今日はとてもイイお天気。早起きして、地元周辺をお散歩。
春のにおいと呼吸を愉しみ、大切な人のことを想いながら歩いた。
ayuの“YOU”を聴きながら。
春のにおいと呼吸を愉しみ、大切な人のことを想いながら歩いた。
ayuの“YOU”を聴きながら。
... 私はここ数年ずっと、≪愛≫について感じ考え学んできたように思
う。
目に見えないからこそ、時にその存在に疎くなったり、疑ってしま
ったりする。
そして、ついついカタチあるものに流され溺れてしまうこともある
。
あまりに非生産すぎる日常の中では、≪愛≫の存在が浮き彫りにな
った。
そして、人はそれなしでは生き得ないことを知った。
った。
そして、人はそれなしでは生き得ないことを知った。
しかし、≪愛≫の本質はズレやすい。
もちろんその定義に正誤はない。でもやはり、ズレやすいと思う。
そのズレは、きっと人生を大きく乱す鍵にもなる。
ちょうどそのズレを自分の中に感じた頃。
ある尊敬する方から、教えてもらった言葉がある。
『魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは誰でもできる。
だけど色褪せたものを捨てないのには努力がいる。
色の褪せるとき、本当の愛情が生まれる。』(遠藤周作氏)
私は大きく心を揺さぶられた。
そう、これがずっと探し求めていた答えだった、と。
『花は咲き誇っている時より、枯れ落ちた時、いかに愛せるか?』
これが、≪愛≫の本質だ、と、私は自分自身に決めた。
もう二度と自分を見失わないために。
大切な人を、共に生きていきたい人を、私はそう愛したい。
そして、私もそう愛されたい。
そんな嬉しい気付きを、なぜか父と共有したくて、メールをした。
父はこう返した。
「月はくまなきをのみ見るものかは、って兼好法師も言ってるなあ
。」と。
ふと思えば、私はいつだって、こういう情緒を父と分かち合ってき
たなあと思う。
そして今、こうして変わらず、その共有を出来ていることが尊い。
春の風に包まれながら、大切な人を改めて大切に想った今日の午前
。
散歩道に散り落ちた桜の花は、優しさと柔らかさに満ち満ちて、私
には何より愛おしく思えた。
そして、すべて、これらの感情を経験するために、私は摂食障害をやりきっているのだ。
