井原山~雷山縦走を終え、山仲間たちと解散後、こちらに立ち寄りました。
 
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 ※鳥栖筑紫野道路は現在は無料開放されております。
基肄城(きいじょう)は天智天皇4年(665年)に大宰府防衛のため基山(きざん)に築かれた古代山城。現在の佐賀県三養基郡基山町から福岡県筑紫野市にかけて城跡が残っている。
白村江の戦ののち、天智天皇が665年(天智4)に筑前国の大野城とともに建設した、日本最古の古代山城(朝鮮式山城)である。
 
土塁、城門、水門、建物の礎石などの遺構が遺存しており、その規模はきわめて大きく、城郭史上における価値がすこぶる高いとして1937年(昭和12年)12月21日、国の特別史跡に指定された、とのことです。
 
が・・・
既に16時を回っていますので山頂直下の草スキー場まででアプローチです。
 
 
登山口で待ち受けていたのは・・・チャップリン?
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君と遊んでいる場合じゃない。我々には時間がない(笑)
 
 
いきなり斜面に取り付きます(*´д`*)ハァハァ
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振り返れば九千部山、脊振山・・・
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約10分?斜面を登りきると・・・
 
基肄城(きいじょう)跡
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唐、新羅による侵攻に備え、博多湾からの正面に水城(みずき)、大宰府の北に大野城、有明海からの侵入に備えて南には基肄城を築き、山口県に築かれた長門城(ながとのき)とともに大宰府を守る羅城形式の大防衛線が整えられた。
 
ちなみに山口県に築かれたという長門城(ながとのき)は城名や所在場所に関する情報はなく、そのため地元史家の間で様々な説が浮上しているとのことです。
 
 
いもがんぎ
いもがんぎとは防衛上尾根を切り取った堀切のことで、ここでは連続して4つあり珍しい、とのことです。
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ゴルジュ(?)を登りきると山頂です。
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基山(404.5m)
山頂には。。。一等三角点が待っていました。(待ってない?)
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天智天皇欽仰之碑
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山頂は坊住といわれている(これのことか?)
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山頂は360度の大展望!
英彦山、古処山、宝満山・・・広がる筑紫、筑後平野・・・
霞んでなければもっと素晴らしい展望が得られたことでしょうね。
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麓の瀧光徳寺五重塔
車道からは見えませんでしたので得した気分です(笑)
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そろそろ日没の時間となりますので名残を惜しみつつ下山。
 
 
日本植林発祥の地』なのだそうです・・・
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もっと光を・・・…(-∀-)ボソッ
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夕食!
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 (山レポ終わり!)