どうも、ちょここっとです!
最近育児の隙間時間でアマプラを使って映画を見始めました
毎日テレビのニュースだけだと飽きてきちゃうので、趣味の一つにでも……といった感じです。
感想はネタバレを含みますので、まだ見ていない方はお気をつけください。
一発目はゲ謎!
娘ちゃん妊娠中に周りでめちゃくちゃ流行っていたのでものすっごく、気になっていたのですが、お腹が大きくて娘ちゃんに何かあってもいけないので映画館で見るのを断念していた作品です。
ぶっちゃけこれが見たくてアマプラ入りました。
横溝正史作品が好きなら好きと友人から言われていたのですが、確かにこの雰囲気大好き!!!
結局怖いのは人間だよなぁというのが1番の感想です。
時ちゃんかわいい
……けど悲しい……
殺された方、皆さん左目が抉られていたのは狂骨を封印?生み出していた?錫杖が骸骨の左目を貫いていたからですかね?
あのあたりがもう少し詳しく知りたかったなぁ。
左目ってなると、鬼太郎も左目ないですし、目玉の親父は最終的に左目だけになっているので、その辺りへのリスペクトだったのかな?とも思ったり。
しっかし制作スタッフの皆さんのすごい原作へのリスペクト、ありがたすぎる……。
最後のエンドロール、ただの墓場鬼太郎だった。
鬼太郎の両親の姿が原作ではエンドロールの姿で現れるので、そことの生合成をしっかりとってくれているのただただ感動した。
ここからは少し水木にフォーカスします。
戦後の話で、水木は戦争体験者。しかも玉砕を命じられた軍の生き残りということで、当然「生」にしがみついていますし、欲深い。
成り上がってやろうという野心をめちゃくちゃ感じます。それでいて半分、あの世だったりですとか、この世ならざるものの世界に片足突っ込んでいるような。
だからこそゲゲ郎が見えたんだろうなぁって思います。
沙代ちゃんが母性の象徴だとすれば、時貞が父性でしょうか。
いやでも、沙代ちゃんはどちらかといえば女性性ですかね?
乙米の方が母性っぽいかな?ここでいうと、この村そのものが母性の塊であり父性の塊でもある気がしますが。
村の中で抱え込むという母性と、それ以外のものは全て切り捨てる父性。
その中でゲゲ郎というトリックスターと一緒に動く水木。
最終的に母性、父性と向き合いいずれも断ち切ったことによって、水木自身は欲に囚われることがなくなった。
そんなストーリーにも見えました。
エリクソンの発達段階でいくと、水木は成人期。
発達課題としては親密性なので、ゲゲ郎に認められたという経験が、次のステップ、壮年期の課題である生殖性(次の世代を育てる=鬼太郎を育てる)につながっていく感じがしました。
皆さんよかったらぜひ