりして入院が長引いた。



この頃まだ保険証ができてなくて、看護師さんが月が変わる時に持って来てくれた請求書の金額を見て5回ほど「壱拾百千万・・・」と0の数を数えた。

命はプライスレス。

でもすぐに支払える金額ではなかった。