こんにちは。
世界遺産☆五箇山
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷の5つの谷からなるので「五箇谷間」となり、これが転じて「五箇山」なんだそう。
平家の落人伝説があるのも納得いきます。
山山々🏔で、平地が少ないのです。
全国的な猛暑ですが、ここは5℃程気温が低く過ごしやすい!
向かったのは村上家。
入館料を支払い中を見学。
屋根が高く風通しも良く家の中は更に過ごしやすかったです。
すでに何人かいらしてたのですけど、どうぞーって朝一番の解説を聴けました。
外国の方もいらっしゃいましたよ。
柱も戸板も囲炉裏のススで黒光り。
元は板の間だったけど、畳を入れたんだよとのことで廊下はない。上の階には急な梯子のような階段。
七寸五分に切った小竹を打ち鳴らし唄う筑子(コキリコ)を聞かせてもらったり。
こきりこささら踊りって五箇山民謡だったんだぁ
と昭和のころテレビ(のど自慢って番組)で観たことを思い出しました。
江戸時代の主産業は和紙や黒色火薬の原料となる塩硝(えんしょう)が製造されていたことや加賀藩の流刑地があったこと。今は畑を耕すことも少なく、山の斜面も山林となっていることなど…いろいろお話くださります。
この地に限らず、日本の田舎はかつて耕やされた土地が
耕したい人が減りつつあります。
私も先祖代々の土地を耕したいかと聞かれたら…無理
だもん。
10年くらいかな…自家菜園の手伝いはしてたし稲作も外注にも頼ってたけど蛍の飛ぶ田んぼで生産してたの

建物内には当時使われていた道具がいろいろ展示されていました。
私の中では実家や親類宅の納屋や蔵で見たことのあるものも多々だけど、子どもたちは社会の資料集の写真でしか見たことないだろうなぁと思うようなね。笑。
このかやの厚みが暑さや雨雪から守っている

ちょっと衝撃的だった話。
昔は長男だけが結婚して妻をもち、そのほかの兄弟は伴侶を持たず、家庭を持たず家を支えるために生きたのだそう。
そのため大家族で大所帯で暮らしていた。
昔の戸籍には10人を超す人数で登録されていたとか。
流刑地には大人と一緒に小さな子どももきていた。
川向こうに流刑地があり、流刑地からこちらには来れなかった…とか。
…なんか聞いたことはあったけど語り部さんから聞くとあらためて今の日本がいかに幸せかと思いました。
機会があれば是非直接体験されるのをオススメします。
古き良き日本の原風景や暮らしを感じる旅でした。


