親の世代って

 

お仕事の募集要項に 女性の場合 条件に 

 

「 容姿端麗 」 などと書かれていた時代です。

 

 

 

母は、フェミニズムに傾倒したり バリバリの左だったり

 

学生闘争の思想に染まっていたり なかなか激しいひとだったので

 

 

 

もちろん、そんな社会のことは 蹴とばしたい気持ちだったのだろうけど、

 

 

 

自分の娘が 顔に不具合がある…となると 

 

いじめられないだろうか

 

ちゃんと 生きていけるだろうか

 

いろいろ 心配してくれていました。

 

 

 

 

そして、おつむが良くなくては と

 

聡明なひと になってもらわなくては と

 

いろいろ 厳しい 親だった と 思います。

 

 

 

 

母の母も、教育熱心だったのですね。

 

金銭的にも 母に注ぎ込み

 

孫の私にも 注ぎ込み (ひ孫にまでT大を目指しなさいと言い(笑)(笑))

 

ちょっと お金にものをいわせるところがあったし

 

母は 「 いつも申し訳ありません、過分にしていただいて… 」 と受け取っていたので

 

私も 心の底から申し訳なく 受け取れない気持ちで

 

 

 

それでも 「 本代は惜しむな 」 という教えのもと

 

たくさんの本を読ませてもらえる環境でした。

 

 

 

本は 大好き。

 

でも 人間関係を安定して築くのは 苦手でした。

 

 

 

話すのも苦手。

 

頭の回転が遅いから、どうしたらおこられないでしゃべれるか

 

一生懸命考えて、わざとごにょごにょしゃべって 「 もう一度言って! 」

 

って言われる時間を必死で稼いで 考え直してからしゃべる。

 

 

 

学校から帰ると まず ピアノの練習。

 

ピアノは大好きだったし 自分の表現の手段だったし

 

ピアノとはお話もできると思っていて

 

思いの丈を ぶつけていました。

 

2時間でも3時間でも 弾いていられた。

 

 

 

 

晩ごはんのときには 「 学校であったことを報告しなさい 」 って言われて

 

一時間目から順番に 何を習ったか 言っていくんです。

 

 

お友達とどんなことがあったか どんな気持ちになったのか

 

さしはさむ余地はなかった。

 

 

 

忘れ物が多かったし、状況判断がまずくて

 

本当によく 叱られました。

 

「 自己嫌悪が 足りない!! 自己批判しなさい!! 」

 

 

 

この辺の用語は たぶん 学園闘争の名残だと思うのだけれど

 

言われなくても もう 自分のことは 大嫌いだったし

 

数え上げたらきりがないくらい 自分にはわるいところがあって

 

よく 知っているつもりだけれど 全然 変われなかった。

 

どうしたらいいのか なすすべがなかった。

 

 

 

 

そのころ たしか 「 家なき子 」が流行っていて

 

テレビはほとんどみせてもらえなかったから 内容はよく知らないのだけれど

 

安達祐実さんが 「 自分のことが 大好き 」 って言ってはるのをみて

 

母と私は 「 何言ってるの、よく言うよ 」 なんて せせら笑っていたんだ。

 

 

 

なんか化粧品のCMにも 「 私には その価値があるから 」 って

 

キャッチコピーがあって、それにも 母子で 「 よくそんなことが言えるねぇ 」

 

なんて いってました。 もうやだなーほんと、やだ(笑)

 

 

 

 

「 バカはしななきゃ なおらない 」

 

が 口癖になっていた、母。

 

 

 

いつの日にか、 それが 「 しね!! 」 になりました。

 

小3のころ だったかな。

 

 

 

毎日 叱られていたから

 

毎日 「 しね!! 」 と言われて

 

 

 

しょっちゅう 目を泣きはらして 学校に行ってた。 

 

おいわさんみたいって お友達にいわれて

 

おばけのまねをしてごまかしてた。

 

 

 

学校は 別に 好きってわけじゃないけれど

 

家が地獄だったから 溺れた人が呼吸をしに水から上がるように

 

学校に通った。

 

 

 

叱られると 何時間も 土下座だった。

 

 

もう 何を叱られてるのか わからなかった。

 

 

わかるのは 「 生きていないほうが いいのに 生きてる 」 ってことだけ。

 

絶望していた。

 

 

 

 

父は 基本的に 仕事だったし

 

父がいると 母はひどいことにはならなくて

 

ひとりっこだったわたしは

 

ひとり 闇を抱えた。

 

 

 

お外では 控えめでやさしい母。

 

私が何を話したところで 誰にもわかってはもらえない。

 

 

 

せめて なぐられたり していたら

 

あとが のこるなら

 

わかってもらえるかもしれないのに…。

 

 

 

 

本当に、小学生のころ 

 

わたしの 世界に ひとは いなかった。

 

ピアノに逃げ、本の世界に逃げ込んだ。

 

 

 

皮膚病にも 悩まされ

 

お薬を塗っても 塗った場所はきれいになっても

 

必ず別の場所に出る。

 

 

 

尋常性乾癬。 今も 確たる治療法は

 

西洋医学には ないと思う。

 

 

 

原因は 子どものわたしにも わかる気がした。

 

それが お薬では 治らないことも。

 

 

 

 

 

 

 

(1日1話にしようと思ってたんですけど、

書いた勢いで載せないと心が折れそうなので

今日は続けざまだけれど、ご容赦下さいね。

1話はうまれる ~naokoの物語~

2話は最初の記憶

より読んでいただけます)