考察材料と備忘録 -209ページ目

肖像権、他

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E8%87%AA%E8%BA%AB

この中の、概要・事件欄に

2023年10月10日号の付録として同封されたバレーボール男子日本代表である高橋藍の特大ポスターについて、同代表の肖像権を管理・運用している日本バレーボール協会の許可なく発行されたものであるとして、同協会が抗議声明を出す事態になった[8][9][10]。

とある。


春馬さんの肖像権、って誰が、どこが、有しているのだろう?


https://atmarkit.itmedia.co.jp/news/200406/15/yahoo.html

そもそも肖像権とは何か。肖像権には、人格権の一部としての肖像権と財産権の一部としての肖像権がある。前者は誰にでも一律に認められている権利で、写真などが無断で雑誌などに掲載されてしまった場合に人格権侵害や名誉毀損などで訴えることができる。後者は財産権である“パブリシティ権”としての肖像権で、テレビや雑誌などの媒体に露出することで経済活動を行っている人々に認められている権利である






https://japan.cnet.com/article/20069224/



https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13127340283


2014/4/10 16:58


音事協、音制連などの加盟事務所、登録劇団、映画事業者(伝統芸能もこちらが管轄)に加え、過去それらに所属し独立し引退していないフリータレント。

メジャーデビューしてようが、事務所が非登録だったりタレントとして掲載許可してないなら掲載もなし。

この掲載許可というのがクセモノで、無名新人でも載ったり超有名でも載らなかったりします。




https://techhubmagazine.com/talent-mosic/



https://niben.jp/niben/books/frontier/backnumber/202010/post-228.html


https://www.premiumcyzo.com/modules/member/2018/03/post_8279/


なんともややこしい、芸能界とテレビ界を取り巻く二次使用の現実だが、「週刊誌動画の二次使用料請求に関しては、昨年秋口から動きがありました。いくらなんでも無茶な要求だとは思いますが、肖像権を管理する音事協からしてみれば、タレントの顔や名前で商売しているからその分け前をよこせ、という話なのでしょう」(同)という。



音事協そのものには二次使用料を請求できる権利はない、というのが現状である。とはいえ、芸能界、あるいは音事協とベッタリのテレビ局が、彼らの要求を拒むことはできるのだろうか?

…核心は、結局ここなんだろう。

権利(正当性とか)はなくても、拒むことができない。




https://monolith.law/reputation/portraitrights-onthe-internet



https://www.fujisan.co.jp/zasshi_kensaku/1105773/?q=%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3


https://mickymagicabc.hateblo.jp/entry/2019/07/20/200553


https://gendai.media/articles/-/54313?page=4

〈記者会見、囲み取材の映像については、一定期間のみ使用可。それ以降の再使用は、音事協に申請し、プロダクション側の許諾を得ること〉

音事協に申請しプロダクションの許諾を得る…

まさかの二段階。

最初の段階でハネられることもある…?

こういう形で、映像や情報を使わせず(名前や作品、功績を取り上げず)、風化させる作戦?

某所一社でなく、業界団体だからできる…?


春馬さんは某所他タレと契約が違うのでは?という指摘があった。

だから、宣材写真も僕いたの頃のまま? 

ファンサイトやカレンダーがなくなったのも…

単に某所冷遇でなく…?

むしろ某所が手も足も出せない縛りがあった(その対象だった)…?


まだまだ確信が持てないけど、その可能性を思ってしまう。


https://sterfield.co.jp/blog/4465/




夢を叶える

https://www.daily.co.jp/gossip/2024/02/19/0017346818.shtml?pg=2


中村は「業界の掟、システムって大切。そのシステムにちょっと抗ったやり方」だったと振り返った


この、"業界の掟、システム"って、

T岡S佑氏の言う

「汚いジジイたちがいる(作った)」それ、

なのかな?


"ちょっと抗った"だけで5年も干されるような…


https://rock-note.com/dorikamu/hosareta-riyu-funaka-kirai/



当時、東芝EMIの担当者から、


「どこのラジオ局に行っても『中村がいる限りドリカムはうちの局ではかけない』って言われる」

「中村さんが土下座して回ってくれ」


と言われたそうです。


昔にお世話になった人に謝り続けながらも、5年ぐらいでようやく状況は改善されたそうです。

しかし、すでに業界との関係が修復されている割りには、メディアからドリカムの音楽が鳴ることは減りました。








https://youtube.com/shorts/TeO4M2E4xdY?si=noZZ7wqWQuqVo53M



業界側はこういうことができる
(こういうことをする)、
裏切り者呼ばわりもする

夢を売る仕事のはずが

努力する才能ある人たちの

夢や未来や生きて活躍することをも邪魔する…

本当にやめてくれないかな




挨拶に来なくて、云々

こんな書込がありました。


0942 2024/10/05(土) 01:01:53.21

あと花火のイベントはご遺族の了承は取ってやってるのか関係ないけど気になる

以前某週刊誌でK社長と🏄(サ師匠)と館長が「(春馬くんの生前)挨拶に来なくて」「クールな人で」とか言ってなかった?

真相はわからないけどもやもやするわよね

 

0943 可愛い奥様 2024/10/05(土) 01:19:47.94

>>942

お母様が挨拶に来なかったって話してた記事ね


該当の記事はこちら↓でしょうか。


https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/375a7c2c5afd

三浦春馬さん「今も手紙が」“地元の父”が明かす面影

2021年7月16日 21:00

週刊女性PRIME


三浦春馬さんが亡くなって、まもなく1年となる。彼が突然いなくなったのは、昨年の7月18日だった。


「マネージャーが自宅まで春馬さんを迎えに行きましたが、電話やメール、インターホンにも応じませんでした。管理会社に連絡して鍵を開けて部屋に入ると、すでに意識のない状態。病院に搬送されて、死亡が確認されました。警察による検証の結果、自殺だったと判断されています」(スポーツ紙記者)



 新型コロナウイルスの感染が広がっていた時期で、大勢が集まる葬儀は見送られた。


「亡くなった2日後に、所属事務所のアミューズのサイトで“お別れできる機会を設けたいと考えている”と発表。昨年10月には“21年7月を目安に実施予定”という告知がありましたが、結局、7月18日にオンライン上で追悼の特別コンテンツが公開されるだけになったそうです」(前出・スポーツ紙記者)


 やむをえないのかもしれないが、やりきれない気持ちのファンも多い。


「亡くなったことをまだ受け入れられない人もいますから。コロナ禍とはいえ、お別れ会ができないことで、思いをぶつけるところがないんですよ。お墓がどうなっているのかも気になります。同じアイテムを購入して身につけたいと思うファンもいるので、服や小物などの遺品も、何かの機会に公開してほしい」(ファンの女性)



春馬さんが通った地元の映画館


 春馬さんを偲ぶことができる場所が、茨城県土浦市にある。映画館の『土浦セントラルシネマズ』だ。館長の寺内龍地さんは、春馬さんが子どものころからよく知っていた。


「彼が小さいころロビーを駆けずり回って、従業員に“コラ!”と怒られたりしていたんですよ。普通のやんちゃな男の子、という感じでした。2002年に公開された『森の学校』という映画に彼が出たときの舞台挨拶をここでやったんです。2009年の『クローズZERO2』の撮影のときにも挨拶に来てくれました。成長してかなり変わっていたので、“誰!?”って思いましたが(笑)。“ずいぶん大きくなったなあ。モテるだろ”と声をかけたら、“いやいやそんなことないです”なんて返してくれました」



 同じ建物内にあるスポーツスタジオを貸してほしい、と頼まれたこともあった。


「“空き時間を利用してドラマの役づくりがしたいんだ”と言っていました。ご家族の方は1回も来たことないですね。『森の学校』で舞台挨拶をやったとき、まだ12歳だったから、普通は母親も来そうなものなのに挨拶すらなかった。だから顔も知りません。それを反面教師にして、彼は他人を慈しむことができる人に育ったんだと思います」


この映画館では、現在も春馬さんが出演している作品を上映している。


「彼のことが風化するのもかわいそうだし、地元としてできることはないか、と考えました。彼が亡くなったときに『森の学校』の監督に連絡して、改めて上映できないか相談したら、もともとフィルムだった映像をデジタルにしてくださいました。1月からずっと上映しています。それ以外の彼の出演作品も、期間ごとに入れ替えながら上映しています。大きな映画館ではこういうことはできないから、地元の個人館としては、彼の足跡を残す意味で、ずっと続けていけたらと思っています」


 ロビーでは写真展も。『森の学校』や『天外者』の劇中写真やオフショットが展示されている。


「ロビーに桜の木があったでしょ。映画を見終わった方に、春馬さんへのメッセージをピンクの紙に書いて貼りつけてもらっているんです。コロナ禍でここに来られない方もいるので、郵送でも受け付けるようにしました。日本全国からはもちろん、ニュージーランド、カナダ、ニューヨーク、ハワイ、中国からもメッセージが届いています」



 命日にイベントを行う予定はなく、通常営業だという。


「“彼に会いたくなったら、いつでもどうぞ”という気持ちです」


 春馬さんが土浦セントラルシネマズを訪れていたのは、『つくばアクターズスタジオ』が近かったから。彼が5歳から通っていた芸能スクールだ。当時、代表を務めていた加藤麻由美さんは、まだ自分の気持ちにけじめをつけられない。


ひとりっ子でお母さんもお仕事をされていたので、“帰りたくない!”という春馬を私のベッドに寝かせていたこともありました。小さいころは本当にお母さんのことが大好きでした。会話していて“それ、お母さんにも言われたことある!”と、私にお母さんを重ねているようなところもありました。あの子の人間性はわかっているので、そんな優しい子がなんで、と思うと、何を責めたらいいかわからないですよね……」


 ひとりっ子の春馬さんをアクターズスタジオに連れて行ったのは母親だった。“友達ができれば”という考えだったが、学校が終わるとほぼ毎日、歌やダンス、演技のレッスン。俳優になりたい、という気持ちが強くなっていった。


お母さんは“ステージママ”というタイプではなかったので、ある意味でスタジオとしてはやりやすい面がありました。よくも悪くも“ドライ”な方なんでしょうが、レッスンや出演する作品などについては、信頼してお任せしていただいていたんだと思います」


 春馬さんが7歳のとき、地元で“三浦春馬を大きく育てる会”がつくられる。



「県議の方、市長さん、商工会の会長さんなど、地元の名士の方に実行委員になっていただきました。1000人以上集めて春馬の映画を公開し、実行委員のみなさんに舞台挨拶をしてもらったこともあります。地元のお祭りで市長さんに、春馬と手をつないで歩いてもらったことも。それだけ私も、春馬のことは目をかけていたというか……」



“あの日”にアミューズから連絡が


春馬さんは2007年の映画『恋空』で日本アカデミー賞の新人俳優賞を受賞。報告のため、加藤さんの自宅を訪れた。


「キッチンのカウンターに寄りかかりながら“アカデミー賞もらったよ!”と話してくれました。普段はあまり連絡をとっていませんでしたが、報告があると連絡をくれたんです。ただ、“受賞を報告してもらえるような立場でありながら、不幸を止められなかった”という思いがあるんです。“あの日”はテレビの速報をたまたま目にして、彼が亡くなったことを知って、半狂乱でした。しばらくしてアミューズの方から連絡をいただいて、“守れなくて、すみませんでした”と……。それが、近しい大人の素直な感情なんだと思います」


 一周忌を迎えても、加藤さんは何かをする気持ちにはなれないでいる。


「本当に罪なヤツですよ。会ったらぶん殴ってやりたい。なんでこんなに悲しい思いをみんなにさせるのか、どういうことかわかってるのか、と……。スタジオで主に彼を指導していた当時の常務は先に亡くなっていますが、向こうで怒っていると思います。もともと常務は役者をしていた人でもあるので、春馬からすると“師”ともいえるでしょう。あえて時代劇に出演させて、きちんとした演技の基礎や現場の常識から学ばせましたが、ちゃんとあの子は応えてくれました。だから私の半生はなんだったんだろう……って、本当に春馬は馬鹿野郎ですよ」



 加藤さんは今年、『森の学校』が再上映されたとき、舞台挨拶に登場した。


「悪天候の中、全国からファンの方に集まっていただいたんです。舞台挨拶が終わって、みなさんに声をかけていただいて、ひとりひとりとお話ししました。ファンは春馬のお母さん世代くらいの、年配の女性が多いんです。昔からのファンではなく、“亡くなってからファンになりました”という方も大勢いて驚きました」


 春馬さんにとって加藤さんが母親代わりだったとするなら、父のような存在だったのが卯都木睦さんだろう。茨城県のオリジナルヒーロー『時空戦士イバライガー』を運営する『茨城元気計画』代表を務めており、春馬さんにとってはサーフィン仲間だった。


「今でも世界中のファンから手紙が届いています。今、私は春馬ファンのことを優先して日々を考えているので、僕自身が落ち着くのはだいぶ先になると思います。僕は“ヒーロー”でもあるので、目の前のことから逃げるわけにはいかない。泣きながら電話をかけてきたファンの対応を何時間もするような生活を1年続けてきました。だから“あれ、春馬っていなくなっちゃったのかな?”と、思い出す余裕すらないんです」


春馬さんの死後、彼の出演する作品を見ていないという。


「まだ春馬のことをゆっくり考えている暇がないんです。今いちばん困っている、悩んでいるのは、突然の訃報に苦しむファンたち。彼らに手を差し伸べ、救うことを優先したい。もし天国から春馬が見ていたら“いっぱい迷惑かけちゃってごめんね”なんて言うと思いますが、全然気にならない。“俺メンタル強いから大丈夫だよ、気にすんな”って言ってあげたいですね」




春馬さんから「家族だよね?」


 春馬さんは、卯都木さん宅では自分の家のようにくつろいでいた。


「海から帰ったら、ソファに寝そべって携帯をいじったりしていました。妻の誕生日には“ママさーん! 誕生日おめでとう!”と玄関から叫んだことも。春馬から“家族だよね? お父さんじゃん!”と言われたんです。“卯都木さんは僕にとって特別な人だから”って言ってくれたこともありました。“何、照れくさいこと言ってるんだよ”って笑ってごまかしましたけど(笑)。そういうふうに慕ってくれた春馬の、そんな彼のファンをないがしろにするわけにはいかないんですよね」


 卯都木さんが春馬さんとの関係をより深めていったのは、2016年ごろから


その当時は、春馬と家族との関係がなくなっていたので、知恵袋であり親代わりとしてついていてあげよう、と思って。春馬がいつ海に来てもいいように、サーフィンに適した午前中には予定を入れないようにしたんです。そうすると電話があって、“あさって空いてる?”とか言われて。亡くなる前の年の秋までは、週2くらいで来ていましたね」


 春馬さんがサーフィンをしていた海岸には、今もファンが訪れている。


「寂しげに海を見つめている女性がいるんです。浜には花が手向けられていることも多いですね。曜日を決めて海岸の清掃を行っているファンもいます。ときどき春馬のファンから僕が写真やサインを求められることもあります。春馬にゆかりのある人と関われることがうれしいみたいで」



 春馬さんの死を止められなかったことに、悔しい思いは残る。だからこそ、春馬さんの面影を、いつまでも忘れずにいたい。




青字部分について調べたこと思ったこと等を以下に。



週刊女性


…出版社は主婦と生活社。

その親会社は、ccc(つタya)。

その段階で既に、春馬さん(側)下げ意図と分かる。

日付を記事本文内に盛り込むところからも。




ご家族の方は1回も来たことないですね。『森の学校』で舞台挨拶をやったとき、まだ12歳だったから、普通は母親も来そうなものなのに挨拶すらなかった。だから顔も知りません


…顔も知らない話したこともない一般人(地元民)を悪く言う社会人男性(という設定)

お客様商売の人が(名前も施設も開示して)それはしないでしょうに。

ご両親のお店と当該施設の位置や関係性を思えば尚更

「知らない」も「挨拶もない」も怪しい。

もし本当に母親が挨拶に行っていないなら、ステージママではない(息子で儲けよう息子を売り込もうとは思ってない)んだな、としか。

春馬さんについては美談しか書かない指示が出てたらしいから、春ママさんを下げるしか(事務所や非血族から)矛先そらす手立てがなかった…?

この段落だけ省いたって、取材記事として、取材対象者コメントとして、成り立つよ? そこだけ取って付けた感…



「ひとりっ子でお母さんもお仕事をされていたので、“帰りたくない!”という春馬を私のベッドに寝かせていたこともありました。小さいころは本当にお母さんのことが大好きでした。会話していて“それ、お母さんにも言われたことある!”と、私にお母さんを重ねているようなところもありました。


…これも、上記同様、取って付けた感。

ひとりっ子でお母さんがお仕事してた"ので"帰りたくない、の"ので"がおかしい。

"帰りたくないという春馬を私のベッドに寝かせ"もおかしい。

この方が、自身も男の子の母、ならまだしも、普通そこまでする? 

預け(ようとす)る(親)、より、(非親族や非プロが)預かる(自分の部屋に入らせる、ベッドに寝かせる)人や事態に私なんかはビックリしたけど、そういうのって少数派?


二十歳前後まで母大好きを公言していたのだし、お仕事から帰ってきた母親のもとに一刻も早く帰りたいのでは… 母方祖父母やいとこさんも家族ぐるみで付き合う友人もいたからそちらに預けられたろうに?

帰りたくない、としたら、非血族が関わってきたときでは?




アミューズの方から連絡をいただいて、“守れなくて、すみませんでした”と……。それが、近しい大人の素直な感情


…守れなくて、って何から守れなかったのでしょう?

「守れなくてすみません」が近しい大人の素直な感情、って… 


守らないといけない立場、なのは分かっていて、守れなかった…

少なくとも、守れなくてすみません、と言うなら計画実行側ではない人の言葉……


個人として尊重しての話か、商品としての話かはさておき、

"何か"が存在していること&そこから守る必要があることを知っていて? 知らなくて? 

守れなかった? それとも、守らなかった?





スタジオで主に彼を指導していた当時の常務は先に亡くなっていますが、向こうで怒っていると思います。もともと常務は役者をしていた人でもあるので、春馬からすると“師”ともいえるでしょう。あえて時代劇に出演させて、きちんとした演技の基礎や現場の常識から学ばせましたが、ちゃんとあの子は応えてくれました


…この、当時の常務、村木さんのことですよね。
《あえて時代劇に出演させて、きちんとした演技の基礎や現場の常識から学ばせました》
時代劇への敬意や意欲のルーツを垣間見る。
そのまままっすぐ大成するはずの、大成すべきだった春馬さん…

ところで
この村木さん、役者としてどこの事務所所属だったんでしょう? 
はぐれ刑事純情派(1988年から18年間放映、東映も絡む)に、村木さんも春馬さんも(何ならつくアクのもう一人の大人◯柳氏も)出演しておられます(女性代表はどうなのでしょうか? 役者(プレイングマネージャー)ふたりを従えて30〜40代で女性会長って…素人とは思えず)。
この作品、主演俳優はNBぷろ所属経験者(1977年11月に独立)。後に吉田栄作(1988年デビュー、30年所属す退社、フリー)や西島秀俊(1992年デビュー、5年所属し退社)等、NBぷろ所属者も出演していることから、協力・友好関係にあると見ます。
オープニング曲担当者は、朝◯ラぶぎうぎ(NBぷろ関係者多数)の歌劇音楽も担当。東京藝大、蒲田行進曲、宝◯歌劇団への楽曲提供、ミュージカルエリザベート…と、何かすごく関連性強い方のようです。



(前略)2016年ごろから

その当時は、春馬と家族との関係がなくなっていた(後略)



…という設定のようですが。

その年より後に、

受賞や取材前後にその内容をシェアしたり、

コムギちゃん預けたり、

墓参りや法事に連れ立って行ったり、

(地方)舞台鑑賞したり、

没交渉ではなさそうですが…

マネと同じ目に遭わぬよう、守るために遠ざけた説あり。

だとしたら2018年以降は意図的に距離を置いたとは思いますが…