おはようございます。


今日もブログを書きます。

読んでいただいているみなさん、

ありがとうございます。



昨日、登園時の6歳の次男と会話していました。


幼稚園で体操がある日は

半ズボンの体操ズボンで登園します。


半ズボンではそろそろ寒くなってきました。


「下に長いスパッツを履いている子もいる」と

次男が言いました。


私「じゃあそれを買おうか?」


次男「あ、履いてきたって思われるからいらない」


私「履いてきた子のこと、○○くんは何か思うの?」


次男「何も思わないけど」


私「じゃあ気にせず履いたらいいんじゃない?」


次男「でもなんかあの目が怖いんだよな、真剣なだけかな?」


こんな会話をしました。


1人になったときに

ノートに次男が言ったことを上記のように

書いてみたんです。


そして、さらにそのあとどんな言葉をかけるかな?と考えてみたら、


「○○くんは、みんなが怖い目で自分のことを見ているような気がするんだね。

いったん、みんなが優しい目で見てるとか、実はあんまり見られてないって思ってみたらどうかな?

それでも、怖い言い方されたり、いやな言い方されたら、それはその子とか、その人がそのときたまたま嫌なことがあったから、そんな言い方になっただけだと思うのはどうかな?」


こんな言葉が浮かびました。


でも書いてみて、

この言葉は私に必要な言葉でした。


幼稚園のママたち、世間の人たちを

私もそんな目で見ていました。

少し前からわかってはいたけど、

行動していなかったなと気づけました。


今日次男に言ってみます。

ママもやってみるから、一緒にやろうって言ってみます。