お久しぶり?です。


最愛の父が他界し、ブログをお休みしていました。



ブログには書いていませんでしたが、父は昨年の秋に癌が見つかりました。

見つかった時には、もう手術も受けられない程に進行していて…。
最後の望みをかけて放射線治療を受けましたが、こちらも結局効果が見られずでした。


癌ができた場所が悪く、父は口から飲食ができなくなり、自分の唾液さえ飲み込むことができなくなりました。(胃ろうを造設して経管栄養で生命を維持していました)
食べることができないので栄養状態も悪く、肺炎を起こしたりもして入退院を繰り返しました。



父は年齢の割には足腰も強く、肌艶も良く、白髪も少なく、いわゆる「若く見える人」だったと思います。

中肉中背といった普通の体型でしたが、癌を患ってからはみるみるやせ細っていき、本当に「骨と皮だけ…」というような体つきになりました。
おそらく30キロ程痩せたと思います。

この一年で「若く見える人」だった父は、脂肪がなくなり、筋肉も瘦せ細り、背中や腰は曲がり、肌は艶がなくなり、声すらも小さく弱々しくなりました。



それでも父は「父らしく」生きていました。


私の父は何よりも家族を大切にする人でした。
(特に母のことは本当に大好きで…。結婚して何十年経っても、父と母はいつでも、どこに行く時でも「ニコイチ」でした。)

そして、よく気が利く人でした。
困った人がいれば誰よりも先に気づき、助けてあげるような、強く優しい人でした。


病気を患ってからも変わりなく、体力が落ち、痛みもかなり強く、自分の世話をするのが精一杯…というはずなのに、私が実家へ顔を出すといろいろもてなしてくれました。

たくさんお菓子や果物を買ってきて、私や孫たちにお菓子を食べさせることを楽しみにしていました。
自分はもう食べることができないのに…。
どんな思いで食べ物を買ってきていたのかと思うと、今でも胸が締め付けられます。


多趣味な人でもあったので、諦めなければいけない趣味もありましたが「その時に出来る趣味」を最後まで楽しんでいました。
園芸もその内のひとつでした。

(父はいわゆる「寝たきり」にはなりませんでした。最後まで自分の足で歩き、自分の世話は自分でしていました。)

父は最後まで自分らしさを失いませんでした。



{6154FDB7-B276-40B0-A989-F1D3A09368DB}






父が旅立って、遺された家族は寂しくなりました。


寂しくなりましたが「私は少しほっとした…」という気持ちが全くない…と言えば嘘になります。


ずっとずっと痛みに耐えていた父。

(夜も眠れなかったようで、日中にウツラウツラする日もありました。最期の日の前日にお見舞いに行くと「身の置き所がわからない程しんどい」と言ったりもしていました。)


もう痛みを我慢しなくても良くなった、
息苦しさもなくなった、
あの世でたくさん好きなものを食べられるようになった、
大好きなコーヒーやビールを飲めるようになった、 
どこにでも好きな所へ行けるようになった、
何よりも大好きな母の近くにずっといられるようになった…。
(父は今回の入院を相当渋っていたようです。「入院するともう家に帰られない気がする…」と。父は母と離れたくなかったんだと思います。)


そう考えると、本当に「この世の中でこんなに寂しいことがあるのか」と思う程ですが、
「これで良かったのかな…」と思ったりもします。


(父の最期は母が看取りました。私・妹・弟は間に合いませんでしたが、母が側にいる時に逝く…というのが「また父らしいなねー」と思うのです。)




癌と診断され、これ以上に治療法がないと匙を投げられ、余命宣告もされ…
日に日に弱っていく父の姿を見るだけしかできなかった一年弱。

父も相当傷ついたり辛かったと思いますが、
何ひとつ変わってあげることもできず…家族も同じだけ傷つき、辛かったです…。
たくさんたくさん涙も流しました。

それも全部「父のことが大好きだからこそ」。

こんなに大切に想える人に出会えるなんて、私は幸せ者です。
父の娘として生まれることができて本当に良かったと思っています。



先日無事に告別式を終え、本当はもう寝込んでやりたい気持ちでいるのですが、それじゃあ父が心配すると思うので…
またいつも通りの生活に戻していきたいと思います。
今日から幼稚園もブログも復帰です!꒰•̀ᴗ•́꒱و ̑̑


いつも見守ってくれていた父だから、今もきっと見守っていてくれているはず。

何十年か先、また父と会える日が来た時、
「父さん、私、良い人生やったわ!」
と言えるように。

毎日を大切に過ごしていきたいです。